※注意※
同人誌「宰相閣下と結婚することになった魔術師さん2」時系列でのフナト、ウルカのスピンオフSSSです。
2人の恋愛未満的な描写が含まれます。ご注意ください。
フナト・イブヤ。会話を交わすようになったのはゴーレム絡みの一件からだった。ただ、その名前を認識した時期はずいぶん昔だったように思う。
『魔術式構築課は着飾らない綺麗所が多いが、その中でも一番だな』
同僚がそう言い、当時は見知らぬ名前を呟いたのを覚えている。その時の俺は、そうだな、と雑な返事をして、視線を向けることもなかった。
ただ、随分後に飲みの席で間近で彼を見て、同僚の言葉を理解した。
艶やかな黒髪と、同じく暗い色の瞳、佇む姿は幼くもあり、異国人の血が濃いのだろう顔立ちは年齢を曖昧にさせる。小首を傾げる度に、さらりと髪が耳元を流れた。
この国の民だから、尚更そう思うのかもしれない。彼が居る空間が異質に思えるほど、存在に現実味がなかった。大神官の隣に並べても美しさで見劣りはしないだろう。
人見知りとは聞いており、少し身構えていたが、予想していたような嫌悪感の篭もった眼差しを向けられることもない。
皿の料理が減るたび、彼は真面目に次の料理を差し出してくれる。
宴は楽しく進み、予想外の人物に奢ってもらう驚きを合図に終了した。
少し飲み過ぎたのか、眠った彼をシフと一緒に泊めてもいいがとトールから申し出があったが、そんなにたくさん毛布があるのか、と断り、うちに泊めることにした。
さすがにこんな美人を寝椅子に転がすのはどうかと、予備のシーツを敷き直した寝台に寝かせ、自分は寝椅子に身体を横たえる。
翌朝起きると、綺麗な寝顔ですやすやと眠っていた。こんな事は一生に二度はないだろう、と思う存分眺めてしまったが、本人には黙っておく。
目を覚ましたフナトは『お酒に、こんなに呑まれたのは初めてです……』と気まずそうに縮こまっていた。
こんな事は一生二度はない、ものは案外簡単に二度目が来るのかもしれない。
今日も酔い潰れたフナトが背中でごにゃごにゃと言っている。ゴーレムの部品に比べれば軽いものだ。
明日には、ミャザ市を出立する。
送別会ということで開かれた宴は、ゴーレムとゴーレムと、市長の顔に付いた染料と、少しだけお互いの話をして杯を干した。フナトも普段より明るく、魔装課の面々に酒を注がれるのに応じていた。
連れて帰ってくれ、とばかりに背によじ登るフナトを背負い、気の良い仲間達に手を振ったばかりだ。
またな、と皆が言い合った。この出会いにはきっと二度目があるだろう。
夜道を酔っ払いと不明瞭な会話を続けつつ歩き、部屋に辿り着く。しゃがみ込んで、フナトを下ろす。
少し酔いが覚めたのか、フナトは背中から降りて風呂場へと向かっていった。待て、とその襟首を掴んで止める。
「フナト、風呂に入るのか?」
「はいる。から、まずい音がしたら見にきて」
「いや待った! 待てって」
フナトは疑問符を浮かべながら服を脱ぎ出す。ローブがばさりと床に落ちた。
白い背中には、全面に傷跡が残っていた。引き攣ったようなものは火傷の跡に見える。俺がその傷跡を唖然と見ていることに、フナトも気づいたようだった。
申し訳なさそうに、少し眉が下がる。
「もう全然いたくはないよ。汚いもの、見せちゃってごめんね」
そのまま、風呂場に入っていこうとする腕を掴む。
「…………ウルカ?」
一度、息を吐く。
「今は痛くないのなら安心した。汚いとも思わない。あと、危ないから風呂場の扉を開けたまま入ってくれ。身体を洗うだけにしような?」
フナトがこくり、と頷いたのを確認して、腕を解放する。脱衣所に入っていったフナトは、下着も躊躇なく脱ぎ落とした。
俺はつい視線を逸らし、床に落ちたローブを拾い上げる。皺にならないように軽く畳むと、フナトの荷物の横に置く。
昨日も着た寝間着は、荷物の近くに畳んで置かれていた。荷物の中から新しい下着を取り出し、寝間着と揃えて脱衣所に持って行く。
身体を洗っているフナトに視線を向けぬよう、着替えだけを置いた。
「着替え、置いておくからな」
「ありがと」
風呂場から顔を覗かせたフナトは、何故か上機嫌で、満面の笑みを返した。
濡れた髪からは雫が落ち、睫にも水滴が張り付いている。手足は細く、肌にはなにも纏ってはいない。
湯を肌に受けたことで上気して色は少し赤らみ、腹の肉は薄く伸びている。
背と同じように所どころ傷跡が残っているが、醜いとはとても言えなかった。美しい身体つきを、こちらに隠そうともせず、ただ笑っている。
いくら人見知りでも、信用を受けていることを察するに十分な態度だった。
「…………あんな綺麗なもの、どうやったら傷つけられるんだろうな」
風呂場から離れ、水音がかき消してくれる程度の声量で呟く。あれだけ小柄で、若さを侮られやすい外見で、扱う魔術は一級品だ。
姿形だけを見るのならば、侮る気持ちは想像できる、嫉妬の気持ちも理解できる。ただ、何故あれだけ脆く、真っ白な身体を焼くことができたのだろう。
しばらくして、開いた拳はじんと痺れていた。
胸をぐしゃりと掻き回された心地で、お土産として買っておいた酒瓶を引っ掴む。簡易的な台所からグラスを持ってくると、瓶から濃い色の液体を注ぐ。
ぐ、と酒を呷ると、熱が喉を焼いた。
酒に逃げないと眠れる気がしなかった。深く眠らなければ、背を焼かれているフナトを夢に見そうだった。
数度、杯を重ねても、酔いが遠い。
「あれ? 飲みなおしてるんだ」
風呂から上がったらしく、寝間着姿になったフナトが俺の手元のグラスを覗き込む。首肯すると、フナトは取って返し、自分のグラスを持って来た。
俺の向かいに腰掛け、グラスを差し出してくる。酒瓶を持ち上げ、グラスにとくとくと注いだ。
乾杯、と杯を差し出してくるので、グラスをこつりとぶつける。フナトは度の強い酒をゆっくりと口に含む。
「あまい。珍しいね、ウルカがこういうお酒」
「ああ。酒の色で選んだからかな」
濃くて暗い色の、それでいて黒ではないその色は、フナトの瞳の色と同色だった。何となく、誰に渡す予定があった訳でもなく、自身で空けるつもりだった。
「僕は好きだな」
ふと、気づいたのは偶然だった。のんびりとした、あの口調の印象が随分薄くなっている、と感じたのだ。
些細な違和感だったが、口にしてみることにした。
「いつもみたいに、こう、のーんびりした口調じゃないな。酔ってるとしゃきっとするのか?」
フナトは唇に笑みを刷く。
「のーんびりしゃべってる人が、敵だって、おもわないでしょー? べつに演技ってわけじゃないけど、なんだろ。敬語、みたいなものかなー」
向かいに座っていたフナトはグラスを持ち上げると、俺の隣に座り直す。距離が近い、とは思うが、馬車の中で魔力を混ぜたあの時から、怖いという感覚はない。
魔力の質は日々変化する。魔力の質が似ていると言うことは、人の質、性格的なものも似ているということだ。
「俺がお前を攻撃しないって、信じてくれるのか?」
「うん。僕を攻撃しようとするひとは、もっとこわい目をしてる」
甘い液体と同じ色の瞳と、視線が絡む。
「……魔力を混ぜて」
小さな手が、かさついた指に絡む。
覆うように被さった手のひらから、魔力が流れ込んでくる。波長は酔い混じりであるからか揺らめいていて、口に残る甘い酒と同じ味がした。
「やっぱり、混ぜたらきもちいいなあ」
その言葉に、ぎょっと手を引く。
きょとんとしているフナトに、あ、いや、と言葉が彷徨った。
「ロア代理が、『魔力の相性と身体の相性の良し悪しって、同じなんじゃないかな』って言ってて」
「……ああ」
「ちょっと分かるって思っちゃった。魔力が混ざってきもちいいんだから、きっと身体を混ぜたらもっときもちいいだろうな、って」
とろり、とねっとりと甘い酒を唇にまぶしたまま、彼の言葉はその場に揺蕩った。ごくり、と唾を飲む。
誘われてでもいるのだろうか、そう一瞬でも思ってしまった。水でも浴びるべきかもしれない。
俺はグラスをその場に置くと、すっと立ち上がり、風呂場に向かう。
「お風呂?」
「身体洗ってくる。上がったらまた飲み直そう」
うん、とフナトが頷く。
風呂場の扉をぴしゃりと閉めて、扉に寄りかかった。
「……酔ってるんだろうな。だよな」
あの美人が目元を蕩けさせながら自身に擦り寄り、身体を重ねたらきっと気持ちが良いよ、と告げてくるなんて、これこそ二度はない。
夢に見るのが新しい友人の痴態でないことを祈りつつ、上着を脱ぎに掛かった。
ふわり、ふわりと眠気が押し寄せてくる。グラスを置き、よろよろと歩くと、ばたり、と寝台に倒れ込む。
倒れ込んで、寝台を間違えたことに気づく。油の匂いが微かにするこちらの寝台は、いつもウルカが眠っていた場所だった。
誰かがいる部屋で、こんなに眠くなるのは初めてのことだ。
「身体を重ねたら、なんて考えたこともなかった」
きもちいいこと、だなんて望んだこともなかった。人は誰かを傷つけるもので、愛おしみ、守り、悦びを共有することを誰かと、だなんて、考えることもなかった。
『今は痛くないのなら安心した。汚いとも思わない』
傷つけられてばかりだった身体は汚いもので、美しい、と褒められる度に服の下を見せてやりたくなった。
自分からあんなにべったり身を寄せたのなんて初めてだった。あんなに慌てながら振りほどかれて、混乱させたのは感じたが、嫌われたようには思わなかった。
あんなに身体が大きくて、怖いはずの人が、怖くない。
「明日、少しおめかししてみようかなぁ」
いつもより少しだけ髪を丁寧に梳いて、いつもより少しだけ整った服を着てみたくなった。汚いと思わない、ではなく、綺麗だと言って貰いたい。
人なんてきっと興味はなくて、ゴーレムばかりを褒めるあの視線を、こちらにひとかけらでも、向けては貰えないだろうか。
だらだらと考えつつ、飲み直すのを楽しみに必死に起きていたが、風呂から上がったウルカの大きな手で撫でられると、そのまま眠りに落ちてしまった。
翌朝、ウルカより少しだけ早く起きて、顔を洗って、綺麗に髪を梳いて、同じ寝台に潜り込んでみる。
起きた瞬間に精一杯「おはよう」と言ってみたが、驚いたウルカは寝台から落ちてしまった。
「あっちは夢で、こっちが現実。フナト、身体は痛くないな……?」
「うん。うん……? いたくないよ?」
良かった、いや良くなかったのか、と頭を抱えるウルカに首を傾げるが、結局、それ以上何も教えては貰えなかった。
それから僕は新しい友人に魔力を混ぜてほしいとねだるようになるのだが、友人は滅多に首を縦には振らなくなった。