同人誌:宰相閣下と結婚することになった魔術師さん3 ~勲章授与式典編~

同人誌情報
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web再録

「宰相閣下と結婚することになった魔術師さん3」~勲章授与式典編~(約4.5万字)(R18)

「魔術師さんと弟子とその弟子(SS)」

「宰相閣下と魔術師さんと宝石箱(SS)」

「宰相閣下と魔術師さんとふわふわ毛布(SS)」

書き下ろし

「宰相閣下と魔術師さんと雪車大作戦」(約2.5万字)(R18)

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紙版→(在庫切れ)https://ec.toranoana.jp/joshi_r/ec/item/040030840640/
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電子書籍版(BOOTH)→https://sakamichi31.booth.pm/items/2131293

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頂いた分については普段の小説執筆のための事務品やソフト代、参考書籍代などに有難く使わせていただきます。

 

 

 

「宰相閣下と魔術師さんと雪車大作戦」サンプル

 犬は、人間にとっての良き友だという。

 神殿から帰ってきた犬……ニコは全てにおいて絶好調、といった様子で、ぶんぶんと尻尾を振りながら後をついてくる。本人は俺を守っているつもりなのか、立ち上がればすっと起き上がり、少しの移動ですらも付き従う。

 朝からばたばたと用意をしている間もそうであったのだから、出勤、と屋敷を出ようとしたところで、ついて来ようとしたのは自明の理だった。

「付いてくる気か? 」

 わっふ、と返事をしたニコは、行こう、と言わんばかりに俺の前を先導している。

 顎に手を当てた人間と、ご機嫌な犬が向かい合う。置いて行こうとすれば、ぎゃいんぎゃいんとでも泣かれそうだ。

 魔術式構築課には軽く事情を話し、一度連れて来ては? とは言われている。今日からでもいいか、と連れて行くことに決め、アカシャに声を掛けて玄関を出た。

「いってきまーす! 」

 俺の声に合わせるように、足元から、わふ! と揃いの声が聞こえた。

「お気を付けて。いってらっしゃいませ」

 落ち着いた声を背に、結界を補強してから敷地を出る。しばらく様子を窺いながらゆっくりと歩いてみたが、平気そうに付いて来るので普通に歩き始めた。ニコは俺の通勤経路を、物珍しそうにきょろきょろとやっている。

「面白いか? 」

 うぁん、と何とも浮かれた返事があった。

 俺の横で歩幅を合わせ、追い越すこともなく、器用に併走する。丸い爪が土の地面を掻くかさかさとした音、短い呼吸、靴底が地面を踏みしめるざりざりとした音が、一定の間隔で混ざって聞こえた。

 俺の歩幅などゆっくりしたものなのだろう、息が荒れている様子もない。周囲の説明をすると、相槌を打つように細かく鳴き声が届いた。

 ルーカスに聞いたところ、微細な意味までは伝わらないだろうが、大まかな言葉は伝わっていて、かけた言葉はきちんと覚えるとのことだった。

『単にまだ幼いのです。身体は大きいですが、子犬に接するように、人の世を教えていただけると助かります』

 まだ善悪もあやふや、と付け足された言葉には背筋がひやりとした。精神性としては白いばかりのこの犬は、これから俺を通じて世界に染まっていく。

 俺を案じて子犬、と称したのかもしれないが、子どもを、しかもこれから一国を背負う存在を預かっているのだった。

 最後の角を曲がり、王宮に入る際に、門番と目が合う。俺を見て、犬を見て、ぱっと顔を輝かせて、いかんいかんと口を引き結んでいる。露骨な表情の変化だった。

「おはようございます。あの、この子が例の犬で……」

「ええ、例の二番目の護衛ですね。ちなみに、獰猛な子ですか? 」

 門番がしゃがみこむと、ニコは向かい合い、姿勢を合わせるようにその場に腰を下ろす。口を開け、構って、という感情が、飛び付かんばかりに浮く後ろ脚に滲んでいた。

「……そう見えますか? 」

「いいえ。たいへん人懐っこいようで」

 撫でるための大きな手が伸びると、ニコは自分から頭を擦り寄せていく。わしわしと耳の後ろを掻かれると堪えきれないらしく、くうくうと口から声が漏れた。

 でれ、と顔が崩れた門番にされるがままに預けていたが、始業までの時間が怪しくなり、二人の間に割って入る。

「また連れてきますので」

「……失礼いたしました。いえ、こちらから魔術式構築課へお邪魔しますよ」

 また、と門番はニコに向けて手を振り、手を振られた方は寂しそうにちらり、ちらり、と門番を振り返りながら、それでも俺に続いた。王宮の敷地内も珍しいようで、俺を追いつつも、視線があちこちに移っている。

 小屋の前まで辿り着き、シャルロッテに手を挙げると、シャルロッテもまた手を挙げて返事をした。解錠術式を発動させている間、ニコはシャルロッテの周囲をぐるぐると歩き回り、すんすんと鼻先を探るように動かしている。

 犬に対しての行動はシャルロッテに学習させておらず、棒立ちになっているシャルロッテを無害なものと認識したらしい。たった、と俺の元に戻ってきた。

 その後、『ぱぱっぱらぱぱぱー』と急に鳴った音にびくんと毛を逆立たせており、ごめん、と頭に指を滑らせる。

「おはようございます」

「「おはよ……」」

 全員の返事が足元の犬を見つつ、尻すぼみになる。ニコは人が沢山いる、としか思っていないのだろう。撫でてもらえるだろうか、とそわそわしている。

 最初に近付いてきたのは、部下のシフだった。ニコの前にしゃがみ込み、手のひらを鼻先に差し出す。普通の犬相手であれば匂いを嗅がせてみるのは正しいかもしれないが、ニコは何故まだ撫でてもらえないのか、と手のひらに喉を擦り付け始めた。

 そこまでされるとシフも察したらしく、両手でもふもふとやり始める。

「……この子、番犬になるんですか? 」

 撫でられている瞳はもう既に蕩け始めており、警戒という文字は浮かんでいない。

「人を監るとは思う……。多分」

 少しでも怪しいと思ったら容赦なく弾くだろう。門番もシフも、俺が警戒していないから信用しているのだ。撫でて貰えるのが嬉しい気持ちが勝っている訳ではない、はずだ。

 ルーカスの言葉がふと脳裏を過る。ニコは何が悪いのかを、誰が悪人かを分かっているのだろうか。

「名前はニコ。うちの飼い犬なんだが、俺と離れるとひゃんひゃん鳴くもんで、仕事中は外に居て警備をしてもらおうと思ってな」

 そろそろと人の輪が縮まり、順番に手が伸びる。ニコはそれらの手を怖がりもせず、撫でて欲しい場所に誘導していた。

 最後まで出て行こうとしなかった、口数の少ないツクモと人見知りのフナトは、部下ふたり纏めて背を押す。ニコに二人が敵ではないことを知って貰わなくてはならない。

 ただ、余りにも二人がのろのろとしているものだから、ニコは二人の脚の間に入り、顔を擦り付けはじめた。ようやく手が伸び、その身体に触れる。

「……かわいい………」

 ぼそりとツクモの口から言葉が漏れた。褒め言葉はニコにも伝わったらしく、きゃん、と高く一声鳴く。おそらく本人はありがとう、とでも言っているのだろう。

 ツクモにも声音でその言葉が伝わったのか、こわごわと頭を撫でていた。

「ほら、じゃあニコ。仕事始まるからちょっと外な」

 言葉で促すと、ええ、と言わんばかりに即座に床に転がって腹を見せる。こうすると、人が自分を追い出しづらくなることを学んでしまったのだ。ふ、と隣でシフが笑いを零した。

「小屋の近くなら走り回ってもいいから。そのうち門番さんが休憩になって遊んでくれるかもしれないし、昼休みになったら遊ぼうな」

 ぱたん、と尻尾がやんわりと床を叩いた。渋々と言った体でのそりと起き上がると、そのままとぼとぼと小屋を出て行く。見送る者たちは悪いことをしたのでは、と顔を見合わせるが、始業の鐘と共にそれぞれの席に戻った。

 やがて俺も席に座ると、窓越しに土を蹴って駆け回る音が聞こえてきた。窓から外を見ると、黒い犬が芝生を堀り返さんばかりの勢いで走り回っている。あーあ、と額に指を置き、魔術機の画面に視線を戻した。

 あの強靱な脚が、芝生をぼろぼろにしないことを祈るばかりだ。

 

 

 

 最近ニコは活動範囲を広げ、王宮内をちょろちょろとしているようだ。俺が仕事で魔術式構築課に篭っていると、安全だからいいか、とばかりにふらりと王宮を散歩して戻ってくるようになった。

 宰相閣下の飼い犬、と知らせてあるからか顔見知りも増えるらしく、魔術式構築課に出入りのある魔装課と付き合いが始まったのは随分早い時期だった。

「俺は猫派なんですけどね……。浮気じゃないです。うちのフギとムニの毛並みは最高で……、シフだって俺が髪を梳いた日の手触りはなかなかのものです。猫の毛は滑らかですが、犬はふわふわだな……」

「はいはい。猫派ならその手を離せよこら」

「ニコだって首のとこ、掻いてほしいよなー」

 『今日は夕食一緒にどうですか発信機』の改良品を俺に届けた魔装のトールは、ついでとばかりにニコの毛をもふもふとやっている。撫でられている本人は気持ちよさそうに目を細め、こっち、と首の角度を変えた。

 魔装課は体格が良い者も多く、その体力を存分に生かした遊びを、ニコも気に入っているようだ。

「そういえば、ニコって割と力がありますよね。この間サーシ課長を乗せててびっくりしましたよ」

「ああ。あれ、ニコが乗れ、って、サーシ課長の前でしゃがみ込むもんでな。ゆーっくり体重を掛けてみたら、本人は平気そうに運び始めるし、乗る方のサーシ課長も器用なもんだよな」

 右にシャルロッテ、左にニコを侍らせているサーシ課長はまさに蝶で花だった。

 それで、と言葉を続けるトールは、ぴたぴたとニコの首回りに触れた。

「魔装でも荷物を運ぶときに手伝いたいようで、乗せろ、とばかりに身体を伏せるんですが、気の毒で乗せられないんですよね。乗せる用の鞍を用意してもいいんですが、やっぱり骨が心配で」

「あー、褒めて貰えるからやりたがるんだよな。でも……」

 神ともなれば、どんな重い荷物を背負わせたところで問題ないのだろう。ただ、トールからしてみれば、大きくて丈夫で力のある犬、だ。遠慮無く荷物を乗せてくれ、とも言いづらく、言葉を濁した。

 ふむ、とトールはニコの身体を探っては、遊んでいるの? とばかりにくるくる回ってじゃれはじめるニコをいなしている。尻尾は等間隔に振られていた。

「やっぱ犬なら雪車ですかね」

「ああ。あの雪国で荷物引くやつ」

「それです。荷台に車輪を付けて、ニコの身体を痛めないよう、全身で引くような……」

 すっと立ち上がったトールに、ニコはまだ遊んでほしいと甘える。止めなければ帰らないで、遊んで、と主張し続けるのできりがない。俺は無言でニコを押し留めた。

「ニコ、ちょっと魔装の工房に来ないか? 既存の材料で仮組みしてみるから」

「いいのか? 仕事中だろ」

「うちの課長は『仕事外の物作りも、その内活かせるだろ』ってその辺煩くないので」

 へえ、と返事をして、自身の仕事を振り返る。ちょっと待って、とトールを留めてから、魔術式構築課に戻った。

「ごめんシフ。トールがニコに雪車作ってくれるらしいから、俺も魔術式仕込みに行ってくる。席外すから」

「代理ィ! 自分だけずるいですよ! おれも! 」

 立ち上がりかけたシフの肩が、そっと押されて椅子に戻される。

「あ、シフくんは今の仕事続けて。代わりに僕が行くよ」

「代わりに行く必要何処にありました!? 」

 サーシ課長はシフの机にぱらぱらとお菓子を降らせると、よろしく、とさらりと部下の文句を呑んだ。シフは自棄になってお菓子を頬袋に詰め込み、ちぇー、とぼやいている。

 近付いてきたサーシ課長に目を瞬かせる。面白いことが好きなのは知っているが、意外な人物が釣れたものだ。

「気になるんですか? 」

「いやあ。乗りたいよね、雪車」

 サーシ課長はニコの頭を一撫ですると、トールの後に続いた。魔装課の工房は魔術式構築課と違って王宮内にある。王宮の隅に当たる場所とはいえ、正真正銘、王宮の内部に工房はある。

 つまりはあれだけ炎やら雷やらの魔術式の埋め込み作業が発生し得る魔装課よりも、魔術式構築課の方が王宮に入れられない、ということだ。胸に手を当ててみれば、代々そうやって魔術式構築課を隔離し続けてきた王宮側の対応を批難できそうにない。薬品の爆発、結界魔術の暴走による強制隔離、魔術式の失敗による扉の転移事故、魔術は膨大な可能性を秘めているからこそ、事故も幅広い。

 入り口横で脚をふみふみと拭き、王宮に入ったニコに迷いはない。何度も通ったのであろう事が窺えた。王宮勤めの人々が通りかかる度に愛想を振りまいている。

「また知り合い増えたのか? 」

 わふ、と自慢げに返事をされる。たまに会話を交わしながら廊下を抜け、トールの先導で工房に辿り着いた。雑多に物が置かれた室内に足を踏み入れる。

「お疲れ様です」

「「「お疲れ様です」」」

 各々が、自身の製作物から視線を逸らさないまま返事があった。ニコは入り口で一鳴きしてから室内に入る。

「尖った道具なんかも多いから入る時には知らせてくれ、って言ったので、知らせてくれてるみたいです」

 ニコなりにお邪魔します、とでも宣言しているのだろう。道具にぶつからないよう慎重に物を避け、歩を進めていく。

 椅子をどうぞ、と机の横に椅子を寄せられ、有難く腰掛ける。その間に、トールはニコと一緒に資材置き場から材料を運んできた。雪車の荷台にする木材、大きめの車輪、ニコが引くための綱、犬の身体を保護するための革、よくもこれだけの資材があるものだ。

「宰相補佐に怒られないか? 資材の無駄遣いだって」

「んー。でも、ニコが荷物運んでくれるようになったら、給料が浮きますよ。端切れも結構使いますし、平気平気」

「僕も見なかったことにしよ」

「サーシ課長まで……」

 気がつけば、トールの周囲にはウルカを始め、魔装課の面々が集まっていた。トールは大きな紙を広げ、筆記具を握ると、がりがりとやり始めた。犬らしき絵と、胴輪、綱と、車輪の付いた荷台が描き上がる。あちこちから指が伸び、図面を指し始めた。

「胴輪は犬の身体を傷つけないように、革の間に緩衝の部材を仕込むか」

「胴輪と綱の境、耐久性と重さ的に金属どれにしようかな。車輪も。悩むなー」

「代理。荷の重さを軽減させる魔術式を埋め込んだりできます? 」

 ぼうっと話を聞いていたところで、話を振られて立ち上がった。ニコはサーシ課長の足元で、投げて貰った襤褸切れをがじがじとやっている。多少目を離しても問題無さそうだ。

「ああ。魔術式を埋め込んでおいて、乗った魔術師が発動するのなら、物を浮かせる魔術かな。ただ、人ひとりの重量だろ? 魔術師以外でも、ってなると大きめの魔力貯蔵装置が要るな」

「魔力貯蔵装置は、程度はどうあれ重くなるからなあ。無しでいきましょう。そもそも人一人を運べる犬が牽けば、動かないことはないでしょうし」

 魔術式を埋め込むなら荷台の裏だろう。木材では破損の可能性が上がるため、軽い金属板を貼り付けてもらい、その金属板に魔術を埋め込むことに決める。紙を貰い、埋め込む魔術式を組んでいると、魔装課の面々の中で静かに革の取り合いが始まっていた。

「何あれ」

「革の胴輪作る役だと、犬に触りたい放題だからですね」

 トールはやれやれ、と立ち上がり、自身は車輪あたりの仮組みを始めた。ウルカは近くで、木材を使って荷台を組み上げ始める。気づけば図面には大体の寸法が書き込まれており、ちょくちょく図面を覗き込んでは、それぞれが仕事を進めている。

 俺もまた紙に向かい、隣のサーシ課長に話しかけながら魔術式を組み上げる。

「魔装課の面子程度に魔術が使えれば、発動できるくらいの難易度でいいものですかね」

「そうだね。近衛魔術師、防衛課の魔術隊員なら魔装よりは魔術を使えるだろうし、あまり凝るようなものでもないからね」

「じゃあ、まあ虫取りもそこそこで。失敗してもニコにとって重くなるだけだし」

 離れた場所から、呼んだ? と言わんばかりに振り返るニコに、呼んでない、と返事をする。ふふ、とかろやかな笑い声が隣で響いた。

 普段よりも機械音で煩い室内は、少し蒸し暑く、ローブの胸元を鷲掴んで引き下げる。かつかつと筆記具を机に当て、思いついては書き付ける。

 夢中になって紙に書き付けていると、そのうち横から携帯用魔術機が差し出された。顔を上げると、いつの間にか席を外していたらしいサーシ課長が、手に菓子が詰まった袋を提げていた。

 少しその場を離れると、魔装課の面々にお菓子を配り歩き、全員に配り終えたところで戻ってくる。

「ロアくんも。頭使うだろうから、飴どうぞ」

「ありがとうございます、魔術機も。流れ図ができたので、そろそろ取りに行こうかなと思ってたところです」

「それは良かった」

 サーシ課長は再度腰掛け、自身も飴の包装を剥き始める。紙に書き付けた図を魔術式に落とし込んでいると、横からちょくちょく指摘が飛んで来る。若い頃から防衛課に居たためか、サーシ課長の魔術は実践も実践。今でも癖なのか、魔術式に速度を重視したがる。

 魔術式構築課らしく短縮を重視するのもそうだが、魔術を短く区切りがちだ。複合魔術式はあまり好まない。つまり確実に一つの効果を齎す魔術をどれだけ早く放てるか、を重視する傾向にある。

「……これは入れようかな。サーシ課長も魔構らしくなってきましたね。元々随分と戦闘派だったんでしょう? 」

「戦闘派って……、あれはね。シャクトありきの評価だから、僕自身はそこまでもないんだよ」

 室内には金属音や機器の動作音が響いていて、サーシ課長のしっとりとした声は掻き消されやすく、俺くらいにしか届かない。

 それなのに、サーシ課長は指先を動かし防音結界を起動した。かたかたと指先を動かしながら、聴覚の先を彼に向ける。その人は口に飴を放り込み、舌先で弄びながら、一度言葉を切る。

「今は教育側にいるからあんまり実感できないだろうし、随分柔らかくなっているけど、昔の防衛課で、シャクトは第一小隊の先頭にいた。他と違ったのは、彼が真っ先に敵陣に突っ込んでいくことだ。だから結局、僕以外は残らなかった」

 その事実を語るサーシ課長は、誇らしげには見えなかった。輝かしい過去を語っているというよりも、その口調からは悔いが滲んでいる。がらり、がらりと彼の口の中で、飴が位置を変えては音を立てた。

「貴族の家だけれども、うちはモーリッツほど秀でた魔術の家系ではない。力も強くはないし、魔術が突出してもいない。随分鍛えては貰って、体術は覚えたけれど、それも防衛課全体で見ればそこそこだ。でも僕は残された。魔力の相性は良かったし、シャクトには可愛がられていたから」

「……それは、俺は深く追求しませんよ…………」

「してもいいけれどね。君は責めやしないだろう? 実益のために身体の関係があったって」

 たん、と返事がてら強く釦を叩く。手を止めた俺が苦い顔をしているのが分かったのか、サーシ課長はごめん、と軽く謝罪した。けれど、俺と彼の行為に何の違いがあったのかと問われるなら、俺は答えを躊躇うだろう。

 初めて身体を重ねた時、俺は本気でガウナーを愛していると実感していたか。体面や、保身はそこにはなかったか。完璧に首を振れるのか、自信は無い。

「責められませんし、責めるつもりもありません。ただ、その……」

 言葉を切って、少し躊躇う。この言葉を彼に投げ掛けるのが正しいのか、俺には分からないまま、言葉が滑り出た。

「今は、俺はガウナーを愛していると、胸を張って言えます。淡い好意は、ずっと胸にあったのだろう、とも……」

 ですから、と続く言葉に迷っていると、くすくすと笑い声が響いた。

「うん。だから謝ったんだよ。僕と君は違うから。……意地悪したね」

 ぼり、ばり、と飴を噛み割る音がした。彼の口内は、苦味ででも満たされているのだろうか。普段は見せない仕草は、後悔の音と共に在った。

「嫌いだとは思ってないんだけどね」

「シャクト隊長を、ですか? 」

「うん。でも、何だろうな。勿体ない、とか、可哀想って感じかな。いくら初めての男とはいえ、僕に執着しなくてもなあ、って」

「執着されてる自覚はあったんですね」

 音だけで苦笑して、彼は脚を組み替えた。表情は笑ってはいなかった。そっと自身の脚に指を滑らせる。服の下の脚は、全盛期ほど自在に動くことはない。

「付き合いが多くて関係があったところに、脚の怪我が決定打だった。あれは呪のように僕ばかりを見るようになったよ。僕が一線を退いたら当然のように自分も退いて、何かにつけて助けになろうとする。あんなに年中戦場を駆け回っていた男が、自ら牙を抜いてしまった」

 ごりごりと飴は細かく噛み砕かれ、嚥下される。白い喉仏が滑らかにうねった。

「ゴーレムも、雪車も、有難く思っているよ。これで僕は助けが必要ない人間なのだと、あの男の目が醒めるといいんだけどね」

 俺には、果たしてそこに醒めなければならない酔いがあるのか疑問に思った。酔いは一時のものであるから酔いだ。時間が経てばいずれ醒める。

 若い頃から防衛課、それから魔術式構築課に来て、もう何年も経つ。その間、きっとシャクト隊長の目は、彼が言うには醒めなかった。ガウナーを愛している、と告げる俺は、まだその感情を持ったまま数年を経てはいない。

 年月は重い。その重さは、背負い続けている本人には当然の重みだが、別の者が背負えば酷く重いものかもしれない。俺の感情と、醒めることを望まれながら数年経った人の感情は、果たしてどちらが重いのだろう。

「あの、俺が言うのも何なんですけど……」

「うん」

「誰かが言うことは、素直に信じた方がいいみたいですよ」

「何それ。自虐かな? 」

 あまりにも俺の表情が重かったのか、硬かった表情が柔らかくなった。気遣われているのは嫌と言うほど分かった。言葉を続けるか悩み、それでも口にする。

「あと、恋人でもないのにそういうのは、悪いとは言いませんが、何というか……」

「でも僕、魔力の好みあるから。あれ以外を体内に入れるのやだなー! 」

「じゃあ観念してくださいよ。落ち着かせましょうよあのひと」

「それもやだ」

 指を振るサーシ課長はやたら幼く、危なっかしい。それでいて普段の物腰が柔らかいものだから、そこはかとなく色気が漂うのだ。手を広げて、おいで、と言われたら、間違いなく柔らかく受け止めて貰えることが分かる。

「あ、そうだ。やらしい魔術教えてあげようか? 」

 会話を切るための提案だとすぐに分かった。それでも、これ以上続けてもきりがないと、その提案に乗ることにする。

「は!? あ、いや教えて欲しいことはほしいんですけど! 」

「はは、新婚だもんね。じゃあ、とびっきりいやらしいやつ教えてあげようね」

 あのね、とぼそぼそと耳元に囁かれる卑猥な言葉に、ひ、と声を上げる。手のひらをとられ、指先で呪文をなぞられながら教えられるのだが、細い指先が伝う度にぞわりとした。あまり長時間触れたことがなく分からなかったのだが、この人の魔力の波形には不揃いなところがある。

 その不揃いなところが、他人の魔力をざりざりと掻き乱すのだ。魔性、という言葉が浮かんだ。本人がこれでは、守らないと、と悪戦苦闘しているシャクト隊長の気持ちも理解できる。

 こそこそと内緒話が終わったところで、サーシ課長が結界を解いた。魔装課の室内の音が戻ってくる。

「なーに内緒話してたんですか? 」

 戻った途端、トールの声が飛んでくる。遮蔽結界は張っていなかったので、魔術が使える者なら急に防音結界が張られたことには気づけただろう。何にも、とへらへら笑って、指先の動きを再開する。

 ちらりとサーシ課長に視線をやる。実益で身体を重ねて、それから数年も関係を変えずにそのままなら、自分ならいずれ破綻していただろう。

 何も変えない努力を彼はしている。近付いてくる相手に対して、線を引き続けている。その理由は、彼にしてみれば相手のためを思ってのことだ。

 それが果たして何なのか、誰よりも彼自身がよく分かっているような気がした。

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