宰相閣下と魔術師さんの部下と部下

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【上司が旅立った部下たちの話】

 代理がいないのなんて、ほんの数日程度のものだ。おれは胃を痛めつつも、そう高を括っていた。

 本来なら、貴族の休暇というものは、もっとゆっくりしたものだそうだ。転移魔術など使わずに馬車で近くの街に立ち寄るなど、道中も楽しむものらしい。

 いくら国王陛下からのご褒美とはいえ、あの宰相閣下がそんな長期に渡って休むはずもないとは思っていたが、代理が告げてきた日数は、予想よりも遥かに少ないものだった。

 おれはほっと胸をなで下ろし、そしてそんな自身を窘めた。

 代理もフナトもいない職場は、ひどく静かだ。

 仕事の効率はいいかも、と最初は思っていたが、しばらくして各所から連絡が届き始めるにつれ、考えを改めることになった。
 
「書庫の機構の問い合わせは、特に問題なかった?」

 そう声を掛けてくれるサーシ課長も、今日はその杖を動かしては各所を歩き回っている。

 流石に二人もいない職場は若干人手不足で、普段は管理側にいるサーシ課長が細かな案件の対応を始めていた。
 
「はい。テウ爺は操作説明書なんて読まない方なので、操作説明書をそのまま読み上げて差し上げました」
「ははは。紙しかない世界で生きてきたテウ爺が難しいものを使おうとするってことは、とっても便利だと思ってるんだろう。心を広く持ってあげてね」
「何やらずーっと書き付けていたので、怒るに怒れないです。餌付けされましたし」

 掌いっぱいの菓子類を持たされ、要件を書き付けた紙をどうだ、と見せつけられてしまえば、微笑ましさと同時に引かざるを得ない。

 本を読むのは苦にしないというのに、テウ爺にとって操作説明書は本ではないのだろうか。起承転結がない、とぶつぶつ呟いていたが、操作説明書に転は要らない。

「サーシ課長は大丈夫ですか?結界の補修」
「…………。ロアくんの案件は、もうこれは説明いらないんじゃないってくらい書類が作られる。僕は、日頃から彼のそういうところを評価していたんだけれどね」

 サーシ課長はカタカタと魔術機の釦を叩き、ようやく目当てのものを見つけたようだ。僅かに目が見開かれ、そして細められる。
 
「フナトくんの張った結界についての設計書は、ロアくん作の福利厚生に慣れてると辛いね」
「その心は」
「彼の頭の中では通じてるんだろうけど、僕にはすぐに理解できない」

 書類作成後の確認範囲を広げるべきだな、とサーシ課長は呟き、見つけた設計書を小型魔術機に移してから出て行った。

 ある程度の規模の結界であれば、設計書について上長の確認が入る。

 今回の魔術式の対象は確か古い倉庫であったから、規模的に擦り抜けたか、古すぎて確認の制度が出来る前の案件だったかもしれない。

 フナトは文書を作るのが嫌いな質ではない。ただ、人付き合いが極端に少なく、それが他人の理解度を推し量ることを慣れさせなかったのかもしれない。

 改善するきっかけがあれば、とは思うが、あのフナトが最近心を許したのは魔装課のウルカくらいのものだ。

 心当たりの少なさに、はあ、と息を吐いた。

 テウ爺の件が片付き、ようやく元の業務に戻れると思ったところで、また連絡用の魔術が起動した。

『こんにちは。政策企画課のスクナです』
「どうも、シフです。そっちはどうですか?宰相閣下の旅行中は」

『はい、忙しすぎて死んでます。それでですね……』

 どうですか?と聞かれて死んでます、という回答は如何なものかとは思うが、彼の心情は十分に伝わってくる言葉だった。

 スクナ・メイラー宰相補佐が言うには、政策企画課は他部署よりも強い結界が張られており、特に書類を保管している場所は厳重な結界で管理しているそうだ。

 その場所は、宰相補佐であれば扉が開くはずなのだが、必要な書類が仕舞ってある扉の結界が一箇所、どうやっても開かないとのことだった。
 
 会話中に魔術機で結界の設計書を検索すると、該当するものがあった。小型魔術機にその設計書を複製し、抱え上げる。

『実際の魔術式を見せて貰いたいのですが、今からでもいいですか?』
「是非、よろしくお願いします。護衛には声を掛けておきますので」
『助かります。では、一旦失礼します』
 
 連絡用の魔術を切り、残っているエウテルに外出先を告げて魔術式構築課を出た。

 つい扉の横を見てしまうが、旅行に同行中のシャルロッテは居らず、それについては誰よりも先に、サーシ課長が寂しいな、と零していた。
 
 その様子を見ていると、たかが機械と笑えはしないのだ。

「政策企画課、国家の中枢だよなあ……」

 王宮の中央部を守る門番に名前を告げると、顔見知りの門番はいちいち名乗りも要らない、とばかりに所持品を確認する。

 魔術師に対してこの検査がお座なりなのは、そもそも魔術師に対してどう検査しようが無駄だからだ。

 魔力と魔術、目には捉えられない、触れられないそれこそが魔術師にとっての唯一無二の武器だ。王宮勤めの魔術師に、貴族関係者が多いのも頷ける。
 
 それから少し歩いて辿り着いた政策企画課では、直ぐさま立ち上がった宰相補佐が、こちらに早足で寄ってくる。

「捕まって良かった。午後に必要な書類が扉の中に入っているようで」

 午後までには、まだ少し時間がある。対応としては魔術式の修正くらいのはず、時間は十分だ。
 
 奥の部屋に案内され、実際の扉を確認する。政策企画課用の場所とはいえ、小規模な書庫くらいの広さはある部屋だった。

 勿論、おれもこの部屋の扉を見たことはあるが、入ったのは初めてのことだ。

 床に小型魔術機を置き、開いた設計書と実際の魔術式を比較する。

 扉にはそれぞれに開くことができる対象が割り振られており、確かにこの扉を開けることができるのは宰相および宰相補佐、という設定になっている。

 ただし、この扉の魔術式は他の扉と少し式が違っていた。この式では虫が湧く、と顔を顰める。

 宰相ならば扉が開くが、それだけで流れが止まっていた。宰相補佐であるかの判定まで式が進まないのだ。
 
 これまで気づかれなかったのは、宰相補佐がこの扉を開けたことが無かったからではないだろうか。

「この扉を開けたことは?」
「宰相閣下は開けていらっしゃいました。僕は開けたことが無くて」
「なるほど、分かりました。少し式を修正しますから、待っていてください」
 
 扉一つ分の結界魔術なら軽いものだ。指先に魔術を乗せ、設計書通りに記述式の魔術を上書きする。

 少しばかり格好を付けて、ぽんと手を打ち鳴らして起動の代用とした。

 魔術を終えたおれが息を吐くと、ぱちぱちと拍手の音が横で響く。

「面白かったですか?」

 おれが拍手をする宰相補佐に声を掛けると、頷きながらこちらに近寄る。

「ロア代理が、貴方がいれば自分が留守でも大丈夫なのだ、と仰っていました。確かに、大丈夫なようだ」

 スクナは腕を伸ばして扉を開け、その中から書類を取り出す。

 扉を閉じたスクナと入れ替わるようにおれが扉を引いたが、扉はびくともしない。問題なく魔術は上書きされたようだった。

「代理がそう言っているだけですよ」

 彼の指先が無意識なのか、襟章に伸び、軽く握り締める。
 
「……でも、実際、上手くやれていると思います。この扉、国家の中でも重要な書類の置き場なんですけど、僕は、今初めて開けました」

 代理は宰相補佐を狐のようだと言っていた。表情を取り繕うのが抜群に上手いのだ、と。

「皆にはたかが旅行なんだから大丈夫だ、って言われます。けれど、書類が仕舞ってある扉が開かないくらいで一々慌てているのに、何が大丈夫なんだか」

 今、おれが彼を動物に例えるのなら、飼い主に置いて行かれた犬だ。尻尾があったら垂れている。
 
 スクナは笑ってみせるが、口の端は僅かにだが引きつっていた。
 
 考えてみれば、おれが代理と過ごしてきた時間よりも、宰相補佐が就任してからの時間の方が圧倒的に短い。

 そして、魔術式構築課の課員に代わりはいても、宰相補佐に代わりはいないのだ。

「おれも、今日、この魔術式の設計書、初めて見ました」

 案外、自分には余裕があったのだと思い知る。そして、ここにいる宰相補佐は、少しばかり余裕を失っているようだ。

「もし扉が開かなかったら、扉を吹き飛ばしてもいいか聞くつもりでした。最終的に、開けばいいのなら、と」

 スクナに近寄って、少し落ちた肩を叩く。

「案外、みんな上手くなんてやれてませんよ。でも、今もなんとかなりました」

 ね、とにかりと笑うと、スクナは書類を抱き込んだ。

 はい、と細く声が漏れる。長く息が吐き出され、顔を上げた瞳には、少し光が戻っていた。

 直ぐさま表情が取り繕われる。いつものにこりと笑う表情だ。

 これは確かに化けの皮だな、とおれは代理が狐だと言った意味も理解した。
 
「そうだ。宰相閣下、いま何してるか知ってますか?」
「いえ、折角の休みですし、代理にはあんまり連絡を取らないほうがいいかと……」

 おれはそう言いつつ首を振った。

 忙しいとはいえサーシ課長もいるため、そこまで連絡を取る必要も無かったのだ。そうですか、とスクナは残念そうに言葉を返す。

「『金槌を振るのが上手くなった』んだそうですよ」

 面白おかしく宰相閣下の声を真似てみるスクナに、おれはぽかんと声を上げる。

「はい?」
「まったく、旅先で何をしてるんだか。楽しそうで何よりですよ」

 政策企画課へ戻る扉を開いたスクナは、帰ってきたら代わりに休暇でも頂きましょうかね、と意地の悪い表情になった。

 

 

 
「そうだ、休みが合ったら、食事にでも行きませんか?上司が帰ってきたら、話題も増えそうですし」
「是非。古書店とか好きですか?おれは割とよく行くんですが……」

 

 

【部下を残して旅立った上司たちの話】

 ふわり、と鼻先を擽る匂いで目が覚める。パンの焼けるいい匂いだった。

 もぞもぞと毛布を引き寄せて寝返りを打っていると、もう起き出していたらしい伴侶から声が掛かる。

「おはよう。お寝坊だな」

 ねむい、と声を上げると、いまパンが焼けたところだ、と魅力的な言葉が重ねられる。
 
 伸びる掌に頬を擦り寄せ、起こしてほしいと手を伸ばす。支えられつつ身を起こすと、服すらも身に纏ってはいなかった。

 道理で、毛布が心地良い訳だ。

「休暇って感じがする……」

 持って来てもらった服を身に纏いつつ、しみじみと呟く。俺の言葉にガウナーは笑いながら同意した。

「俺がこんなに満喫してる間、皆働いてんだよなー……。シフとか元気かな……」
「確かに、何事もなければいいが」

 二人して息を吐く。あれが心配だこれが心配だ、とお互い詮無いことを言い合い、一区切りつく。

「やめよう。ここから王宮は遠すぎる」
「ああ、うちの部下は優秀だ」
 
 朝食のために立ち上がりつつ、たまには甘えるか、と無駄に腕を組んでみた。ただ、意識して甘えるというものは、どうにも照れる。

 ガウナーが目尻を下げていなければ、すぐに手を離しているところだ。
 
「折角部下がくれた休みだし、楽しまないとな」
「ああ」

 

 後に、『ゴーレムを作り終わった後、何をしていたんですか?』という問いへの答えは、土産で誤魔化しておいた。

 

 

 

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