父さんが雑誌を片手に近寄ってきたのは、僕が実家に頻繁な里帰りをしていた日のことだった。円も一緒に夕食を取ることになっており、現場終わりの時間が近いパパが円を拾って帰る予定だ。
早めに帰宅した姉が台所に立っており、手伝いの妹と共に材料を並べている。僕は見放題サービスから映画を引っ張り出し、流し見していた所だった。
「ここ、隆さんも円くんも出てる。人気ランキングだって」
「へえ、円も結構いい順位だね。婚約したからって嫌われてなくて良かった」
「嫌われる、より面白がられてるって感じかな? 隆さんも面白がって隙あらばコメントばんばん出すし」
父さんは笑うと、ぺらりぺらりと雑誌を捲る。その中には姉と妹の名前もあった。ソファから台所に向かって声を上げる。
「里沙姉も澪もいるよー」
「そりゃあねえ。誰かさんの婚約騒ぎで鹿生家全員が一気に仕事が増えたもの。役者はまだいいわよ、タレントなんて突発の仕事入る入る」
「モデルもよ」
里沙姉、澪、と次々に文句を言われる。騒がせてごめーん! と叫ぶと、いえいえー、と声が揃って聞こえた。長い指先が立てる、軽やかな調理の音が伴う。
「知名度上がったから許したげる!」
「同じくー」
きゃっきゃとかしましい声が聞こえてきた。
しばらくはテレビを点けると家族の誰かが映っている状態だが、逆に直接会う機会は減っている。最近はようやく落ち着き始めた、といったところだが、役者側はこれからが仕事の山だろう。
父、姉、妹。そして番の名が並ぶ紙面を面白く思いつつ眺める。
「里沙姉も澪も写真映りいいよー」
ありがと、とそれぞれの返事があり、妹……澪からドレッシングの味見を頼まれる。スプーンを舐め、ぐー、と指を立てると、澪からはふふん、と口の端を上げて返された。父さんはマイペースに雑誌を捲り、インタビューページを読んでいる。
「円くん、最近は食事が楽しいって」
「あー、楽しそう。嬉しそうだから作り甲斐あるよ」
「准也ー! 円の分のソースだけおねがーい! 麺は茹でるから准也が取り分けて」
「はーい」
行ってくる、と声をかけて雑誌を父さん側に寄せ、立ち上がる。円の偏食は直る見込みもなく、僕は甘えられながら食事を用意している。台所に立ち、油を小さめのフライパンに垂らす。
油が温まると、赤唐辛子を入れて炒め始める。甘党の父さんと違って、円はこういった物を好む。
辛味が炒め終わると、具材を入れ替えて更に炒める。横で鍋の湯がぐつぐつと煮立ち始めた。反対側ではトントンとリズムよくキャベツが刻まれ、サラダが出来上がっていく。三人で行き来するため、広いキッチンも流石に手狭だ。
「円さ、割と量食べるからもう一品あったほうがいいかな」
「あ、グループメッセージ見てないでしょ? 自分でお惣菜を追加で買ってくるって。お菓子も」
それならいいか、とフライパンに視線を戻す。視界の端で父さんがやった、と両手を挙げ、澪に笑われていた。
やがて、ソファからこちらを眺め始めた父さんは、雑誌を横に押し遣ってしまった。
「円、そういうとこ几帳面だよね」
「本当に。誰かさんの番は気遣いのできる男でいいことね」
ぐつぐつと煮立ち、トマトソースの湯気が立ち上ってくると、茹で上がったパスタと絡める。里沙姉が用意している家族用のフライパンでは、辛味は控えめに、同じようなトマトソースが出来上がりつつあった。
姉は器用に大量のパスタをフライパンに入れ、手際良く炒めていく。チーズ入れたーい、と言い始めたので、その場で多数決を採って可決された。
「パパ、いないけどいいの?」
「隆さんは気にしなくていいよ。こういう時、反対したことあったっけ?」
「ないよね。そういうとこパパ大好きー」
「「ねー!」」
澪の手で大量のチーズがフライパンに放り込まれ、ふわりといい匂いが立ち始める。丁度良く溶けたチーズが麺に絡む。サラダも含めれば、食卓の彩りは鮮やかだ。
「サラダできたよー! 美味しそうでしょ、ツナー!」
大皿を自分の顔の横に持ち上げ、澪は得意げに言う。
「ツナがあったら何でも美味しいよねー」
「わたしが作ったから美味しいの!」
材料を褒めすぎて、妹から反論された。円の分のサラダは片手間にざっと用意し、皿に盛る。澪の用意したそれよりも彩りが少ない気はするが、匂いがあることが最優先なのだから構わないだろう。
わいわいとどの皿にするか決め、全員分の食事を盛り付ける。姉や妹は皿にも拘り、出来上がったそれをパシャパシャと撮影している。
「パパ、お酒飲むと思う?」
「んー。准也と円くんを家に送るつもりだろうから、飲まないんじゃない?」
「じゃあ皆で炭酸飲もっか」
そうしている内に、丁度よく玄関を開ける音が響いてくる。
父さんは真っ先にソファを降り、出迎えに早足で駆けていった。僕も、とは思ったが、廊下でごちゃごちゃするのもどうかと、その場で待つことにする。
やがて、早足で番が室内に入って来た。
「准也。ただいま」
「おかえり、円」
跳ねるように駆け込んできた身体にぎゅうぎゅうと抱きしめられ、腕の中で溺れる。
ん、と唇を突き出して甘えてくるので、爪先を伸ばして唇に軽く触れた。匂いを確かめるように、首筋に鼻先を押し付けてくる番を、しばらくそのままに甘やかす。
「あのさあ、番大好きなのはいいんだけど。ここ鹿生家だからね」
「俺も鹿生家だから良くないか? あ、お土産」
「ありがと。んー、まあねえ。でも、料理冷めるから、いちゃつくのは程々にしなさいな」
はーい、と素直に返事をした円は、大人しく僕を離し、準備を整えて自分の席に着く。その後に続いて、隣の席に座った。里沙姉も澪も席に着いたが、少し待っても両親が来る気配はない。
「まあ、一番いちゃついてるのが両親ってとこが何も言えないわね」
「これ家風なのかなあ」
「チーズ美味しくなくなっちゃうし、先に食べちゃおうか」
「賛成」
先に食べるよ、と声を掛けてようやく戻ってきたパパはひどく上機嫌で、父さんもほこほこと笑っていた。どうやら番は堪能できたらしい。
パパも手に提げていたお土産は大量で、姉も妹も太るー、と文句を言いつつ追加で食卓に並べる。
「世津が食べたいかな、と思ってね」
「食べたいけどさ」
いつも通り父さんはパパを許し、ありがとう、と礼を述べた。どういたしまして、と番を見る目尻は下がっている。
ふと、自席に並んだ皿を指差し、円は里沙姉に尋ねた。
「俺だけメニュー違うの?」
「他の人が作ったどれだけ手の込んでる料理より、番お手製のほうがいいでしょ? あんたは特に」
ふん、と里沙姉は胸を張り、円は反論できずに口籠った。円は里沙姉が作った、僕のパスタ皿を指差す。
「それ、ちょっとくれ。なんか仲間外れみたいでやだ」
「いいよ。僕も円のやつちょっと食べたいな」
いただきます、と言葉を揃え、夕食が始まった。
僕と円はお互いに料理を小皿で交換し、口に入れる。円に作ったそれは辛味が舌を刺した。辛すぎるかな、というくらいだが、円にはこれくらいで丁度良い筈だった。
もぐ、もぐ、と探るように里沙姉が作ったパスタを咀嚼した円は、うん、うん、と無駄に頷いている。少し言葉を溜め、ようやく言葉が口から落ちた。
「うん。美味い……?」
「正直者か! 演技できるようになってから出直して来なさい」
「でもお揃いっぽくていいな。もう少し食べる」
ふわり、と子どものように口元を緩めた円に、里沙姉と澪はお互いを見て頷き合った。僕も口元を綻ばせながら、軽くその頭を撫でる。
流れた微笑ましげな空気に、円はうろうろと視線を彷徨わせた。やがてくすくすと漏れ始める笑いに、もうやめてくれ、と円が萎れるまで、その空気は続いたのだった。