厚氷を踏むが如し

この文章はだいたい3900文字くらい、約7分で読めます
Loading「お気に入り」へ追加

 その日は使用人としては休みで、だらだらとベッドの中で昼寝を楽しんでいた。ふと、階下からきゃっきゃと騒ぐ声がする。須賀家は夏の昼でも元気なようだ。

 なんで騒いでいるんだろう、と気になってタオルケットを跳ね上げた。勢いで私服へ着替え、部屋を出る。

 トン、トン、トン、と好奇心の跳ねるままに階段を降りると、旦那様と圭次さん、そして誠さんが玄関近くに集まっていた。

 私に気づくと、誠さんが声を掛けてくれる。

「おはよ、深代。寝てたろ」

「はい。……それ、なんですか?」

 全員の視線は、圭次さんの腕の中にあるペンギン型の機械に注がれていた。持ち主が振り返ると、全体像が見える。鮮やかな色合いのペンギン、プラスチックのハンドルが、その頭から伸びていた。

「かき氷機……?」

「そうそう。実家から持ってきたんだ」

 ほら、と圭次さんは私に近寄ってそのかき氷機を見せてくれる。ところどころ色褪せた部分のあるそれは、年季が入ったものに見えた。

 須賀家の厨房でもかき氷は作れるが、そちらのかき氷機は、電動で動く銀色の箱である。ここまでコミカルな造形と、鮮やかな色合いではない。

「厨房にも、電動のかき氷機はありますが……」

「そっちじゃなくて、こう、削りたくてさ」

 圭次さんはペンギンの頭から伸びているハンドルを、くるくると回してみせた。

 電動だと味気ない、ということだろうか。確かに、料理の過程を楽しみたい人にとって、電動かき氷機はあまりにも手間が無さすぎるかもしれない。

 圭次さんはとことことお手伝いさん達に両手で抱えたかき氷機を見せに行った。彼が歩き回る先で、楽しそうな声が上がる。

 いずれ私が、屋敷の中の彼と同じ立場になる。相手が誰であれ、朗らかに柔らかに接しに行く圭次さんの姿を思えば、その立場の重さは途方もない。

 ぽん、と背を大きな掌が叩いた。

「深代くんはシロップ、何味が好きなんだ?」

 誠さんに深みを何重にも纏わせたような旦那様は、私を輪の内へと促す。ぱたぱたと背後から駆け寄る音がした。

「親父。深代にあんま触るなよ。においが移る」

「……その心の狭さは誰に似たんだか」

「分かってるくせに」

 両肩を掴まれ、誠さんの胸元に押し付けられる。頭の上で子どものような応酬が繰り広げられ、親子がじゃれ合いに満足すると食卓へと向かった。

 広いテーブルの上に、ちんまりとペンギンの機体が鎮座する。

「氷もらってきた」

 圭次さんはボウルいっぱいの氷を机に載せ、ペンギンの頭のあたりにある蓋を外す。実家で洗ってきたのだと言い、氷を放り込むと、カランカラン、と転がる音がした。

 きゅっと蓋を閉め、器をセットすると、圭次さんは私に向けて手招きをする。

「深代くん。おいでおいで」

「なんですか?」

「かき氷つくろ。はい、ハンドル」

 丸いハンドルの持ち手を握らされ、時計回りに回すように説明される。せっかく圭次さんの実家から持ってきたものなのに、私でいいのだろうか。

 戸惑いつつ、言われるがまま腕を回す。ゴリゴリと鈍い音がして、ガラスの器に白い氷が落ちはじめた。やってみるとバランスが難しい。

「ペンギン、かわいいですね」

 塗装が剥がれかけるほど長く使ってまだ動くというのは、大事に保管されていたんだろう。圭次さんは器の位置を調整し、指に落ちた氷を払う。

「かき氷機買うとき、俺はペンギンが良かったけど。妹はシロクマがいい、って言ったんだ。それでジャンケンして、勝ったんだったかな。だから、このかき氷機、気に入っててさ」

 かき氷機の端は押さえてくれるのだが、それでも上手く回さないと土台が傾ぐ。途中から夢中になって氷を積み上げた。

 ガラスの器に氷の山ができた頃、横から赤い瓶が差し出された。振り返ると、誠さんが両手に瓶と赤いデザインのチューブを持って立っている。

「そういえば、深代ってどの味が好きなんだっけ? 急に買ってきたからイチゴしかないけど」

「イチゴ味、好きですよ。たくさんあっても使い切れないですしね」

「あとこれ」

 覚えのあるパッケージが隣に並ぶ。

「練乳だ。贅沢ですね」

「な。出店で買うと、練乳ありのほうが高いし」

 大きな屋敷の御曹司にしては庶民的な感想を述べ、追加の食器をテーブルに載せる。私は瓶からイチゴシロップを垂らした。山の頂上が、ピンク色に染まる。

 スプーンを突っ込むと、ざくりと音がした。

「溶けちゃうから食べてなよ」

 圭次さんは自分の器をセットし、慣れた手つきでハンドルを回している。言葉に甘えて、スプーンを口に運んだ。舌先が甘くもてなされ、追って心地よい冷たさが届く。

 二口、三口と食べて咀嚼し、スプーンの上にまた山を作る。

「はい。誠さんも、どうぞ」

「どうも」

 あ、と口を開けた誠さんは、山盛りのかき氷を口に含んだ。ふめて、と舌足らずな声が漏れ、ごくんと飲み込む。

 視線を感じて目をやると、にまにましている圭次さんと旦那様の姿があった。

「優征もあーんしてほしい?」

「当たり前だろ」

 圭次さんはかき氷を作り終えると、イチゴシロップと練乳を掛け、ざくざくと混ぜた。一口目を口に含み、ぱぁっと表情を明るくしている。近くで旦那様が待っていることに気づくと、シロップがたっぷり掛かっている部分を掬って番の口に運ぶ。

 ついで、とばかりに旦那様は圭次さんの首に手を回すと、ぶちゅう、と口付け、自らの唇を舐めた。

 流石の圭次さんも呆気にとられている。

「親父。俺も深代もいるんだけど」

「全員、身内だろ」

 しれっと言うと、今度は自分で作ろうと、かき氷の前に立った。氷を補充し、手早くハンドルを回していく。手さばきは経験者のそれだった。

「旦那様も、かき氷を作ったことがあるんですか?」

「ああ。圭次の家が隣だったから、俺も、この『常にすっ転んでそうなペンギン』はよく使ってた」

「……貶されてる?」

 気に入ったデザインを悪く言いたいのか、と圭次さんは眉をひそめる。

「いや。圭次に似てるなと思って。類友っていうのか」

「………………」

 圭次さんは無言で旦那様の頬を摘まんだ。ぐいぐいと容赦なく引くその姿に、長い付き合いの歴史が滲み出ている。

 旦那様はハンドルを回し続けていたが、邪魔が入る所為でやりづらそうにしていた。それなのに表情をくしゃくしゃにしては、構ってもらえる嬉しさが滲み出ている。出来上がったかき氷にシロップを垂らしている間に、ハンドルは誠さんの手に移る。

 全員が一巡するような形で作り終え、アルファの二人はかき氷を口に運んだ。

「でも、なんで急にかき氷だったんですか?」

 圭次さんは自分の器を空にし、もう一杯食べようかと視線が向いていたところだった。蓋を開け、またカランカランと氷を放り込んで閉める。

 うーん、と顎に手を当てたそのひとは、ガラスの器を持ち上げて陽の光に照らした。ちかちかと真っ直ぐな光が瞳に届く。

「気合い入れて毎年作ろう、って思ってた訳じゃないけど、何となく年一くらいはかき氷作ってたんだ。そうしたら何年目かに、去年はああだった、一昨年はこうだった、って覚えてることに気づいてさ」

 小さな器いっぱいに白い氷が降り積もり、じわじわと溶けては透明に色を変える。

「だから、今年は深代くんも増えたし、覚えておきたいなって」

 小さなかき氷機は、使い古されて誰かが押さえなければうまくハンドルが回せない。自然と手を出し、機体を押さえることになる。

 苦戦している圭次さんの横から腕を伸ばし、プラスチックの脚を押さえた。

「ありがと」

「いえ。……私も、今日のことを忘れられそうにないです」

 ガリガリと氷が削れ、器をいっぱいに満たす。自分の器を空にした誠さんは、私の肩に、背後から顎を置いた。

「もうちょっとシロップの味ほしくない? 追加で買いに行こう」

「使い切れないんじゃないんですか?」

「また別の日にかき氷やるって葵を呼べば、番ごと一緒に来るだろうし。そんときに使い切らせたらいいかなって」

 なあ、と誠さんが旦那様に言うと、旦那様も頷いた。ポケットから携帯電話を取り出すと、車を出す算段を始める。

 圭次さんが作ったかき氷は、皆でスプーンを突っ込んで分け合うことになった。外出の予定を思って素速く食べ進めようとすると、キンと頭が痛くなる。

 

「あふぁまがいたいでふ……」

 氷を飲み込めず、口元を押さえつつ言うと、三人とも慌てたような顔をしていた。

きみつが
シェアする







坂みち // さか【傘路さか】
タイトルとURLをコピーしました