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何でもない休日のことだ。僕は適当な理由をつけて章眞さんの家にお泊まりしていたのだが、急に外で雨が降り出した。
豪雨、と呼ぶような、ざあざあと線の連なる雨に、僕は広い窓に手を当てながら言葉にならない声を漏らす。
僕の様子をソファで寛ぎながら見守っていた章眞さんも、つられるように声を上げた。
「バケツをひっくり返したみたいだな」
「うん……。みんな走ってるね」
窓の外にいる人々は、軒下を求めて駆けていく。室内にはコーヒーの匂いが漂い、もちろん濡れるべくもない。
壁一枚隔てた内と外は、真反対の空気を持っていた。
「────ん?」
僕がソファに戻って、番に甘え始めたころ携帯電話が着信を告げる。無視しても良かったのだが、普段からよく連絡の来る葵ではなく、明月からの連絡なのが気にかかった。
片手は相手の腕に巻き付いたまま、怠惰に腕を伸ばして携帯電話を取った。
「しょうもない連絡だったら、章眞さんとの写真とか送っちゃおうかな」
「はは。それもいいな」
隣の人は怒ることもなく、真ん中に配置した携帯電話を覗き込む。明月から届いたメッセージにはこう書かれていた。
『いま葵と一緒なんだけど、都さん家の最寄り駅付近で雨に降られてさ。渡したいものもあるし、ついでに雨宿りさせてもらえないか聞いてくれない?』
僕が隣を見ると、覗き込んでいた章眞さんの方が目をぱちぱちと動かしていた。数秒遅れて我に返ったらしく、ああ、と呟く。
「俺は別にいいけど。七緒は嫌か?」
「ううん。別に平気、家片付けるなら手伝う」
とはいえ周囲を見渡しても、机の上に多少、物が載っているかな、という程度だった。僕は指を動かして、返信メッセージを作る。
『電話していい?』
『いつでも』
直ぐに帰ってきたメッセージを見て、通話画面を開く。通話開始のボタンを押して、電話を耳に当てた。ワンコールで電話が取られる。
「もしもし? 明月?」
『どうも。休みの日に悪いな』
「いえいえ。でさ、僕もいま章眞さんの家にいるんだけど、家主が来てもいいよ、って」
隣にいる章眞さんは、ちょいちょい、と僕の肩をつつく。顔を上げると、無意味に耳元に唇を寄せてきた。
「傘持って迎えに行こうか、って聞いて」
「章眞さんが傘持って迎えに行こうか? って」
『お世話になります……!』
詳細な場所を聞くと、章眞さんは直ぐに立ち上がって浴室へ移動し、ボディバッグにバスタオルを突っ込んだ。僕も持参した鞄を持って立ち上がる。
玄関には新品の折りたたみ傘がいくつか置いてある。書かれたロゴは章眞さんが代表取締役を務めている会社のものだった。得意先に配るために作った品、といったところだろうか。
僕には別の傘を手渡される。出入りするようになって買ってもらった白の長傘だった。
「じゃあ、傘を忘れた友人を迎えに行ってあげますか」
「そうだな。七緒の大事な友達だもんな」
そんなんじゃない、と脇腹にちょっかいを掛けても、番はくすくすと笑うだけで聞いてはくれなかった。
明月と葵とは、無事に教えられた場所で落ち合うことができた。二人ともびしょ濡れで、特に葵は唇の色が失せている。
二人を見た瞬間、章眞さんは用意していたバスタオルを手渡す。二人が水分を拭うと、自分の上着を脱いで葵へと差し出した。
「番持ちで、他のアルファの匂いは鈍くしか感じないはず、だよな?」
「あ、はい。……ありがとうございます」
葵は素直に上着を受け取るが、濡れるのを躊躇している様子だった。それを章眞さんが押し切って羽織らせる。
明月は何か言いたげだったが、くっと喉が動いて口を閉じた。
「ほら。雨宿りでしょ、行こうよ」
二人の背後に回り込んで、その背を押す。体温が戻ったのか、二人は少しずつ歩みを早めていった。
合流した場所から、章眞さんの家までは遠くない。家に辿り着いた時には、二人の顔色もずいぶん良くなっていた。
初めて家に入る明月も葵も、声を漏らしながら落ち着きなく廊下から部屋を見回している。章眞さんはまだ乾ききっていない二人の服を見ると、こう提案した。
「服、いったん俺のを貸そうか? その間に乾燥させたほうがいいだろ」
「助かる……ん、ですけど。…………俺、葵に他のアルファの服着せるのやっぱり抵抗があって、何かいい案ありますか?」
「ああ。じゃあ七緒が置いてる服を……貸していいか?」
「いいよ」
クローゼットに移動し、置かせてもらっている僕の服を取り出す。ついでに章眞さんが運動用に使っているジャージを持ってきて、それぞれ明月と葵に手渡した。
二人は脱衣所で服を着替え、出てくる。二人ともそれぞれの服と体格に差はあまりないようで、動きに違和感はなかった。
「サイズはどうだ?」
「平気です。でも、都さんのほうが筋肉の分、幅あって羨ましいな」
「おお、ありがとう。まあまあ鍛えてるぞ」
明月はジャージのメーカーについて章眞さんに尋ね、面白そうに裾を引っ張っている。二人を眺めていると、ちょいちょい、と傍らから服の裾を引かれた。
そちらの方向を見ると、僕の服を着た葵がいる。葵があまり着ることのない、フリルのあしらわれたシャツと細身のパンツは、彼を上品な社長子息らしく見せる。
「葵も似合うね」
「ありがと。でも、こういうテイストの服、普段は着ないな」
その場でくるりと回って見せてくれる葵に、似合うよ、と言って袖の折れを直す。
「服、都さんちに置いてんの?」
「うん。うちに来てもらうと両親が茶化してうるさいし、会うときはこっちの家かな」
「へえ。まだ番になって日がないのに、展開が早いな」
話を終え、二人を連れてリビングに入ると、来訪者たちは窓から見える高層階の景色にきゃっきゃと燥いでいる。
部屋の中を説明していると、章眞さんはキッチンを見て戻ってきた。
「コーヒー。ココア。ホットミルクと紅茶、コーンスープは出せるけど。何がいい?」
僕たちは顔を見合わせると、葵が口火を切った。
「え。コーンスープ飲みたいかも」
「じゃあ俺も同じのを、いいですか?」
「ついでに僕もスープ飲みたい。いい?」
「いいよ。用意してくるな」
二人はまだ身体が冷えているのか、服の上から身体を摩りながらソファに座る。僕は空調の温度を調整して二人の隣へと腰を下ろした。
デートの経緯を聞きながら待っていると、直ぐに章眞さんは全員分のコーンスープを運んでくる。二人は受け取って礼を言った。
さっそく口をつけると、想像よりも贅沢な味がする。
「うわぁ。生クリームの味がして、美味しい……」
「粉じゃなくてパック売りの液体タイプだからかな。美味いよな」
隣を見ると、ぱぁっと顔を輝かせ、熱と戦いながら最速で飲み干している葵の姿があった。ぼんやり、は今は返上できるくらいの気迫だった。
「都さん、これ余りないですか……?」
「俺も余ってたらほしいです」
「いいよ。一リットルパックで買ったから、たくさん飲んでくれ」
章眞さんは自分のカップを持ったまま立ち上がると、キッチンへと消えていった。せっかく隣に座れたのに、今日はもてなしで忙しい。
僕はまだ残ったカップに口をつけ、ほう、と息を吐く。
「葵も明月の家も、市販より美味しいコーンスープくらい出てくるでしょ」
「そうなんだけど。寒かった所に飲むコーンスープは格別だった」
「俺も」
葵がへらりへらりとそう言い、明月も同意する。確かに空調管理も徹底しているであろう二人の家では、凍えるほど寒い、という状況は少なそうだ。
章眞さんが二人のお代わりのコーンスープを運んでくると、二人とも両手を挙げて歓迎していた。
しばらくスープの美味しさについて語り合い、ふと、葵が何かを思い出したように声を上げる。
「あ。美味しくて忘れてた。俺たち、遊園地でお世話になったねって話して、都さんにプレゼントを買ったんです」
明月がその言葉に促されるように、傍らに置いていた袋を取り出す。プレゼント交換のように幾人かの手を渡り、最終的には贈り先の手に渡った。
章眞さんは顔を輝かせ、丁寧にシールを剥がす。中から出てきたのは水色のキャップだった。
「お。キャップだ。格好いいな……!」
「よく運動されるって聞いたので。運動中は暑いだろうし、メッシュ素材のキャップにしました」
「うわ、嬉しいよ。どう?」
くるりとキャップを回転させると、軽く頭に被ってみせる。色も涼しげで、彼の顔立ちともよく似合った。
「似合うよ。逆向きも被って」
携帯電話を取り出して構えると、照れくさそうにポーズを取ってくれる。付き合うようになってから増えてきた章眞さんの写真が、今日もまた増えて満足だ。
番は二人へと丁寧に礼を言い、帽子はぬいぐるみの頭へと被せてソファへ戻ってくる。洗練された室内では目立つ大きめのクマは、僕たち兄弟が彼の誕生日に贈ったものだった。
「都さんのマンション、いいですね。俺も一人暮らしすること考えてるんですけど、このエリアって住み心地どうですか?」
カップ片手に尋ねたのは、明月だった。
彼からは『実家も賑やかでいいのだが、家を出て葵と二人暮らしがしたい』という望みを時々聞くことがある。明月が希望するのなら、葵も付いていくのだろう。
章眞さんはいつもの面倒見のよい表情を浮かべ、明月と向き合った。
「治安はいいよ。住宅街だし、利便性のいい駅も近い。ただ、家賃は周辺の平均をみたら安くはないから、明月家の所有マンションから選んだらいいんじゃないか?」
「ですよね……。なんか、できるだけ親に頼らずに、とは思ってるんですけど、保証人も必要だし。結局、面倒かけるなら一緒かな、とか」
明月は学校では、二人で住みたい、と笑いながら言うばかりで、具体的な話はしなかった。だが、その裏では事を進めようとしていたのだと知る。
世間話とはいえ、瞳には縋るような色が浮かんでいる。彼は、家族以外に相談相手を探していたのかもしれない。
章眞さんもそれを察したのか、茶化すような回答はしなかった。
「一緒だよ。須賀家の御子息も出入りするんなら、めいっぱい親に頼ってセキュリティが厳重なとこ選ぶ方がいい」
「ああ。そうか……葵のために、ですね」
そして、親に頼らずに、という気持ちも理解できた。彼が家を出るのは初めてで、それなら第一歩を、できるだけ自分の手で、と考えるような独立心の強い幼馴染みだ。
けれど、自分の両親ながら親の手は遙かに広く、頼りになるのも事実に思う。最終的に親を頼る事だって、人脈、という資産によって得られた一つの手段だ。
明月は悔しそうな色を帯びつつも、何かを飲み込んだように表情を明るくする。
「都さんが住んでいるんだったら、本格的にこの辺りで探してみようかな」
他にも候補はあるだろうに、章眞さんの家の近く、を検討する幼馴染みを不思議に思う。
「そんな決め方でいいの? 他にも良さそうな地域、あったんじゃない」
「いやぁ。相談して思ったんだけど、都さん、頼りになる上に、両親たちと適度な付き合いだから事情を話しやすいんだよ。それに、都さんの家にはいつも高嶺がいるんだろ」
「まあ、……割と、……いるかな」
恋人に視線を向けると、面白そうに唇を持ち上げて返される。最近は入り浸りすぎていたかもしれないが、蜜月のようなもので、大目に見てもらいたい。
大人しく話を聞いていた葵も、嬉しそうに口を開く。
「俺も、七緒がいるんならこの辺りがいいな」
明月の独立したい欲については見知っていたが、葵も家を出ることに前向きなのには驚いた。彼は家族に守られながら生きてきて、本人とってもそれが日常だったはずだ。
僅かに浮かんだ寂しさを飲み込んで、番の傍へと距離を詰める。
「あと、両親にもいいマンションがないか聞いてみる。須賀の所有物件も候補に入れたら、選ぶ範囲が広がるしさ」
明月は金融を軸に勢力を強めていった家柄で、対して須賀のグループは業種が手広い。どちらも多くの物件を持っているだろうし、その中から選ぶのなら不満のない物件選びができそうだ。
葵は明月の手に自分の手のひらを重ねると、視線を合わせて笑みを向けた。
「賢吾だけの新居じゃないんだしさ。俺にも頑張らせてよ」
「…………あぁ」
身を寄せ合っている二人を見て、僕も章眞さんと視線を合わせた。指をほんの少しだけ動かすと、伸びてきた手に捕まる。
窓の外の雨は段々と弱まっており、いずれ来る晴天を予期させていた。

