宰相閣下が最近鬱陶しい宰相補佐さん-ふたたび-

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『今日の宰相閣下はすこし沈みがちだ』

 仕事の早さには文句の付けようもない。

 しかし、書類が一段落した途端何事か考えを巡らせ、息を吐くのが癖になっている。

 宰相補佐の僕は自分の書類を手早く取りまとめ、これも補佐の仕事なんだろうか、と疑問に思いつつ宰相閣下に書類を持って行きがてら声を掛けた。

「必要な分だけ書類の確認をお願いします。……ロア代理と何かありましたか?」

 どさ、と容赦なく書類の山を積み上げると、宰相閣下ははっとしたように一枚目を持ち上げる。宰相印を判子打ち機に取り付けると、確認した傍からぽんぽんと書類を仕込んでいった。

 確認する目元は書類を向いているが、確認できているのかは疑問だ。

「ロアはこう、懐が広いところがあるんだ」

「はぁ……」

「最近また、王宮での事故絡みで新しく魔術師の友人ができたらしく。細かく連絡を取っていてな……」

 確認していた書類を放り出し、宰相閣下は背もたれに頭を投げ出した。書類の確認すら嫌になってきたらしい。

 僕は空になったカップを持ち上げると、お茶を淹れ直してきます、と政策企画課のカップを回収して部屋を出た。

 給湯室で全員分のカップにお茶を淹れ直し、配って歩くのだが、宰相閣下の姿勢は僕が出ていった時のままだ。

 仕方なく机から異国の王子から配られた魚型の焼き菓子を取り出すと、カップの横に添える。

「甘いものを食べて休憩しましょう」

「そうだな。スクナも一緒にどうだ?」

 ふんわりと微笑を浮かべる顔立ちは、慣れない人間が見たら心を射貫かれるのだろうが、美人は三日で慣れるのだ。

 僕は頬を掻いて自分のカップを持ち上げ、会議用の机に移動する。

 隣同士で椅子に座り、菓子の包装を解きつつ視線を向けた。

「で。新しい友人にかかりきりでロア代理が構ってくれない、と」

「別にかかりきり、という訳ではないし、私にも構ってはくれるんだが……魔術のことは私には分からないから、早口で技術の話をしている姿が楽しそうで」

「そりゃ。素人に早口で技術談義なんてしないでしょう普通は。気遣いですよ」

 魚型の菓子の頭を白い歯で噛み千切ると、咀嚼してまた息を吐く。言葉の抑揚は薄く、冗談か本気かすらも分かりづらかった。

「……短期で休職をして魔術学校に行くか」

「素質がない人を入れてくれるほど、魔術学校も暇じゃないですからね」

 部分的に冗談ではあったようで、宰相閣下はそのまま黙り込む。十割本気でなくて安心したが、若干は本気の部分があったことはぞっとする。

 ぱきん、ぱきんと菓子を歯で折る音と、噛み応えのある食感を咀嚼する音が午後のうららかな日差しの中に鳴っては消える。

 適度なざわめきの中で、低い声が部屋に響いた。

「……恋人の中に共有できない部分があるのは、寂しくならないか?」

 一瞬、動きを止め、答えに迷ったのは確かだ。

 カップに鼻先を近づけ、香りを楽しんでいる顔を見ながら、僕はまたかさかさと菓子の包装を開く。

「宰相閣下はロア代理と魔力相性かなり良いんでしたっけ……お二人が依存気味になるのは仕方ない気もしますが。その悩みに底はあります?」

「まあ、私が魔術の勉強をするくらいしか対処はないだろうな」

 振っ切ったような響きに、休憩の手ごたえを感じる。咀嚼の感覚が狭まり、肩に入っていた力がすっと抜けていく様が見えた。

 手元にある菓子の包みを、二つほど宰相閣下に押し出す。

「本人に言ってみたらどうです? 魔術の話をしてみたいから教えてくれって」

「面倒がられないか」

「その時に寂しいって話をするんですよ。面倒見がいい人なんですから、喜んで教えてくれますって」

 そうか、とぽつりと呟いて、菓子を片手に押し黙る。

 最近の宰相閣下に以前ほどの完璧さは感じないが、この不完全さが人の心を擽るらしい。体感でしかないが、結婚前よりも彼に対しての好意を多く耳にするようになった。

 完全な物を美と謳う癖に、不完全な物に惹かれるのは人の性だ。

「全てを共有して、相手を独り占めしたくても、独り占めできたら好きじゃなくなるんでしょうね」

「…………否、と断言できないのが悲しいところだな」

 きっと、上司が愛しているのは仲間の中で屈託なく笑っているロア代理だ。閉じ込めて愛することが可能になったとしても、感じている魅力は失われる。

 矛盾と我儘と同じ悩みの堂々巡り。結論は決まっている無駄な会話を続けているこの言動こそが、人としての魅力に溢れている。

「私も、魔術師だったらなあ」

 くっと笑いを漏らしてしまって、焼き菓子の欠片が気道に入って咽せる。こんこんと咳き込みつつ、呼吸を整えた。

 宰相閣下は僕の背に手を伸ばして、優しく擦る。

「…………そんなに可笑しいか?」

「似合わないですよ」

 本人も自覚はあったようで、首を傾げるも反論する言葉はなかった。

 僕は魔術師という存在を見る度に、人としての釦の掛け違えを感じるのだ。

 かれらは、生命力を魔力へと転換して魔術としての火を灯す。生命力を保持する必要のあるはずの人間が、時に生きていくために不必要な魔術すらも行使する。

 僕の目から見て、魔術師はみな何処か狂っている。人でありながら、神だとか妖精だとか魔だとか、あちら側の空気を孕んでいるように思えるのだ。

「────宰相閣下は、宰相閣下だと思います」

 もしロア代理が人の道から外れようとしたとして、それを引き留める事ができるのは宰相閣下の人間らしい部分だ。

 神を信じたくて信じ切れず、誰かを愛して憎んで、そして全てに手を伸ばしきれないことを悔やむような、弱い人間そのもの。

「だから、宰相閣下じゃなくなったら、ロア代理に愛想尽かされちゃいますよ」

「それは嫌だな」

「なら、やっぱり今の宰相閣下のままで、相手の専門分野に興味を持つ、というのが解決策でしょうね」 

 はあ、と息を吐く様子に尋ねてみると、いくら勉学が得意な宰相閣下が学ぼうとしても、魔術というものは感覚的なものが大きいそうだ。

 そのあたりがぴんと来ない所為で、理解が遅れるらしい。

 肩を落とす上司をいいことに沢山ある菓子の包みを差し出そうとすると、お腹いっぱいだと断られる。まだ貰った土産が大量にあるのだが、とがっかりして手元の包みを開いた。

「この様子だと、式を無事挙げられたとしても前途多難ですね」

「まぁ……。それでも、一緒にいたいんだ」

 さらりと惚気た上司の言葉は温かい風に流して、僕は焼き菓子を軽く噛む。さくりと音を立て、欠片が口の中でほろりと溶けた。さっきから食べ続けている所為で、口の中はくどいほど甘ったるい。

 しばらく後に、惚気に気づいたらしく弁明してきたのは良かったのだが、更に惚気を塗り重ねたので、腹が立った僕は一言一句違わずロア代理に伝書鳩しに行くのだった。

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