※「宰相閣下と結婚することになった魔術師さん4」時系列でのサーシ、シャクト、(+ニコ)のスピンオフかつSSSです。二人の恋愛未満?的な描写を含みます。
別に、旅行を楽しみにしていただとか、断じてそんなことはなかった。
宰相とその伴侶の護衛。端的に言えばそれだけの仕事だが、同行者と場所に不安があった。自分がいない間に、この男に勝手に死なれるのは寝覚めが悪い。
死ぬ時は一緒だろう、とお互いに思っていたはずだ。
前線を退いた男に不満はあれど、安堵もまたしていた。これでもう目の届かぬ場所で、昔の相棒が凄惨な死を迎えることはない。
だというのに、ロア代理の帰省に付き合うことになった、と、シャクトは平然と僕に言ったのだ。
面子と、場所と、周辺の情勢。話を聞いてすぐにそれらの情報を調べた。国境であるナーキア地区、隣接するケルテ国、そして同行する面子。生きて帰ってくる、と信じるには不安が勝ちすぎた。
僕が同行を申し出たのは、純粋に不安からだ。決して、一緒に旅行に行きたかったからなどではない。
「なんでニコがここに?」
思ったよりも、低い声が出る。目の前のシャクトは、まずいことをした、という意識が露骨に顔に出た。
僕とニコの間を、視線が行き来する。
「ロア代理が休むのに、ニコの面倒までみるのは大変だろうと……」
「ああ。……そう」
別に。僅かに混ざった部下の魔力を上書きしようと、この男を寝台に引っ張り込もうだとか思っていたのは僕の都合だった。
たまには二人きりに、と気遣うシャクトの行動の方がこの場では正しい。
僕の不機嫌さに気づいたのか、ニコが悪いことをしただろうか、というように身体を擦り付ける。
その行動に毒が抜けた。
頭をわしわしと撫でてやって、そのまま寝台に誘導する。寝台の上には乗ろうとしなかったが、僕が更に唆すとようやく上がってきた。
「折角だから、いちゃいちゃしよう」
その頭を抱き込むと、ぺろぺろと頬が舐められる。温かい舌が辿る度に、ニコ越しに見る元相棒の機嫌が下がっていく。
ざまあみろ、と心の中で舌を出した。
僕はニコの毛に絡まった汚れを落としてやることにした。毛をかき分け、小さい葉などを摘まみ上げては纏める。山越えをした割には綺麗なものだった。
シャクトは近くで地図を広げ、何事か書き付けていた。おそらく、防衛課に報告するための資料とするのだろう。
ニコもうるさくはせず、眠りかけのようにとろとろに瞳を溶かしている。このまま眠ってしまうといい、と手を緩めた時、ぴくり、とその耳が動いた。
同時に、僕の耳も波を拾う。
ニコを放り出すように立ち上がると、自身の周囲に魔術の感知を遮る結界を張る。その上で、隣室に対して遮音結界を展開した。
「波はこの一線より絶たれる。この地には平坦が広がるのみ。例え神が示す意であれど、この線を越えることは許さない」
二人の声が届かなくなったところで、ほっと息を吐く。ニコの瞳を覗き込むが、もう撫でてもらえないのか気にしているだけのようだ。
「……何かあったのか?」
シャクトも立ち上がり、周囲を見渡している。いや、と僕は口元に手を当てる。
「ロアくんの声がしてさ」
「はぁ……」
「なんかこう、今にも始まりそうな声が」
明日、魔力が混ざっていれば、僕の予想は当たっているはずだ。シャクトも僕の言葉に何事かを思い至ったようで、必要もないのに小声で確認してくる。
「周囲には……」
「大丈夫だよ。宰相閣下がいる部屋にだけ遮音結界を張ったから」
「なるほど、助かった」
あの部屋なら実務的にも遮音結界を張っておくべきだった、と今後の改善を口に出すシャクトは生真面目な顔をしている。僕は彼を見やりながら、また寝台に戻った。
部下は今日、ゆっくりと、伴侶と睦み合うのだろう。その部下の魔力が混ざったまま、いつもの魔力で浸されずに疼いている僕と違って。
違う魔力が身に満ちているのなら、それを解消したいと望む気持ちは理解できた。新婚の彼なら特に、その魔力は伴侶の魔力込みで構成されているのだろう。
とはいえ、僕の魔力だってそうだ。シャクトに依存している。防衛課にいた頃から、相棒の魔力が身のうちにあることが平常だった。
「気分が良くないのか?」
ニコを撫でている僕を見て、シャクトが問い掛けた。良くない、と端的に返して、寝台に転がる。
こちらに歩いてきたシャクトが、寝台の横で僕を見下ろした。
「大丈夫か? 魔力を使わせすぎて……」
「違う」
苛々とした気分が、声にも表れてしまっていた。僕はずっと満たされないのに、部下は結婚という確固たる関係性を得て、幸せそうに笑っている。
部下を見る度に、おそらく僕は妬んでいる。
「…………ロアくんの魔力が中にあるから、違和感があってね」
そう言って、口元に笑みを刷いた。
シャクトは眉を顰めると、そのまま寝台に乗り上げた。覆い被さるように身体が抱き込まれる。
上出来。その首筋で、息を吐き出した。
「しばらく、このままでいなよ。ロアくんよりも君の魔力の方が、まだ身体に馴染む」
そして、この男より身体に馴染む魔力を僕は知らない。背に腕を回して、首筋に鼻先を擦り付ける。
「ああ」
他に言いたいことはあっただろうに、シャクトは無言になって僕を強く抱き返した。皮膚越しに僅かに魔力は流れ込んでくるけれど、あの粘膜で繋がる時ほどの混ざり方はない。落ち着いたら、やっぱり寝台に引っ張り込まなくては、そう心に決めた。
近い未来に、この男が所帯を持とうとしたら、どうしてくれようか。もう、こんなにも身体の一部になってしまったのに、切り離されたら。
────その時は、ようやく二人で死ぬ時なのかもしれない。
「ん?」
ぼふ、と背中に温かいものが押しつけられる。もっと撫でてほしかった、というようにその声がきゅんきゅんと鳴くが、押しつけるつもりはないようで、そのまま身体を横たえる。純粋な好意は、新鮮で、温かかった。
これも両手に花、というのだろうか。
この温かさに包まれたまま、眠ってしまおう。微睡みが押し寄せる中、目覚めた時に、まだこの男に抱かれていることを願った。