以下の作品のネタバレを含みます。
・君の番にしてください(明月悟司×昼川三岳)
・君の番になろうとは思わないので(鹿生隆×水芳世津)
・君の番にはなれなくていいです(須賀誠×朝背深代)
『一緒にお菓子作らないか?』
三岳さんから誘いのメッセージが入ったのは、その季節にしては暖かいとある日だった。彼は誠さんの幼馴染みである、悟司さんの番だ。
彼に出会った時には、『かわいい』と慣れない言葉を投げ掛けられた。
私が困惑していると、近くにいた悟司さんは、悪気はないんだけどね、と眉を下げていた。恩人の言葉からも、悪い人ではないのだろう、というのは伝わってくる。そもそも、難ありな父の会社を引き受けるような寛大な人の番、でもある。
最初は誠さんも眉を寄せていたが、三岳さんの持ち物に可愛らしい物が多く、かわいいを突き詰める中で作り出されたお菓子の画像などを見せられ、何かを納得したように私を見ながら頷いていた。
あの時、誠さんが何を理解したのかは分からないままだが、私はそれから三岳さんと連絡を交わすようになった。
『何を作るんですか?』
『林檎のタルト。美味しい林檎たくさん貰ってさ』
『お菓子作りには疎いんですが、それでもよければ』
『平気、食べる人数が欲しいだけだから。あと、もうひとり誘ってもいいか?』
携帯を操作しながら、迷いを画面の上に滑らせる。
誠さんと付き合うようになって、交友関係が目まぐるしく広がっていく。それでも、緋居田を継ぐよりも楽な道を歩いているのだろう。
恩人である悟司さんは明るく気さくで、その番の三岳さんはとっつきやすくて懐が広い。三岳さんの友達、なら、きっと悪い人ではない筈だ。
『大丈夫です。日程はどうしましょうか?』
文字を打ち込んだ後で、ふう、と息を吐いた。
初対面の人とお菓子を作る。ほんの少し、ほんの少しだけ、背伸びをした気分だ。はらはらして、後悔と期待がない交ぜになるその感情は、悪い気分ではなかった。
紹介を受けたその人は、鹿生世津、と名乗った。
服のセンスも良く、凝った布のラインは体型のシルエットを活かしたものだ。身に付けているその人も、無毒さが顔に滲み出る優しそうな顔立ちをしている。スモーキーカラーの柔らかな色味の布地は、彼にぴったりだった。
表情を変えるテンポもゆるやかで、この人に怖さを感じるほうが難しい。やっぱり類は友を呼ぶんだろうな、と思いながら握手をした。
「朝背深代です。世津さん、とお呼びしてもいいですか」
「うん。言葉も崩していいけど、深代くんって敬語に慣れてるんだっけ」
「はい。気を悪くしないでいただけると……」
「しないよ。俺の方がかなり年上だし」
失礼ですが、と年齢を聞くと、本当にかなり上だった。え、と驚いたまま言葉を失っていると、嬉しそうににまにましている。
「三岳くん。俺、若く見えるんだって」
「あー。世津さんたぶん、十年後もその顔してると思うよ」
「…………? そう?」
「なんか、番の生気を吸ってそうな」
若さを褒められた本人は分からない、というように首を傾げ、三岳さんは言及するのを放棄して彼の荷物を預かった。
あ、と目の前で声が漏れた。世津さんは何事か思い出したように鞄からパッケージを取り出すと、何やらサインが書かれたそれを差し出している。
「これ。隆さんが直近で出た映画の媒体くれたから、持ってきた」
はい、と差し出されたパッケージを、三岳さんは呆然としながら受け取る。私もそろりとサインの書かれた表紙を覗き込んだ。
崩れた文字で書かれた名前は、私には読み取れなかった。
「すみません。サインまで……!」
「『書くのと書かないの、どっちがいいのかな?』って本人に聞かれて、いちおう書いて貰ったけど、映画のパッケージが綺麗な方が良かったらごめん」
「叶隆生のサインは貴重だって!」
うわあ、と言葉を震わせる三岳さんの発した名前には覚えがあった。私ですら知っている俳優なのだから、世の中では知らない方が少ない、というような人物だろう。
おずおずと言葉に迷いながら、問い掛ける。
「叶隆生さんと、お知り合い、なんですか?」
「うん。……その、俺の番」
目の前のその人は、照れたようにはにかんでいる。私が地の底から響くような声で驚いていると、はは、と今度は笑われた。
「なんか、…………叶さん、と、相性が良さそうですね」
驚きで声が出てこず、見せてもらった映画のパッケージを眺めながらようやく呟く。そう、と世津さんはその言葉に僅かに目を瞠ると、私の頭に手を伸ばした。
さらり、さらり、と柔らかく指先が髪を揺らす。圭次さんの手つきに似ていた。
「そういう感想は、珍しいな。うれしいけど」
ぎこちない笑みを返すと、今度はわしわしと撫でられた。両手で頬を包まれ、視線を合わせられる。
あまりの抱擁感に、一瞬、ほわっと惚けてしまう。
「世津さん。深代くん番持ちだからな」
「俺も番持ちで子持ちだけど」
「あ、お子さんがいらっしゃるんですね。私の番の、お父さんに似ていて……なんだか、納得です」
世津さんは撫でていた手のひらを眺める。少し考え込むように唇を動かして、私の頭を抱き込んだ。
「その人、いいひと?」
「はい。……父の会社が倒産して、行くところがなかった時に拾ってくれたんです」
「そっか。そんな恩人と似てる、ってのは最上級の褒め言葉か」
「そのつもり、です」
腕の中でほんわりしてしまっていると、背後から感極まったような、言葉にならない声が漏れた。
腕を緩めて振り返ると、三岳さんは手のひらを口元に当てている。
「あ、お構いなく……」
そうやって、気にするな、と言われても気になる態度だった。
「知ってる? 三岳くん、ああやって『かわいい』ものを見ると発作を起こすんだけど」
「あぁ……。でも、三岳さんの言う、『かわいい』って何ですか?」
私が尋ねると、三岳さんは、うーん、と言葉に迷っている。
「『かわいい』を言葉で表現したって、伝わりづらいんだよなぁ」
「はぁ……」
「でも、今の世津さんと深代くんはかわいかった」
自信を持って発せられないことをあえて言葉にしないことも、彼の誠実さなのだろう。
そろそろお菓子作ろう、と促され、手を洗いに流し台へ向かった。須賀家では台所は料理人の持ち場だから、お菓子をわざわざ作る機会も少ない。
美味くできるだろうか、と不安になりつつ、上がった体温を流水で冷やした。
三岳さんはお菓子作りに慣れていて、私への指示も的確だった。ビスケットを麺棒で叩いて潰したり、型に沿わせて成形したり、と慣れないことをするのは楽しい。
キッチンの中では明るい声と、軽快な音が響いている。柔らかい色で整えられたキッチンは、端々に可愛らしい動物モチーフのカトラリーが顔を揃えている。そんな場に相応しい、跳ねるような音ばかりがしていた。
「深代くん、味見。ふーってしてから食べるんだぞ」
途中、煮ている林檎なんかを口に放り込んでくれるのだが、その度に私は美味しさに歓声を上げた。
対して、世津さんはあまりにも行動に迷いがない。
三岳さんが計量スプーンを取り出そうとしている間に、鍋に砂糖をざかざか入れていく。キッチンの主はけらけら笑いながら止めに入っていた。
「……あ、また。深代くん。世津さん止めてくれる?」
「もう入っちゃ……! あ、わ」
「大丈夫、だいじょうぶ」
だが、やらせていると何故かそれで辻褄が合い、味に問題はないのだ。三岳さんは首を傾げながら、最後の方では世津さんの好きなようにやらせていた。
悲鳴と歓声と、笑い声と。わたわたを繰り返しながら、ようやくワンホール分のタルトがオーブンに納まった。
ほっとした間もそこそこに、待ち時間でフルーツポンチを作ろう、と三岳さんが固めておいてくれたゼリーを冷蔵庫から取り出してくる。
その時、世津さんと目が合った三岳さんは、ふい、と視線を逸らした。
「ゼリーを切るのは深代くんに頼もう」
「俺は?」
「世津さんは駄目だからな。触らないで」
「三岳くん。俺、年上だけど」
「じゃあ敬語で言います。駄目です」
敬語じゃなくていいけど、と世津さんが言い、駄目、と三岳さんは短くなった言葉で制止を重ねる。
私は笑いを漏らしながらゼリーを切り分け、用意されていた硝子の容器にそろそろと入れた。切り分けておいた果物も加えると、一気に色味が増す。
小鍋で煮立てたシロップが冷まされ、容器に注ぎ入れられる。水面がゆらりと揺れて、色鮮やかに光を跳ね返した。
「美味しそう……!」
私の声に、二人は顔を見合わせる。何だか満足げに頷いている様子に、不思議に思いながら両手で容器ごと食卓に運んだ。
やがて焼き上がったタルトはやっぱり三岳さんが綺麗に切り分けてくれて、それぞれの皿に盛ってくれる。
「あ、ちょっと待っててな」
三岳さんは冷凍庫からバニラアイスの箱を取り出す。そして、先端が半円になった道具をカシカシとやりながらタルトにアイスを添えた。表面にはさらさらとチョコペンで動物の顔を描いていく。私の動物はハムスターで、世津さんのは猫だった。
可愛い、と私と世津さんの口から言葉が漏れる。携帯で写真を撮っている世津さんを真似て、私もシャッターを押した。
「できた。温かいうちに食べよ」
温かい飲み物が添えられ、いただきます、と手を合わせる。フォークを差し入れると、断面から漏れた湯気で景色が揺れた。
フォークの腹に乗せ、口に運ぶ。強すぎない果物の甘味がふんわりと舌に乗る。
「深代くん。美味しい?」
「おいしい……!」
冷めないうちに、と次々に夢中で口に運んでしまった。アイスと混ざると、また違った温度と味が舌を楽しませる。気がついたときにはタルトのほとんどが口の中に消えていた。
にこにこしながら私を見ている三岳さんと視線が合って、恥ずかしさに口元を手で押さえる。
「ごめんなさい、私。夢中で……!」
三岳さんは笑顔のまま、無言で自分の隣の皿を指差した。綺麗にすっからかんだ。皿を見下ろす世津さんは、悲しそうにフォークを空中で揺らしている。
「三岳くん。何切れ食べていいんだっけ?」
「二つと半分」
「三岳くんの分は……?」
「また焼くからいいよ。林檎は余ってるし」
目の前には、あからさまに年下に気を遣われている年上がいた。
ふ、と口から息がこぼれる。やっぱり、あの時この人達に会う、と勇気を出してみて良かった。
「あの、私の分もどうぞ」
「いや。若い子はいっぱい食べなよ」
「世津さん、俺は……?」
「…………」
じゃあやっぱり二つずつにしよ、と言い始めた世津さんだったが、眉はわずかに下がっている。あまりの正直さに堪えきれないようで、三岳さんは口元に拳を当て、肩を震わせていた。
結局、三岳さんの分の一個を半分ずつ貰うことになった私たちは、美味しいデザートと共にある午後を、騒がしく過ごすのだった。