※R18描写あり※
18歳未満、高校生以下の方はこのページを閲覧せず移動してください。
この作品にはオメガバース要素が含まれます。
【人物】
明月 悟司(めいげつ さとし)
昼川 三岳(ひるかわ みたけ)
明月 志陽(めいげつ しよう)
明月 克己(めいげつ かつみ)
明月 亜己(めいげつ あき)
鵜来(うらい)
緋居田(ひいだ)
先輩は窓辺に肘をつきながらぼんやりと外を眺めては、通行人に対してイイ、だとかおお、だとか感嘆の声を上げる。
「なー、あの子可愛くない?」
「先輩、俺あの子知ってますけどオメガですよ」
べつに可愛いのとオメガとは関係ないじゃん、とオメガである筈の先輩は事もなげに言い、俺は毎度のように自分の脈の無さに嘆息する。
かわいいのは先輩なんですけど、という言葉は飲み込んだ。
昼川三岳という先輩とは親に代わりに参加してきて、と半ば強制的に出席させられたパーティで出会った。
お互いにパーティの面倒さを感じさせる表情をしていたことが切っ掛けか、炭酸のグラスを片手にくだらない話をとりとめもなく繰り広げた後、連絡先を交換することから始まった。
先輩は可愛いものが何よりも好きで、鞄の隅にあるマスコットは定期的に変えられている。
部屋も一角はぬいぐるみ置き場で、先輩のベッドはぬいぐるみに埋もれている。
古株のぬいぐるみの名前を間違えると『ミーさんだっつってんだろ誰だよメーさんって!』と怒られるほどだ。
そして先輩は人についても可愛い人が大好きで、男女問わず大体においてオメガが好きだ。
アイドルにやけに詳しく、あの子可愛い好き、と先輩が言うのは細くてちょこまかとしている美少年や美少女だった。
先輩自体はそこまで可愛い感じでもないし上背もあるほうだが、『アレが可愛い、コレが可愛い』と可愛いものを愛でている先輩が、いつの間にかかわいく見えるようになった。
現在の俺は、先輩ごとぬいぐるみを抱き締めてしまいたくてうずうずしてしまうようになるまで片想いを拗らせてしまっている。
「先輩なにか最近、欲しい物あります?」
部屋でぬいぐるみを抱きしめつつ、ワンワン育成ゲームに向かっている先輩は、俺に視線も向けずにおざなりに返す。
「別にいいよ。去年のこの時期にお前に欲しいもん言ったら、やたら高いもん寄越そうとしたし」
先輩はいい家のご子息ではあるのだが、オメガであることを理由に兄に跡継ぎをあっさり譲り、専門学校を出た後に実家に何の関係もない会社に就職した。
昔から大事にしている持ち物は良いものだが、家も出ている上に金銭的な援助は受けないため家計感覚も庶民のそれだ。
俺もまた立場的にはいい家のご子息で、ついでに長男でもあり、在学中に小さな会社を興してみたり気ままに実家関係のプロジェクトに参加したりというバイトで得た収入から、先輩にあの手この手で貢いでいる。
しかし、質の良い物を知っている先輩にそれを気付かれると、ものすごく微妙そうな顔をされるのが常だった。
「靴とかどうです?」
「お前がもう履かないとか嘘ついて新品寄越すからいらない」
「財布とか」
「お前がくれた財布すっげえ長持ちするから勿体無い」
「ぬいぐるみを俺のチョイスで」
「手縫いのやつ寄越すから値段高くておいそれと枕にできない。抱けないぬいぐるみなんてやーだー」
「ごはん、美味しいごはん食べに行きましょう!」
「お前が連れてってくれる飯、いっつも美味いよ」
最後の飯がうまいという発言は非常に喜ばしいものではあったが、俺は先輩に見えない位置でがっくりと項垂れた。
付き合っても恋人でもなく、発情期も頼っては貰えないただの友達ではあるのだが、そうだとはいえポイントを稼ぐためのクリスマスくらいは頑張らせて頂きたかった。
でなければ、ここ数週間実家に仕事を詰めてもらって、稼いだ財布が泣きをみる。
「クリスマス、うちでご飯食べない? 俺作るからお前ケーキ買って来いよ。俺は飯をプレゼントするからお前はケーキをプレゼントすればいいじゃん」
そうしよ? と律儀に振り返ってぬいぐるみの手を持ち上げながら見上げられてしまうと、俺はただ先輩かわいさにはい、としか返せない。
財布の出る幕はなさそうだ。
先輩は俺の様子そっちのけで料理名をぽんぽんと挙げては楽しそうに予定を話し出す。先輩は料理も嫌いではないし、料理を盛り付けでデコることが大好きだ。
「チキン揚げてさ、サラダ作って、そんでたっかい肉でローストビーフ作る。……あ、でもお前の家ならパーティとかあるんだっけ?」
毎年パーティ自体はあるのだが、妹も弟もいるため俺自身が欠席しようが両親は気にもしないに違いない。俺が先輩と過ごしたい、と言えば応援してもくれるだろう。
俺は別にそんなのはないですよ、と告げ、先輩と一緒に過ごすクリスマスの約束を取り付ける。
先輩はコントローラ片手に携帯に予定を登録し、集合時間を入力した後でベッドに放り投げた。
「あ、先輩そういえば携帯のバッテリーの持ちが悪いって言ってましたよね。俺、新機種でいいやつ知って…」
「要らね。俺は愛人かなんかかバーカ」
俺なんかに興味も示さずに育成ゲームに視線を戻す先輩を、小一時間会話しながらじっと見つめていた。
先輩狙いで、送られる秋波を躱しては逃げしているのだという事実を先輩に告げることはない。
先輩は、どうせ俺に意識を向けることはない。
先輩より背丈もあって、肩幅もあって、そしてアルファである俺は、先輩の好みからは真反対の位置にいる。
「てことで先輩とクリスマスにご飯食べることになりました!」
「脈ないわーってヘコんだりこうやってクリスマスの約束取り付けたり……」
寄越せ、と俺の手元の紙袋を奪い取ったアルファの父親は容赦なくその中身に齧り付く。
あああ、と俺は立ち上がりつつスーツの首根っこを掴んだ。
一瞬遅くその中身のうちの一個が親父の口の中に消え、さくさくといい咀嚼音が近くで聞こえてしまう。
「そ、それ先輩が作ってくれたマカロン! 何やってんのバカ親父!?」
父は腕良いな、と淡々と返答した。
折角先輩から貰ってうきうきと食堂にまで持ち込んだ菓子を、味わいもせずばりばり咀嚼して飲み込んでおいてこの様だ。
持ち上げた首根っこを揺らして抗議するが、面の皮の厚い父親に何を抗議しようがどこ吹く風だった。
「俺のだぞ吐けやコラ!」
「凝り性か。黄色のマカロンはヒヨコ、ピンクはうさぎ、茶色はクマ」
「そういうの好きな人なの!」
全部表情がバラバラのマカロンは昨日先輩がフードペン片手にちまっちま、ちまっちまと書き続けていたもので、その中で『出来が良いから』と俺の分を取り分けてくれたものだった。
隣で俺が書いていた可愛くないクマは先輩が『責任をもって処分する』そうで、先輩の腹に消える予定だ。
へえ、と父はマカロンを摘み上げて描き込まれた表情を眺め、感心したようにすげ、と言う。
「ヒヨコ多いな」
「俺の髪の色が薄いから似てるなって、多めに入れてくれた」
お前はヒヨコな、とヒヨコを多めに入れてくれた先輩は、その後俺の髪を摘み上げながら『同じ色』とけらけらご機嫌そうに笑っていた。
親父がはいあーん、と差し出してくるそれを噛み付いて受け止めると、ママレードの風味が爽やかに口内を満たした。
「やっぱ先輩好き、美味しい。俺ずっと先輩のお菓子食べてたい」
「はいはい、ご馳走様」
俺が先輩と出会った頃から先輩について報告をしていたところ、父は伝手から先輩の実家の話なんかを調べて世間話ついでに投げ渡してくれ、先輩が何の柵もない身分だということに良かったな、と背中を叩いてくれた。
……あたりまでは良かったのだが、それから俺がずるずるだらだらと先輩との友人関係を保っているところが、親父からすれば大層気に食わないそうだ。
「そんなに好きならとっとと食っちゃえばいいのに」
「できたらヤッてますお父様……」
うわぁんと悲しんでみせる俺の肩を親父はぽんぽんと叩くと、まあ頑張り給えよと余裕綽々の様子で言い放った。
俺はうっうっと嘆きながら、マカロンを大事にだいじに抱え込んでは食べる。
番になれば一日中べたべたできるし、好き放題朝までずこばこやれるし、下心込みで両親のような番という関係自体が羨ましくて堪らない。
先輩が他のアルファに掻っ攫われる可能性がミリでもあること自体が許せないし、俺だって先輩とずこばこやりたいお年頃だ。
俺が欲求をぶつけるように一つ食べるごとに美味しい、可愛い、先輩も食べたいと嘆くものだから、父はなんだこいつ、という胡乱げな視線を向けてくる。
「昼川な。昔、亜己にパンダの飴差し出してきたことがあって、珍しいなとは思ってたが……、こういうものが好きなのは昔からなんだろうな」
唐突に出て来た亜己……歳の離れた可愛い妹の名前に、俺は瞬きを繰り返す。少し前に俺が先輩の苗字を出した時に、父は先輩の名前をさらりと口に出してみせた。
何故知っているのかと思っていたが、妹に青年がパンダのパッケージで包装された飴を差し出してきたというのなら、覚えているのも納得だ。
父のことだから、警戒して娘に近寄る男の素性を徹底的に調べていようが、驚きはない。
「先輩昔っからそうなんだな」
容姿的に可愛い部類真っ只中な妹にパンダの飴を差し出したのが、下心込みであることもうっかり気づいてしまう。
俺は父親似なので可愛いとは間違っても言えないが、妹は親父とはひとっ欠片も似ていなくて可愛い容姿に可愛い性格をしている。
マカロンの包装紙を握りしめながらあーあ、とまた諦念と期待の針が振れた。
そんな俺の様子を見ていた父は、諦めたように息を吐いた。俺はちらりと父親に視線を向ける。
「昨日帰国したついでに、昔の知り合いと飯食ったんだ」
父は俺が手に持つ包装紙を眺め、ゆっくりと両の指先を絡める。
普段忙しく仕事に駆け回る父親が珍しく昼時に食堂にいることを不思議に思っていたし、俺がマカロンを食べている間も何かのタイミングを図るように傍に居たのは、この話を振るか振らないかを判断し兼ねていたのかもしれない。
「両親の会社の話を聞き出したついでに聞いたんだが、昼川に今度見合いの予定があるらしい。なんか聞いたか?」
先輩の名前に反応するように、包装紙がかさかさと音を立てる。
俺はゆっくりと首を横に振った。この世界は広いようで狭く、だれそれが結婚なんて話は特に回るのが早い。
その中でも、見合い結婚なんて本当によくある話ながら誰もが好きな話題で、誰もが話したがる話題だ。
「こういうものは、親が無理を言ったのかもしれんがな、……話をしてみるといい」
親父はゆったりと立ち上がると、仕事行ってくる、と言って食堂を出て行こうとした。
俺はぼうっとそれを見送ろうと意識を飛ばしかけ、はっと我に返る。
珍しく親父が食堂に居るものだから張り切って報告でもしておくか、と思っていたのにマカロンに話題を持って行かれていた。
「言うの忘れてた! 緋居田の株一昨日売り払ったから!」
振り返った父親は端正な顔立ちの好青年と称されていたかんばせに、あくどい表情を浮かべる。
「そりゃ結構。保って半年だ。……新機種の部品選定のニュース出てから一昨日株価若干上がったもんな」
「たぶん、あの新機種売れない。追加発注がない。……けど、この新機種用に緋居田は新しい機械入れて無茶してるから。よっぽど奇特な奴が手を出さなきゃもう無理だって踏んだ。受け取った分は昼川に回すよ、ものすっごく私情だけど」
昼川の……先輩の家の株を買おうかなあとは前々から思っていたが、ちょっとばかしの下心から良心を苛まれては、これまで思い留まってきた。
結局俺の勝手なんだけどなあ、と半眼になりながらも、家は家、先輩は先輩と上っ面の言い訳を自身に言い含める。
「昼川のどの会社?」
「一番古い工場持ってるとこ」
父親が口に出した会社名に、俺はうんうんと頷いて返す。
「緋居田が関わる新機種は失敗する、でもそのライバル機ぱっと見いい感じなんだよね。デザイン見たけどあの部品結構ヘンな造りでさ。
ちょーっとそのライバル機の会社のデザイン畑に探り入れたらさ、見事に画面周り新特許の嵐。作る機械も新しいのが要る、けどそれ以上に機械を使える腕の良い職人の数も要る」
「でもあの機種ウケそうなんだよな。俺も欲しい」
親父は軽く返すが、俺はその反応におや、と眉を上げた。
この話は親父にするまでもないかな、と独断で進もうとしていたが、どうやら間違ってはいなかったようだ。
「こんなん受けられるの新しい機械入れる資金力がバックにあってそれを運用できる古くからの職人が……人材の地があるとこくらいだよ。
お祖母様の会社に昼川への融資どうって言ってはみた、やだって言われたらそれまでだけど、お金はあの家なら突っ込んでもいいと踏んでる。あとは新機種が流行るだけだ。ね、親父んとこ、出版社のコネないかなあ? テレビとかにも俺コネ欲しいなあ」
にこにこと画策する俺に親父は仕方ない、と息を吐いた。俺はもらった、と内心ガッツポーズだ。
「記事について口を挟んでやってもいい。お前の名前を話してやるからそのライバル機を上手く推しとくんだな」
「雑誌のターゲットは三十代と四十代の男性は必須で!」
「分かってるよそんくらい、馬鹿にすんな。うちもなんか噛めないもんかね……あ。あとで連絡する」
腕時計を見る仕草から、どうやらもうタイムリミットらしい。
早足で食堂を出て行く親父に、俺は慌てていってらっしゃい、と声を掛け、浮かせた尻を椅子に落ち着けた。
「緋居田の父親は苦手だったけど息子は、なんか潰すには惜しい気も……。そうだなあ、関係あるとこに根回しするかな。うん、よし、潰れても、……はあ、良心痛むなぁ。俺こういうの苦手」
うんうん唸って、ふと現実から戻ってきて、見合い、のワードが頭を掠める。
見合いは俺の両親や先輩の両親からすれば当然ある話で、先輩の年齢からすれば先輩の両親が結婚を急がせようとするのも分かる。
先輩のあの年齢は、発情期を迎えるたびに食べごろもいいところだ。
「先輩のお父さんともお母さんとも話しかけて知り合いになった。先輩のお兄さんとも連絡取ってて、先輩がいる会社の株式いっぱい買って、将来預かる会社と先輩のご両親の会社との繋がりもちゃっかり増やした。
毎週毎週予定取り付けて押し掛けて、先輩のこと聞いて、クリスマスだって一緒に過ごす、のに……」
ぐす、と俺は涙を飲み込む。
お見合いを断らない程度には、先輩の中で俺という存在が友達以上ではなかったということだ。
俺は袋から最後の一個を取り出して、ゆっくりと口に含む。
「あー、あっまい……」
父親はアルファらしく傲慢で尊大で息子に対しても容赦はないが、先輩のプレゼントが欲しいから仕事をくれと言い出した俺に、適度に三日寝られない程度のきっつい仕事を振ったりこうやって情報を投げ落としたりするくらいには身内に対してだけは甘く優しくもある。
対して俺のほうはこうやってたくさん沢山、手を回しておきながらツメが甘いのだ。
若いからといえば言い訳にはなるのだろうが、親父を見ていると俺がこうだからアルファとして意識すらされないのだろう。
逆を言えばアルファと思えない程度の甘ちゃんな俺だからこそ先輩は懐に入れたのだし、俺が告白をしようものなら先輩はかわいくもない俺を家から締め出すんだろう。
「俺、オメガに産まれたかった……かも」
詮ないことを考えつつ俺はごろごろと机を転がり、弟に諌められるまで憂鬱なクリスマスを想い続けた。
クリスマスプレゼントだけはそつ無くこなそうと、厨房にちょくちょく顔を出しては作ってもらうクリスマスケーキの要望を出して、スケジュールを調整してもらって先輩の家を訪れる前にケーキは出来上がった。
生クリームと苺が大好きで、でもそれだけではないごちゃごちゃと果物がのったケーキが好きだと言った、先輩が好きそうなケーキにサンタが色を添える。
サンタの顔が可愛くなるよう俺はいちいち口を出し、料理長に「悟司様が描けばいいじゃないですか! どうぞ!?」とか言われてごめんなさいと謝った。
俺は出来上がったケーキにたいへん満足し、先輩にプレゼントとして渡すはずだった予算分を飲み会の足しにでもして、とこき使った料理長に押し付けてきた。
右脇にケーキの箱を抱えて、左手にちょっといいシャンパンを持って、玄関のベルを鳴らす前に俺はふと聞かなければいけないことを反芻する。
「……やっぱ、なんで見合い受けたのか、聞かなきゃだめ、だろうな」
そして、俺には望みはありますか、と聞かなきゃだめだろう。
見合いをしていずれは結婚するような人が、友達とはいえちょっと前のクリスマスにアルファと会っているのは、だめ、だろう。
望みがあるのなら見合いを止めてもらうように頼まなくてはいけないし、そうでないのならケーキとシャンパンを餞別に、何もせずに帰らなくてはならない。
数ヶ月そこらの付き合いではなくて、その間中俺は先輩が先輩が、と追い掛け回して、先輩のためになることをずっと考え続けてきて、それが無くなってしまう空虚感が胸にどっと襲った。
俺は、ぐっと玄関のベルを押し込み、聞こえた先輩の声に名乗る。ちょっと浮かれたような、機嫌の良い先輩の声にじくじくと胸が傷んだ。
「遅かったな」
普段よりもワントーン高い声に、先輩がこの日を楽しんでいるらしいことが分かる。
例え友達とはいえ、訪れを喜ばれていることが胸を刺す。
「時間通りでしょ……、え? 遅れてないですよね?」
遅れてないよ、と先輩は頷くのだが、何で遅かったなんて言うのだろう。冗談かな、と俺は気にすることなく玄関に立つ。
ふわりと鼻先に肉の焼けるいい匂いが届いた。先輩のことだからちょっと凝った料理を作っているのだろう、口に入れられないのが残念でならない。
俺は先輩にケーキとシャンパンを預け、先輩はそれを一旦玄関のチェストの上に置き、俺のコートを受け取ろうと手を伸ばした。
俺は、その手を遮るように押し返す。手袋越しの体温が勿体無く思えた。
「先、輩」
少し震えた声の響きに、先輩は訝しげに首を傾げ、差し出した手を引っ込める。
俺はすっと息を吸った。おそらく、口に出さなければ先輩はこのまま見合いをして、そのうち俺とは付き合わないと言い始めるのだろう。
それが一番自然で、平穏に離れる方法だった。
でも、それだけは、ここまで育ててきた関係を全て否定するような気がして、とてつもなく嫌だった。
「お見合い、なんですけど」
「…………ああ」
先輩はえっと、と言葉に詰まるが、その頬がぱっと染まるのが見えた。
悪戯好きの父親の言葉が嘘だったとか、そんな期待もあったのだが、先輩の反応を見る限り、この話は先輩の知るところだったのだろう。
ああ、と俺は確信した。きっと、もう俺はこのまま帰ることになる。
「なんで、受けたんですか。……違うな。…………断って、貰えませんか?」
え、と先輩の表情が曇った。先輩は言葉を失ったように立ち竦むと、冷えた指先を擦る。
踏み締める玄関から足元に冷たさが襲うような心地だった。無言の時間が、呼吸音が体温を吸い取っていく。キッチンから届く暖気も、何かに遮られたようにここには届かない。
「…………見合い、するの。ダメなの?」
窺うように放たれた言葉は、俺には残酷に聞こえた。答えに口籠る。
「…………俺、こんなんで。お前とかよりずっと歳いってるし。趣味もヘンだし」
うん、と俺は思ってもいない相槌を打つのだが、頭の中ではさっきの言葉がぐるぐると回ってまともに言葉が出て来なかった。
ケーキもシャンパンも手渡しておいて良かったと思った。きっと、持ち続けていたら取り落としてしまっていただろう。
「ずっと、縁なんてもんなかったから。見合いの話、正直、ちょっと嬉しかったんだ。やっと、ずっと一緒に居るひとができるんだ、そっか、番なんだ、って」
そっか、と先輩は呟く。
「家に帰った時に迎えてくれる人がいること、を。俺が、こんなのが、ちょっとでも、……期待しちゃ、ダメだったのかな」
違うんだ、と俺は言いたくて唇を噛みしめる。
見合いをして欲しくない訳じゃない、先輩に幸せになってほしくない訳じゃない、ただ、先輩は、俺が幸せにしたかっただけだ。
誰よりも先輩が幸せになるように、俺が、ずっと隣に居たかっただけだ。
言わなければ良かったのかもしれない、このまま先輩が結婚するのを見送って、友達として付き合っていられたらこうやって先輩を傷つけることもなかった。
「……ごめんなさい、変な事、言った」
「いや。半分は予想してた。あ、両親にも……」
「帰ります。今日、この話だけしようと思って来ただけだから」
先輩が何かを言おうとしているのを振り切って、俺は踵を返す。背後から慌てたような先輩の声が掛かるが、俺はドアを開けて大股で外に出た。
「……ご飯、作ってて……勿体無いし……! せめて、あの、持って帰ってくれるか?」
小さい声だったが、周囲に音はなく、俺の耳にはまっすぐに届いた。その声が唇のわななきで震えていることも分かるくらいに、しっかりと鼓膜を震わせた。
「ごめんなさい。もう。俺、先輩のご飯は食べられない」
俺は振り返り様に、言葉を叩き付ける。
もう先輩には会わない、隣で笑うこともない。お菓子を貰うことも、一緒に食卓を囲むこともない、それは先輩の、先輩だけの番の役目だ。
結局、俺は友達でいる間に、先輩に意識しても貰えないままに先輩が幸せになるのを見送るのだろう。
これでは、ただ、先輩が幸せになるのを僻むだけの人間だとしか思われなかっただろう。
先輩の傷ついたような瞳がフラッシュバックする度にちくちくと胸を刺す。風が冷たく、泣いた傍から凍りつかせるようだった。
それから俺は先輩の実家の会社への融資の話を中心に父親の仕事の渦に放り込まれた。
何も考えずに済んだのは良かったのだが、あれからクリスマスに泣きながら帰って来た俺に父親は大層驚いていた。
弟と妹は俺を落ち着けようとしてもらい泣きを始めてしまって、その後帰って来た父さんがえええどうしたの皆して、と驚きながら宥めてくれるまで泣き続けて食べ散らかす散々なクリスマスだった。
その後父親は俺を仕事へぽいっと放り込んでくれて考える暇はなくなったし、父さんはこういうクリスマスもインパクトあって良いよね! と笑いながら更に仕事を追加してくれたので、更に考える暇は微塵も無くなった。
一応父親には先輩と話してだめだったこと、せっかく教えてくれたのにごめん、と言ったのだが、父親は苦虫を噛み潰したような非常によろしくない表情を浮かべた上で、数日何事かを考えているようだった。
「だから父さん俺ね、先輩のあしながおじさんやるんだよ! 俺はお金を稼いでいつか先輩の支えになる! 権力握る!」
「うんうん悟司のそういうとこ、お父さん大好きだよ」
「だよねだよね! 前向きに、努力努力ひたすら努力! 押して押して、先輩がお見合い失敗するようなことがあったら脇から掻っ攫うんだー俺!」
空元気かもしれないが、横でわー、と手を叩いている父さんに俺はもぐもぐ朝食を頬張りながら宣言していた。
俺は外見は、まったくもって親父に似ていると言われるが、精神的なタフさはきっと父さん似で間違いない。若干のストーカー気質とかもきっとそうだ。
父さんは学生時代に親父を追って追って追い回して落とした、とえっへんと胸を張っていたので、確実にその血を引いていることは間違いない。
「でね、お父さんそんな悟司にちょっとプレゼントがあってね。着替えて欲しいんだけど」
「うん?」
今日の予定は父さんとデートの筈で、俺はようやく訪れた休日を楽しむぞーと予定を立てていたのだが、父さんがそう言うのならば否はない。
俺は父さんに導かれるままにややフォーマルな服を着せられ、髪型を直され、立ったところをよしよし、と頷かれる。
「やっぱりいい男。悟司は一途で、お父さんに似ず正直で素直なところが僕は好きだよ」
父さんは俺を見て、そっと頭を撫でた。
「だから、ちゃんとまっすぐ伝えておいで。好きな相手一人くらいには、素直にね」
父さんは俺の手を引くと、玄関まで俺を導いた。
玄関前には送迎用の車が付けられていて、俺は首を傾げる。父さんは俺の背を押して車に乗り込むと、運転手も行き先は承知しているようで、すっと車を出した。
何処行くの、と聞いても父さんは教えてくれなくて、可愛らしく「ないしょー」だとか笑っているだけだった。
「父さんが内緒とか怖いなあ。最近親父もなんかこそこそしててさあ」
「へへ」
いい所だよ、と笑う父さんが導いたのはやたら高級そうなホテルで、俺は目を瞬かせた。
慣れたように車を停め、かつかつと歩く父さんの脇でホテルの従業員が父さんに話し掛ける。
父さんは従業員と何事か会話を交わし、九階、と俺に言って足を向けた。
「最初に謝っておかなきゃいけないことがあるんだ」
「……へ?」
父さんはエレベーターを待つ間、俺を振り返ってくすくすと笑う。
「元々昼川さんとこから言われてはいたんだ、うちの子ってどうでしょう、って。結婚前の二人がふらふらしているのも長くなってきて、婚約を親が切り出すのは厚かましいでしょうか? って。悟司が昼川さんとこの息子さんベタ惚れなのは皆薄々気づいてた。
でもね、たぶん君のもう一人のお父さん……ね、海外出張帰りでさ、僕から聞く前に、別の人からお見合いの話聞いたんだろうね」
許してあげてね、と前置きして父さんは俺の肩をぽんぽんと叩く。
「昼川に見合いがあるぞーって言った時、見合いの相手がまさか悟司だなんて知らなかったんだって」
「はい?」
「このお見合いさ、元々悟司と三岳さんと婚約でもしますか? 本人たち煮え切らないわりにずっと半同棲、家入り浸りだし、って話から始まったの。本人はさ、話せばこんな簡単な誤解だしここまで拗れるなんてってあんな顔して若干ヘコんでて、可哀想だからこうやって僕が出張ってみた」
父さんはエレベーターに乗り込み、階数のボタンを押す。再度えっへんと張る胸は茶化しながらも凭れたくなるほどに頼りがいがあった。
「悟司に、三岳さんは言ったんでしょう。『嬉しかった』って」
父さんはにっこりと俺に笑いかけてみせた。
「だったらきっと、悟司とお見合いするの、嬉しく思ったんじゃない?」
先輩の言葉、ずっと泣きながら思い返した言葉が、ふわりと蘇る。
『家に帰った時に迎えてくれる人が居ること、を。俺が、こんなのが、ちょっとでも、……期待しちゃ、ダメだったのかな』
相手が俺だって知っていながら見合いを受けて、やっと一緒に居られると喜んで、番になれるんだって嬉しがって、クリスマスだって、料理を作って待ってて、それなのに俺は言葉を遮った。先輩ならこんな仕打ちを受けたらぬいぐるみに埋もれて泣く。
クリスマスを空けてくれて、あんなに嬉しそうに訪れを待ってくれるような人を、どうやら俺は大層傷つけてしまったようだ。
「父さん、俺、なんか、……先輩ひどいって、思ってたんだけどさ。話も聞かなかった俺、相当ダメダメじゃない?」
「ほんとに、それでご飯も残して帰って来てね」
でも一番悪いのはお父さんかなあ、とけらけら笑っているあたり、番に対しては父さんは容赦が無い。
それでも、俺は親父と父さんの二人のように先輩と在りたかった訳で、ふわふわと親父を思い出し笑いをする父さんは大事な時に情けないとこ親子って似るよねー、とたいへん幸せそうに表情を蕩けさせる。
「……あー。先輩、泣かせたかな」
「振られましたって連絡来てた。ケーキ美味しかったですって、しょっぱかったけどって」
え、と俺は父さんを見下ろす。父さんは得意気に携帯を振った。
「実は友達! いえー」
予想もしない繋がりに俺は額を押さえるが、自分もまた先輩の親族に下心を持って取り入ろうと画策したのだからこういう繋がりがあってもおかしくはない。
外堀埋めようって考えからの行動パターンがそっくりなあたり、血筋と育ちは侮れないものだ。
「うっそお」
「だからちょっと待ってとは言ったよ、きちんと話させるし引っ張ってくるからって」
エレベーターの扉が開く。ここまで来てこの先に何があるかなんて分かり切っていた。
「というわけで、ホテルの部屋は長期で借りてるとこだからご自由に。言いたいことを言う準備は出来た?」
「うん、ありがとう」
向こう、と指差された扉を開き、俺は足を踏み出した。
扉を開けた瞬間、先輩が驚いたようにこちらを見て、その瞬間、じわりと瞳に涙を浮かべた。
窓辺で光を受ける先輩が、浮かび上がって慌てているのが非常にかわいくて、ああ、と俺は何度もなんども先輩の姿を噛みしめる。
「あ……」
あれを言おう、これを言おう、と思っていた言葉が全て吹っ飛んで、俺はすっとその場に膝を突いた。
「すいませんでした!」
静寂が場を満たし、どくりどくりと血液が身体中を巡る。俺はただ床に膝を突いて、頭を床に擦り付ける。
コツ、コツ、と床を歩いてこちらに近付く足音が聞こえて、すっと目の前に先輩がしゃがみ込む。
「…………うーん、謝ってほしい訳じゃなくてな……」
「好きです!」
数瞬の沈黙の後、顔上げて、と優しい声が届き、俺はおそるおそる顔を上げる。
「……やっと言った」
耳元でひそりと好き、と言葉が落とされて、ぶわっと体温が上がる。
初めて先輩からこんなに優しい言葉を貰えたのはいいが、先輩の匂いがこんなにも香るのは初めてで、あれ、あれと鼻を鳴らす。
「先輩ごめんなさいぃ……俺もうすっごく誤解してて先輩とお付き合いも見合いでも結婚でもしたいんですほんとなんですー!」
「うそー。クリスマスに俺放って置いたしな?」
「あーやっぱ根に持ってるこのひとー!!」
「向こう数年は言い続けてやるわバーカ」
しゃがみこんだ先輩は珍しくにこにこしていて、ふんわり緩む目元が普段よりもかわいく見えた。
責めているはずなのに、先輩自身は言葉とは裏腹にごきげんな様子だ。
俺はあんなにひどい事を言って、あんなに酷い振る舞いをしたのに、先輩は、この様子だと許す気のようだった。
「だから俺先輩が別の人とお見合いすると思ってて、あんなこと言って……」
「うん、そりゃお見合い止めて下さいって言うよなお前なら。ちゃんと聞けばよかったな」
「ほんとは俺先輩好きですー!」
「知ってる。さっき聞いた」
先輩は俺の頭を抱きしめると、よしよしと撫でてくれる。
俺はすんすんと先輩の匂いを吸い込みながら呼吸を落ち着けた。良い匂いも相俟って非常に役得だった。
ぎゅうううと先輩を思う存分抱きしめて俺の俺の、と主張する。
「……チューしていい?」
「是非に!」
俺の勢いに先輩は吹き出すと、そっと俺の両頬に手を伸ばし、唇に触れた。ちゅ、と先輩の頬にキスを返すとやはり匂いが普段よりも甘ったるい気がした。
「先輩、先輩。体調悪い? いつもと違う匂いがして……」
先輩がぼっと顔を赤らめる。
俺がえっ、と込めた力を緩めると、床に視線を落としてもごついた。先輩が僅かに指先を擦る、緊張しているとあからさまに分かる仕草だった。
あの、あの、と言葉を戸惑わせる先輩の様子は、身体つきよりも随分小さく見えた。
「発情期近いのかな、……俺でさえよくわかんないのに、アルファには分かっちゃうのか。いや、いつもべったりだもんなお前」
甘さがふわりと鼻先に届いたのを認識してしまって、つられるように体温が上がる。
フェロモンというものを間近で認識したのは初めてだったが、先輩のそれは刺激が強すぎた。
「……先輩、先輩もっとぎゅっとしたいしキスもしたいけど、ダメだ俺」
「へ? 嫌いな匂いする?」
「甘いいい匂いすんだけどこれ絶対フェロモン漏れてるから! 俺……先輩は大事にしたいし」
ギャー! と内心パニックになりながら天を仰ぐ。認識したら転がり落ちるように、誘われているように感じてしまう。
甘い匂いがふわふわ漂う度に熱が上がり続けている。
噛み付きたい、触りたい、最終的には是非突っ込みたいし啼かせたい、俺はじり、と後退った。
「……俺、明日まで予定空けてて。べつに……その、い、いんだけど」
目元が染まった先輩が俯いて唇を舐めた瞬間、俺はその口元に齧り付いた。
そっと唇に触れると、握った掌が僅かに震えた。
シャワーを浴びたはずなのに匂いは消えることはなく次から次に溢れてくる。匂いを確認するように首筋を辿り、唇を伝わせて軽く歯を立てた。
肌が色付くのを満足気に見つめ、かかる息に反応する身体を愛おしく閉じ込める。
「身体、適度に肉付いてて安心した。押し倒して折れたら困る」
キスマークなんて上手く付けられない。
ぼんやりしていて明日には消えてしまいそうで、追い縋るように同じ場所を強く吸う。吸い付く俺を先輩は甘ったるい眼差しで眺める。
胸元から腹部に掌を伝わせると、反応するようにぴくりと動く。張り詰めているような筋の動きに、先輩の身体が緊張に満ちているのが伝わる。
「オメガにしては肉はまだあるほう。お前は、でかいな」
腹部をぺたぺたと撫で回すと、やめろと蹴られる。
握ったこぶしが僅かに開いたのを目の端に捉えて、成果は上々だと口の端で笑った。
大事な仕事の前にがちがちに緊張する先輩を、何度他に視線を向けさせて緊張を解いたことだろう。
「俺んとこアルファばっかだから、オメガの平均ってよく分かんなくってさ」
「ああ、明月の男兄弟は皆長身で壮観だよな」
お前も含めて、と手を引かれて頭をくしゃくしゃとかき混ぜられる。額にキスを受けて、じわじわと愛されている実感が湧いた。
好きだと言われはした、が友人でもいいんじゃないかだとか明日にでも言われることを恐れていた。
普段よりも恋人らしい触れ合いを与えてくれることに安堵する。
「でも、お前が一番。表情豊かでかわいい」
オメガじゃないから可愛くないもんだとばかり思っていたが、先輩のかわいいの範囲は割と広いらしい。
バスローブを落として胸元に舌を這わせようとすれば、だめ、と手のひらで押し返された。だめとかナシ、と手のひらを押し返して、先端に吸い付く。
「てめ……っ、くすぐったいんだよ……ひ」
ぺろぺろと舌全体で転がすと、先輩は快感よりもくすぐったさが勝つようで全身で押し留めようとする。
ぐいぐいと力任せに押しやろうとするのを受け流して、その腕をシーツに押し付けた。
「でも先輩、こどもができたらおっぱい出ないと」
「出ない人も多いの! いーやーだー、ほんとくすぐってえ…やめろよ。吸うなって……」
含んで、吸って、転がして、片方は指先でこねくり回す。小刻みに刺激を加えるとぷっくりと柔らかく膨れた。
出ない人も多いのだとか言われたが、この先端から白いものが滴ったら、生命の神秘だとかそういうものを表面上考えつつ、ああ吸いたい、と考えてしまうかもしれない。
「大きくなって、赤くなってきたよ。先輩のここ、これから俺がずっと可愛がってあげるね」
膝でぐりぐりと先輩の股間を擦ると、やんわり起き上がっているのがわかる。くすぐったいくすぐったいと言いながらも、気持ちいいんじゃん、と楽しさがむくむくと湧き上がる。
抵抗を諦めたらしい先輩はどうしていいのか分からない、というように俺の肩に掴まった。
ん、ん、と僅かな声が断続的に耳元を揺らす。唾液を染み込ませるように舌を回すと、膨れ上がった突起が物欲しそうに揺れた。
「まだ、くすぐったい?」
「ん」
そっか、と俺は笑って先輩の股間を掴む。
「ひっ……! な、なにすん」
先輩っぽく至って普通だなあ、と考えながらやんわり握り込んでサイズを確かめた。
「俺暴発しちゃう、から、がっついてごめん」
先端を突っついてつい、と指を滑らせつつ、ちゅうちゅうと胸を吸う。
乳でも出ないもんかな、と汗の味がするその部分をしゃぶり、竿を擦って上下させる。
素直に反応する先輩は肩から手を外せずにいて、戸惑いだとかどうしていいか分からないらしい初心な感じとかがものすごく股間にきた。
「……ぁ、ぃい、そこ、……きもちい」
ふふ、と笑って袋の縁を引っ張ると上からひゃ、と声が漏れた。先端を撫で回して先走りを塗り広げ、先輩の気持ちいい所をたしかめる。
「俺ばっかり…気持ちい、の、……だめ、だめだろ……」
触らせて、と目を潤ませながら言う先輩がだめだ。股間に伸ばされる掌を制して、むう、と頬を膨らませる先輩のおでこにキスで宥める。
これ以上視覚で奉仕されてしまうと一回インターバルを挟ませて頂く羽目になる。
「大丈夫だいじょうぶ、すーぐ先輩のがきつくなるよ」
エヘヘ、と俺がローションのボトルを持ち上げると、先輩は僅かに身を起こして目を見開く。
先輩の様子にも、我関せずと言った体で無視して蓋を開けた。
「いつ買ったんだそんなもん!」
「さっきゴム買いに行った時に一緒に。先輩の初体験を気持ちよくって思って」
「……初体験って、俺そんなこと言ったっけ」
「カマかけただけー」
エヘヘヘ、と俺が笑うと先輩はぼすっと力が抜けたようにベッドに倒れ込んだ。先輩の身体を反転させて背中にローションを垂らすと、びくりと身体が跳ねた。
薄めていないためべたつくが、量があれば問題無いだろう。親指で背中に塗り広げてそのまま尻に手のひらを下ろす。
むっちりした臀部を撫で擦ると気持ちわるい、と抗議の声が上がるが、俺はここぞとばかりにねっとりと揉んだ。
普段ジーンズに包まれた尻の感触が感慨深く、ぴたぴたと肉を摘み上げては指を埋める。
人差し指を伸ばして窪みの付け根からくい、とに滑らせると先輩は身体をひくつかせて黙り込む。
「ほら、滑っちゃう。入っちゃうね」
「……う。挿れなきゃダメ?」
人差し指をぐるんと回しながらだーめ、と耳を舐める。ローションを足して指を増やす。熱くて、ぎゅっぎゅっと食い締める感じが抵抗されているようで堪らない。
先輩自身は俺を受け容れる気でいるのだろうが、慣れていない先輩の身体が気持ちとは裏腹に受け入れきれていない。処女地を踏み荒らす嗜虐心が満たされて溜息を吐く。
「う、ぬるぬるするぅ……、それ前に付けんな……」
先輩の息子だってぬるぬるすれば気持ちいいかなとサービスしてみたのだが、あまり感じたことのない感触に反応は顕著だった。
先程よりも滑りが良くなった往復に、明らかに声で反応を返してくる。
「あ、あぁ……、ン」
「ねえ、今日はやめたほうがいい?」
動かすなと言われれば一生懸命動かしたくなるのが男心で、でも先輩がここでちょっと挿れるのはまだとか言おうもんなら……待てができるのもまた男心だ。
俺はがつがつと先輩に飲み込まれないようにしながら、ただひたすら待っている。
先輩が後ろをひくつかせ、俺の指を受け入れ、押し出すように抵抗しているそこに俺を埋めてしまいたい衝動を、まだ殺せる。
「お、おれみたいな、こんな、可愛くもない、誰も欲しがらないの分かってるけど……!」
先輩は潤んだ瞳を俺に向ける。
「お前が欲しいって言うの、を信じたい、って……初めて、思った」
俺が見合いをしないと言ったのを言葉通りに信じる人だ、ケーキを泣きながら食べる人だ、可愛いものを可愛いと蕩けた瞳で見る、かわいい人だ。
貰ってくれねえの、といじけたように言う先輩に、ください、と笑う。
「先輩をください、あと、要らないって言っても俺あげます」
ゆっくりと指先を抜き、ゴムの袋を破る。
いつか、この膜無しに、生殖の為にも先輩を抱きたい。先輩の内壁に子種を擦り付けて、肚をいっぱいにしてしまいたい。
でもそのためには、準備が、たくさんの準備が必要だ。先輩を確実に幸せに、俺と一緒に幸せになる準備をして、そうして、何よりも先輩が望むのなら、だ。
先輩の後腔に先端を引っ掛けると、ぐちゅ、と音が鳴る。
「あぁ……先輩のここに、入っちゃった」
「あ、あ……!」
先端を含ませ、腰を揺らす。
腰を掴んでゆっくりと、ゆっくりと味を覚えさせていく。揺すっていくうちに縁はぎりぎりまで拡がり、腹の奥まで俺を迎えてくれる。
「ゆーっくり俺、入ってる……! 拡がっちゃう、先輩のここ、俺を覚えちゃうね」
ぐち、ぐち、と粘度の高い液体が重い音を立てる。
拓く身体が逃げを打つ度に力いっぱい引き寄せて抵抗を殺す。先輩が受け入れているのではない、俺が押し拡げているのだ。
先輩の準備なんて整ってない身体を、時間を掛けてあたかも受け入れているように錯覚させてただ突き入る。
「……先輩はココがいいんだっけ?」
「ンっ……! あっ、い」
「そう? ……良くない? 良くないならもっと……奥、突かなきゃ」
「イイって言って……! ひぅ」
ぐっと腰を突き出す。ぱつん、と肌を打つ音がする。縁はいっぱいまで拡がり、切れんばかりに塊を呑み込んだ。悲鳴のような嬌声が耳を突き抜ける。
「……あぁ…ああぁン………!」
がくんと倒れ込み、肩で身体を支える先輩の腰だけを持ち上げて、寝台に押し付けるように奥まで押し付けた。
こんな頼りない身体を力任せに揺さぶって、押さえ付けて、先輩の意に反することをするなんて考えたことなんてなかった。
それでも先輩は怒らない、ただ、俺を受け容れようと息を整えるだけだ。
「……やっと、奥に着いた。子どもをつくるときは、……ココを、いっぱいにするんだよねっ」
「こんなとこ……まで、届いちゃっ……! あっ、あっ」
ぐりぐりと押し付けて、引いて、抽送を繰り返す。ぱん、ぱん、と皮膚を押し付け、粘膜を擦る。
あんなにきつかった内部は、俺を覚えたように適度に雄を締め付ける。
引き抜こうとすると吸い付くように、押し付けると歓迎するように、体温が心地良い。
「や、奥まできてる。……あ、あ、もう、……い」
「俺も、いきた…いきたい……っ」
ごり、と奥を抉ると先輩が身体を震わせる。その引き絞る感触に引かれるままに熱を吐き出す。
膜越しに呑み込むように搾り取ろうとする内壁にぴったりと添う。
「なん……っ。…あぁ、ああああっ……!」
ゴム越しに先輩の肚に欲望を叩き付ける。
「………っ、あぁ、イイっ、です。……すっごく!」
吐き出している間も挿し引きを繰り返し、感覚を先輩に塗り込める。
びくん、びくんと余韻に震える先輩の腰を持ち上げ、もうちょっとだけ、とその内側に留まった。
普段肉体派でもなく、精魂尽きた、という死に体の先輩はされるがままに揺らされ続ける。
抗議の声を上げる気力もないように、あ、あ、と揺れと同時に齎される快感に声を漏らすだけだ。俺はそれをいいことに最後の一滴までを先輩の中で吐き出し尽くした。
ただ、余韻というものは続けていると別の波を生むもので、困ったことに男の性は正直だった。
「……やべ、あと何個あったっけ」
先輩はぴくりとシーツに沈み込ませた指を動かすと、まった、とか細く声を上げる。
「ま、だすんの?」
ぶるぶると震える先輩は俺の言葉の意図を正確に汲み取っているらしく、もうないよね? と表情で訴えかけているが、俺は笑顔でその訴えを却下した。
最初はちょっと気持ちにまかせて早漏気味だったかもしれない、上半身も愛し尽くせていない、ここらへんで本来の耐久力を味わってもらいたかった。
「五。まあ、こんだけあれば治まるんだけど……今日のところは」
ふう、と息を吐いた俺に先輩はぶんぶんと首を振る。
手早く次のゴムの包装を破る俺を邪魔しようとすらするが、俺はひょい、とそれを避けて次の準備を整えた。
「いらない!」
「要らないって言っても俺はあげます。ついでに俺の息子もあげます」
その後も抗議しようとする先輩を突き上げて黙らせる。嬌声に変わる声を耳で味わいながら、柔らかくなった場所をまた新鮮に思いながら身体を食べ尽くす。
快感が引ききれていないのか、痙攣するように食い締める内部が今度は違った内壁の感触を伝えてくる。
「……へんたい……、かわいくないぃ……!」
「俺は変態ですけどかわいいです。先輩だけの俺です、はいはいここ気持ちいいでしょー」
「…………あぁん!」
二回目の先輩もまた非常にかわいかった。
epilogue 昼川三岳
「こんばんは。退屈ですね」
パーティにお呼ばれして退屈だとのたまうその豪胆さに目を見開きながら、ああ、ハイ、と面白みもない言葉を返す。
初めて見る顔だったので一通り自己紹介をすると、その青年は鵜来悟司、と名乗った。
ある程度手伝いを雇う余裕のある家にいれば知っている事だが、鵜来という苗字自体は珍しいものであっても、鵜来を持つ人間は珍しくない。
鵜来はお手伝いさん、執事さん、という屋敷を守る人たちの家系だ。
だから俺は青年を見て単純にああ、旦那様の好意でパーティに客として呼ばれた若い執事見習いさんかな、と考えた。
いい家に勤めている執事とはいえ、いい家系のご子息よりも話が合うかもしれない。退屈を持て余していた俺が料理について話を振ると、ぽんぽんと言葉が返る。
お互いに持っているのは炭酸ジュースのグラスで、顔も赤らんでいる様子もなく、会話のテンポもくるくると回る。
「新玉葱美味しかったろ」
「うん。俺新もそうじゃないのもそれぞれ好き」
なんとも頭の悪そうな会話である。
通りすがる人々はあらそのネックレス素敵ねだとか御社のお陰でどうこうというお金持ちらしい会話を繰り広げているのに、その脇ではたまねぎの美味さを語り合っている訳である。
悟司はぱっと見で文句なく背が高く適度に幅もあり、好青年風で清潔感もあり、うっわあやっぱり執事って顔で選ぶのかなあとか考えつつも警戒する余地もなくついぺらぺらと喋りすぎてしまう。
にこにこと聞いてくれる悟司がまた面白そうに喋り始めると、俺はその整った容姿を眺めながらへらりと笑ってしまった。
「あ、もうちょっとしたら俺おいとまするので、連絡先教えてくれますか? さっき話した店行ってくれる人探してて」
「あー、俺もケーキ屋行きにくいわ。二人ならいける気する」
「でしょー! 行ってひよったら持ち帰りましょうね」
何でもない言葉だったのだが、ひよったら、と言う言葉と色が薄い悟司の髪を見てピヨピヨと鳴くあの愛らしい小鳥が脳裏を走り回る。
俺は笑いを堪えながら携帯電話を出して連絡先を教えた。連絡するので、という言葉をこの時は半分以上疑っていた。
パーティでの言葉は基本的に社交辞令で、どんなに表面上にこにこ笑っていてもその裏なんて一般庶民にはよく分からない。
執事見習いで一般庶民寄りとはいえ、お給金は破格でそこらへんの会社勤めよりもいいくらいの世界だ。
俺みたいな家を出て現在は親の支援を受けていない次男三男よりも、あの顔であの人好きのする性格だったら付き合う相手も上等な人ばかりだろう。
と、思って、最初の連絡は二日間くらい気付かず放置したにも拘わらず、だ。
「先輩! ほら、明月三岳ってかっこよくないです!? 山と月、ね、画が浮かぶようで!」
「婚姻届印刷すんのも練習だって書いて喜んでんのも別にいいんだけどまだお前若いし……」
普段通りに俺の部屋に入り浸って婚姻届をきらきらした瞳で見つめている青年は、仕事帰りでスーツ姿のまま帰宅してすぐにその遊びを始めた。
ひとしきり照れながら婚姻届をプリンタで印刷したかと思いきや、本物同然に名前を書き込んではうっとりと見つめているのだ。
「お付き合いってもうちょっと、長い方が、お互い価値観の違いとか、何があるか分からないし……」
「……友人付き合い長かったけど、付き合って数ヶ月じゃまだ先輩が信用できないのは分かってます。でも俺はもう先輩だったら一生を付き合えるって覚悟ができたから、先輩が信用できたら教えてください。いや、数ヶ月に一回くらいは定期的にプロポーズしますからオッケーならうんって言ってくださいね! そうしましょう!」
「いや、婚約はしてんじゃん。プロポーズは、また、違うのな……。あーそっかー」
あの時に出会った好青年は、その後すぐ連絡をくれて、二日後に帰って来た返事に速攻で電話してもいいですかと書いて寄越し、電話してすぐに約束を取り付け、数週間後には家に上がり込み、一ヶ月後にはそういえば風邪の看病を理由に合鍵を持っていた。
干物のような生活を送っていた人間には存在自体が眩しく、絆されつつ居座られることを許していたら家族に「お前んとこにヤバい家の御曹司が通い妻してるけど大丈夫?」と言われ、苗字をどうやら偽られていたらしいと知ることになったのはいい思い出だ。
偽名を名乗るのは無用なトラブルの回避のためには已む無しと感じたし、相手も家柄に関係のない友人が欲しいんだろうと知らないふりをして月を重ねていた。
が、結局アルファとオメガが友達だとか言いつつだらだら会い続けているのは外聞がよくないのでここらで決着付けましょう、と。
ちゃんと家ごと付き合うのかもう会わないかをはっきり選べと遠回しに言われ、「家ごと付き合うことにしたいです」と伝えた。
お金持ち特有の世界が嫌で、自分の稼ぎだけで生きてみたくて家を出た。だから、悟司が本当は執事見習いであってくれたほうが、まだ、こんなに時間を掛けて覚悟を決めなくて済んだ。
あの世界に戻ったら、嬉しくもないのに笑わなくてはいけなくなる。自分の下には大勢の人が居る。一般庶民で小心者には生きづらい世界だ。
でも、あの世界に悟司が生きているのなら、隣で背伸びをする覚悟を決めなくてはならなかった。見合いを受けることで悩んだことがあるとすれば、好き嫌いよりも、もっと俗物的な柵だけだ。
逃げても良かった、お家の間の付き合いなんて面倒だって逃げても良かった、でも逃げたらきっとこの男は滂沱の海に沈むのだろう。
愛も情もある、恋人未満の間は愛をもって過ごして、結婚だかなんだかは情で決めた。
「お前はまだ若いし……、俺が嫌いになって離婚とかになったらバツイチだぞ」
「先輩だって若いですし俺が嫌いになって離婚とかになったらバツイチです」
「そうか一緒か」
「一緒です」
決着を付けてみたところ、相手にも友人じゃない関係を望まれていたのは僥倖だった。
慎重なほど避妊は気を遣われているし、結婚はしたいと言われても、その言葉の最後はいつまでも待ちます、という言葉で終わっている。
待て、のできる年若い番は、どうやら社会的にはよく出来た男らしい。
両親共に社長、祖母も社長というサラブレッドで幼い頃から経営者として育った。
幼い頃からそんな生活をしていれば顔も広く、学生時代にベンチャーを起こして軌道に乗った段階で両親のグループ社員から社長を当てる、というのを二度ほど繰り返して二方面の新規事業を興した功績を評価されている。
絶対こいつのことじゃないなと思って尋ねたらインタビューを受けた経済誌が並んだ棚を指差され、開いたら悟司がスーツ姿でそこに居た。
褒めてほめて、と言わんばかりに待てをする本人を前に、やっぱり別人じゃないのかと首を捻った覚えがある。
よくできるヒヨコと触れ合っていたら何故か懐かれた上に、ヒヨコはヒヨコではなく白鳥でもなく何故か鷹だったような気分だ。
既に両親の会社の一部は握られているようだし、両親とも兄とも親しい、会社同士の繋がりもいつの間にか共同プロジェクトやら融資で深まってしまっていて、婚約がご破算にでもなったら一族が立ち行かないレベルには、気づいたら王手を掛けられていた状態だ。
アルファであることを疑っていたこともある。
けれど、俺が猶予を与えていた間に、年若い優秀な番は俺以外の全ての準備を整えきってしまった。
後は、完敗だ、と俺が両手を挙げるだけだ。
「指輪買ってくれたら苗字変えてもいい」
「安いですね」
「……じゃあ、万単位のやつにして」
「……だから、安いですよ」
出してくれることにほっとして、ようやく頷いてみようかとその肩に寄りかかる。
好んで選んだ途を戻って、色々なものを奪われて、得たものはこの隣にいるかわいい存在だけだった。
きっと、俺は物好きにちがいない。
「嘘。指輪なんて高いもん要らないから、結婚しようか」
「…………。っ、それは、俺の台詞ですよ。結婚して下さい。三岳さん」
「はーい」
「まじめに返事してくださいよー。ほんとかわいいなあもう」
ぐりぐりと撫でられる感覚に揺られながら、俺は隣でこっそり笑った。
かわいいのは、お前のほうだ。