君の番は俺なので

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この作品にはオメガバース、男性妊娠要素が含まれます。

 

 

【人物】
須賀 葵 (すが あおい)
明月 賢吾(めいげつ けんご)

高嶺 七緒(たかね ななお)

須賀 圭次(すが けいじ)/暮見 圭次(くれみ けいじ)
須賀 優征(すが ゆうせい)
須賀 誠 (すが まこと)

明月 志陽(めいげつ しよう)
明月 克己(めいげつ かつみ)/鵜来 克己(うらい かつみ)

 

 

 昔から家族ぐるみで仲が良い幼馴染がいる。

 オメガの父親似であった俺は、いずれオメガと診断されるだろうと思われており、結局その予想が覆ることはなかった。

 検査結果はオメガ。特にショックはなく、俺は素直にその検査結果を両親に渡した。

 片や幼馴染みは子どもの頃から体格も良く、賢い子どもだった。尋ねることはしなかったが、アルファと診断を受けているのだろう。
 
 周囲から見れば、俺達は子どもの頃から仲が良く、理想の番というものであったらしい。いずれ番うだろう、と周囲から散々言われており、その噂は容易く俺の耳に届いた。
 
 けれど、俺はその噂のことを、頑なに幼馴染みに伝えることはしなかった。
 
 彼とは仲良くしたかったが、いくら幼馴染みで付き合いが長いからといって、俺を宛がわれる彼を気の毒に思った。

 それでも、その噂を知らないはずの幼馴染は、幼い頃、頑なにこう言い続けていた。

『俺の番は葵だろ』
『………………なんで?』

 幼馴染は、聞き返すと他人事のように首を傾げるのだ。それでも、しばらく経って、また思い出したように繰り返し、同じ言葉を口に出していたのだった。
 
 俺は見目麗しくもなく、顔立ちは基本的にオメガの父に似ている。

 美形であるアルファの父似の部位もあるため、初対面の人に言われることはないが、ぬくぬく過ごした故のこの性格を知られると、罵り文句は『このぼんやり!』になる。

 いつも通り、アラームの音で起床し、ぽやぽやと長い階段を降りる。食堂に入ると、両親と大学生の兄はいたが、他の家族の姿は見えない。

「誠兄、俺のパンは?」
「足音がしたから焼き始めて貰ってる。顔酷いな、洗ってきたら?」
「そうする。パンありがとな」
 
 これまた長い廊下を歩いて洗面台に向かい、じゃぶじゃぶと雑に顔を洗う。ふかふかとしたタオルに顔を埋め、ふー、と息を吐いてから、タオルを洗濯籠に入れた。

 持ち上げた腕は、然程太くない。運動もそこまで得意ではなく、成績も中くらい。髪型は長めではない程度に切っている。
 
 見目には気遣った方がいいのかもしれないが、顔を繕って相手が引っ掛かってしまっては申し訳ない。適度に清潔さを保ちつつも、華美に装わないようにしている。
 
 食堂に戻ると、俺の朝食が用意されており、親父も父さんも飲み物に口を付けていた。割と家族は全員揃うものだが、珍しい日もあるものだ。

「今日、人数少ないんだ?」
「ああ。少し葵に話があってな。誠はいいが、他にはまだ早いかと」

 親父がそう言って、コーヒーカップを手に取った。

 須賀葵。俺にしては華やかな名は、正に体を表してはいなかった。

 俺はどかりと椅子に座り、手早くいただきます、と言って用意されたトーストにジャムを盛る。

 そして、赤いジャムを広げ、白い面を塗りつぶしていった。
 
「誠兄以外は早いって何が?」
「葵。圭次はお前の歳に発情期があってな。お前もそろそろだと思う」

 神妙な面持ちの親父とは対照的に、圭次、と呼ばれた父さんは横でぼんやりとスープを両手に抱えている。

 ほこほこのスープは美味しかったようで、表情は綻んでいた。親父の表情が欠片たりとも、伝染りもしない。父さんは、いつ見ても父さんだ。
 
「俺が言うのも何だけど、父さん発情期遅くないか?」
「そう、遅いって言われたんだよなー。優征がいたし、別に何が困った、ってこともなかったけど」

 それでな、と他愛もない話を繰り広げていると、しばらく経って言葉が差し挟まれた。
 
「そこのぼんやりコンビ、しばらく黙って聞いてくれ」

 長男である誠兄に釘を刺され、はーい、と声を揃えて素直に黙る。

 ついでとばかりにジャム塗れになったトーストを囓った。優征……親父は横でこめかみを押さえている。
 
 苺の果実がたっぷりと詰まったジャムは、脳を起床へと導いていく。

「いつ発情期が来てもおかしくないのだから、これからは気をつけるようにな」

「抑制剤は持ち歩いてるよ。父さんみたいに、最初の発情期が来てから通販で頼もうとしたりしないし」
「抑制剤自体を探してはいたし、昔の話じゃん」

 誠兄が横からこれも食べなさい、と美味しそうな食事を寄越してくる。俺達が黙らないが故の実力行使だった。

 目の前では親父が、父さんの口に千切ったロールパンを突っ込んでいた。あーん、と素直に口を開ける父さんに、給餌、という文字が浮かんだことは黙っておく。

 父さんが黙ったことを確認し、親父は俺に鋭い視線を向けた。
 
「あと、差し支えない程度に、賢吾くんとの事を聞いておいてもいいか?」

 口内に残っていたトーストの欠片を、舌先で掬って嚥下する。先程まではあんなに甘かったのに、酸味が口内をちくりと刺した。

「俺が発情期になったとしても、賢吾には知らせないで欲しい。オメガだってことも言ってないし、番になりたいとも思ってないよ」
「それにしては、仲が良すぎるように見えるが」

 物心つく頃から、幼馴染みの明月賢吾は傍にいた。

 成長も遅く、力も強くない俺を支えようとしたのか、賢吾は献身的に俺の世話を焼いた。周囲はそれを喜んだ。

 俺は賢吾を嫌ってはいない。番としては、いい相手だと思っている。

「幼馴染みだから、そりゃ仲良くもなるよ。でもほら、あいつ、生まれたときから一緒だろ。俺以外のオメガと接してるところもあんまり見たことないし、もう少ししてから、そういう事は決めた方がいいと思う」
「そうか? 葵が言いづらいのなら、親の立場から婚約の話を持って行ってもいいと思っているんだが」

 目の前に、ジャムの入った瓶をことりと置かれたような気分だった。蓋を開けさえすれば、あの甘さが手に入る。

 蓋を開けて、指を突っ込んでしまいたい。誘う甘さを何度も振り切っては、俺は蓋を開けず、瓶を押し返し続けている。

「必要ない。そうやって親が口を出せば、賢吾は気を遣うかもしれない。そういうのは良くないだろ」
「それなら尚更、発情期は気をつけなさい。判断は葵に任せるが、お前がオメガであることは、賢吾くんには伝えておいた方がいいと思う」

 俺は黙り込んだ。

 もしそれを賢吾に伝えて、発情期になったとして、彼が俺と番うと言い出したら、俺はどんな気分になるんだろう。

 親父は諦めたように息を吐いた。通学は、登校も下校も、しばらく誠兄か家の車で送ってくれるという。

 賢吾も一緒に乗せていくか、と聞かれたが、俺は首を振った。

「葵、一つだけ言っておくからな」

 黙っていた誠兄が、口を開く。

 頭が良く、長身で力の強い兄は、当然のようにアルファだった。それでも、オメガのいる家庭で長兄として育った所為か、賢吾と同じように面倒見は良い。

 そんな兄が、アルファの片鱗を敢えて見せるのは珍しいことだった。

「アルファは、そこまで面倒見の良い生き物じゃない。好みの幅は極端に狭いんだ。守るべきものは番。それ以外にはない、……まあ、家族もかな」

 ふ、と一瞬口元を緩ませて、ややあって引き結ぶ。誠兄は、親父に似て鋭めの顔立ちをしている。

 普段はその口調から取っ付きやすいが、黙り込むと、弟でも言葉を掛けるのを躊躇うほどだ。

「だから、他に守っている者が誰一人いないようなアルファが自分だけに寄ってきた時、その気が無いのなら、近寄らせるべきじゃない。丸呑みにされるぞ」

 ぞわり、と背筋に寒気が走った。兄とはいえその眼光はアルファのものだった。

 俺はこくりと頷き、賢吾のことを思う。

 賢吾は年が少し離れた妹の面倒をよく見ているようだった。俺だけ、という訳でもないのだろうし、家族、の枠に近いのかもしれない。

 番というものは、家族、ともまた違うのだ。

 他の誰でもなく、自分だけを見てくれる存在を、俺は知らない。トーストを持ち上げて、少し冷えたそれを囓る。

 口内に残った甘みは、いつまでもその存在を主張し続けていた。

 

 

 

 朝から、兄が送ってくれることになったから先に行く、と賢吾には連絡を入れた。その後、了承の返事はあったが、昼休みに事情を聞かせてほしい、とも書かれていた。

 億劫に思いながら、自席でメッセージを閉じる。

「おはよ、葵。何ひとりで百面相してんの?」

 ぽん、と軽く肩を叩かれる。

 そこにいたのは友人の高嶺七緒だった。俺よりも性格は落ち着いており、既に発情期を迎えてもいる。

「おはよう。えーっと……」
 
 彼もまた、親同士が友人で付き合いが長く、気心も知れている。俺はきょろ、と周囲を見渡すと、携帯電話を振って、机の上に置いた。
 
『親が俺ぐらいの歳のころ、発情期が来たらしくて、今朝、流石にもう生活には気をつけろって釘刺された』
「なるほどね」

 す、と七緒は俺の携帯電話に細い指を滑らせた。整った爪が動き、すいすいと文字を綴る。

『でも、葵ってずっと明月と一緒じゃん。離れなきゃ安心なんじゃない?』

 ううん、と俺は頭を悩ませ、少しずつ文字にする。

『でも、賢吾、たぶんアルファだし』

 うん? と七緒がひっくり返ったような声を出した。目は見開かれ、虚を突かれたような顔をしている。

 慌てるように俺の携帯をがし、と掴むと、手元に引き寄せ、指先を素早く動かす。

『もしかして、抑制剤で乗り切ろうと思ってる?』
「思ってるけど……」

 その文字打ちの素早さに、俺は引き気味に答えた。七緒は俺の言いたいことを理解したらしく、手を組んで、額をその上に乗せた。

 やがて、告げる内容が決まったように顔を上げ、また指を伸ばす。

『抑制剤がすごく悪いって言いたい訳じゃないけど、薬が合わないことだってあるし、明月に頼るのは?』

 俺の指は、空中で行き場を失った。黙り込んだ俺を見て、七緒はそれ以上言葉を続けるのを止めたようだった。
 
 遅く登校してきた賢吾はいつも通り挨拶をしてきたが、通りがけにぽす、と一度だけ後頭部を叩かれた。薄情者、とでも言われた気分だった。

 その瞳はいつも通り鋭かったが、俺を見る視線は少し戸惑いを帯びていた。

 休み時間はいつも通り集まって、他愛もない話をした。それでも、賢吾はどこか上の空で、偶に変に話が飛ぶ。

 俺との会話に、集中していないようだった。

 やがて昼休みが訪れ、弁当を持って中庭に行くことにした。日差しの下では汗ばむほどの時期に、中庭に来る者は少ない。ただ、水辺にある日陰のベンチはまだ涼しいのだ。

「それで? 何でいきなり俺を置いて誠さんに送ってもらうことになったんだ?」

 俺が弁当の包みを開く前に、賢吾は言葉を切り出した。一刻も待つつもりはないようだった。

 その勢いに息を吐き、観念したように口を開く。

「俺、オメガの父親と結構似てるから、もうそろそろ、発情期が来る頃なんじゃないかって。危ないから、しばらくは俺……一人で送ってくれることになった」

 何よりも前に、自分がオメガだという事実を告げた方がいいのは分かっていた。それでも俺は、最後まで言葉を誤魔化した。

 開こうとした弁当は、膝の横に置かれたままになった。

「成程な。やっとオメガだって白状する気になったか」
「賢吾は……」
「アルファだよ。多分うちの男兄弟、ほぼアルファなんじゃねえかな。身体もでかいし力も強けりゃ口も回る。兄弟喧嘩はいっつも酷いもんだ」

 自分の包みを開いた賢吾は、俺が好きなおかずを蓋に載せて差し出してくる。

 賢吾の……明月の家の弁当は須賀の家に負けず劣らず美味で、俺達が一緒に食事を取るものだから、献立が被らないようお互いに献立の共有が行われているらしい。二つの家の交流は長く、そして深い。

 俺は蓋を受け取って、また横に置いた。手を付ける気にならなかった。

「それなら、誠さんと同じアルファだし、今までと変わらず、俺が送ったっていいんじゃないか? 大学の授業もあるし、毎日送るのも大変だろ」

 ぐう、と俺は口を噤んだ。

 発情期が起きたとして、賢吾が近くにいたら、俺は賢吾を物陰に引き摺り込まない自信は無い。

 そもそも嫌ってなどいない相手なのだ、発情期で見境がなくなってしまったら、賢吾に甘えてしまう未来しか見えなかった。ただ、頼ってしまえばいい、と気楽に思えもしない。

「でも、万が一。俺が賢吾に迷惑掛けたら……」
「そうなったら番ったらいいだろ。早いって言われるかもしれないが、お前のとこの両親だって同じくらいの歳に番ったって聞いたぞ」

 さも当然のように俺と番うと言い始めた幼馴染みに、だから言わなかったのだ、と溜息をつく。

 視線が泳ぎ続けている俺の反応を見て何かを察したのか、賢吾の声がずんと低くなった。

「お前。もしかして、俺と番う気がないのか?」
「当たり前だろ! 賢吾はずっと近くに俺しかいなかったから当然だと思ってるのかもしれないけど、他に沢山オメガはいる。もしかしたら、運命の番が他にいるかもしれない」

 賢吾は膝の上から弁当を横に置くと、そっと指先を俺の顔に伸ばした。あ、と思った瞬間に、唇が奪われていた。

 噛みつくようなそれは、一瞬で離れる。ぱん、と頬を張られたような短さだった。

「次。俺の前で他に運命の番がいるなんて寝言吐いてみろ。気合いで発情期に引き摺り込んで、噛み跡付けてやる」

 ぞくりとするような声で、俺の目の前ぎりぎりで賢吾はそう宣言すると、顔から手を離した。俺は言葉を失い、指先は自身の唇をなぞった。

「……ファーストキスだった……」
「小さい頃から、何回もしてる。お前は覚えてないんだろうけどな」

 自分達が番になるのだ、と幼馴染は妄信のように口に出しては譲らない。かっと言葉が口をついて出た。
 
「絶対に俺を選んだら後悔する! だって俺だよ!?」
「もうお前がお前だって事くらい分かってるんだよ! 十数年一緒なんだ! こちとら何で番がお前なんだって問答はもう数年前に通り越してんだよ! 今更もいいとこだ!」
「ひどい!」
「ひどいのは、俺を番にしようと思ってなかったお前のほう!」

 俺は賢吾との喧嘩での定型文を、何の考えもなしに、いつも通りに口に出す。

「賢吾の馬鹿! 嫌い! 番になんてならない!」
「いくら嫌ったってお前の番は俺なんだよ!」
「俺じゃない!」
「このぼんやり! 発情期になったら、嫌でも分かるんだからな!」

 賢吾は弁当箱を手に取り、残った弁当を食べ始めた。いつもなら俺の弁当から賢吾の好きなものをあげるのに、それらは俺の腹に消える。

 むすり、と無言で圧を掛けてくる幼馴染みと食べた弁当は、とても味などしなかった。

 

 

 

 それから、賢吾は俺と離れる……と思いきや、一定距離を置いて、見守ることにしたようだった。普段よりも遠くから視線が刺さる中、学校生活を送る。

 賢吾が離れていくと、俺の生活の質は急激に悪化した。

 まず、よく扉の前で立ち尽くすようになった。それを七緒に告げると、『傍にいない明月がドア開けてくれるのを待っては我に返る姿、間抜けに見えるよ』と散々な言い草だった。

 冷房が寒くても、忘れた上着を貸してくれる賢吾は傍にいない。そういうことが積もって、心細くなることが増えた。
 
 そんな俺を見ている七緒はどちらかといえば賢吾寄りのようで、俺に対して苦言を呈してくる。
 
「葵に同情はしてるけど。それよりも明月が気の毒かな?」
「七緒は賢吾の肩持つのかよー」

 ぶすり、と不満を顔に出すと、掌で両頬を掴まれる。あーもちもちしてる、と七緒は呟きながら、俺の頬をむにむにと苛めた。

「そりゃあ有難く持たせて貰うでしょ。葵みたいなのを任せられるアルファ、稀少なんだよ」
「俺、そんなにぼんやりか?」
「良くも悪くも須賀の温室育ちなのは事実だし、しかも番になったら比較されるの、葵のお父さんとかお兄さんとでしょ。そういう意味で葵の番って、荷が重すぎ」

 はん、と涼しげな顔で俺をいなす七緒に、くそう、と机に突っ伏す。友人でさえも俺と賢吾をくっつけようとする。

 ぶつぶつと机の上で恨み言を呟く俺に、七緒はひっそりと言葉を降らせる。
 
「嫌いなの? 明月のこと」

 俺もまた、合わせて声量を落とした。
 
「好きは好きだけど……、でも俺、賢吾が出来たアルファだって事も分かってるつもりだし」
「まあ、葵には勿体ない男だよ。オメガでも付き合ってて全然怖くない。子どもみたいに喧嘩するの、葵相手くらいのものだしね」

 友人ですらこの評価だった。この友人には迷惑を掛けたことも……賢吾の次にあったかもしれないが、その友人がこう言うのだ。

 賢吾に、なんでお前なの、と自問自答されても仕方が無い。

「須賀の家としては、俺と賢吾がくっついたら嬉しいんだろうなってのは理解してるんだけど、可哀想なのは、賢吾のほうなんだよな。適齢で、都合のいいオメガが俺しかいない、って」
「だよね。もうちょい何て言うか……、葵じゃない相手がいいかなあ」
「それな。誠兄は、俺と父さんで食傷気味だっつって、好みのタイプを聞いたら俺と真反対のタイプ答えるんだ。失礼だけど、……まあ、気持ちは分かる」

 だらだらと机の上で文句を述べ、窓の外を眺める。

 しとしと雨でも降っていれば格好も付いたのだろうに、窓の外は晴天だった。何とも、ままならないものだ。

「でも、明月は葵と番いたいって言ってるんでしょ。それが全てだよ」

 ぱたん、と机の上で指先が力を失った。

「明月が他の誰でもなく葵がいい、って言うの、全く理解はできないけど、それって他人には分かりようがないもん。明月が望んで、葵が望んだら、それで丸く収まる。それだけ」

 七緒は取り出した物の包装紙をぺりぺりと剥ぎ、俺の口にチョコレートを突っ込んできた。

 味のしなかった弁当とは違って、強烈な甘さを舌に刷り込んでくる。

「…………んむ。ありがと」
「心が落ち込むと身体もつられるよ。抑制剤はポケットに持って歩いて」

 机に頬を付けたまま、ごそごそと手をバッグに入れ、錠剤のシートをポケットに入れる。まだ使ったことのない錠剤のシートは角が尖っていて、歩けば擦れるだろう。

 チョコレートを咀嚼し、飲み込んでから、友人に尋ねる。
 
「七緒は、発情期、どうだった?」

 発情期を迎えたことがあるオメガの友人は、人それぞれだよ、とだけ言って、唇の前でそっと指を立てた。

 

 

 

 その日は休日で、発情期が近いかもしれない、と、予定を入れずに家でごろごろとしていた。近くに水の入ったペットボトルと、錠剤を置いている。

 不足している物はないだろうか。いつもなら賢吾が持ってきてくれれば、と軽く考えていられるのに、突然不安になる。

 いま自分は、独りであって、二人ではないのだ。

「……………ぐす」

 あまりにも人恋しい。これが発情期の障りであるのなら、これに対しては、とてつもなく弱いように感じた。

 そもそも、独りでいることに慣れていないのだ。見守ってくれる視線は、いま傍にはいない。

 携帯電話を持ち上げると、慣れた動作で、賢吾へのメッセージを開いてしまう。

「助けて、って言ったら……」

 溺れている中で、呼べば自身は助かるとはいえ、相手を濡らしてしまう選択はできそうになかった。

 昔のメッセージを開いては、普段通り連絡できていた頃の履歴を辿る。あの時のように、軽々しく言葉を送れる自信が無い。

 すいすいとページをスクロールしていると、突然、電話のコール中のアイコンがでかでかと表示される。

 あれ、あれ、と慌てているうちに、相手が電話に出た音がした。誤って通話ボタンを押してしまったらしい。
 
『葵?』
「あ、違うごめん賢吾、間違えて押して……」

 久しぶりに耳元で聞く幼馴染みの声は、異常なほどの安心感を齎した。先程止まったはずの涙が、ぼろぼろと湧いては落ちる。

 慌てて電話を遠ざけたが、彼の耳は、嗚咽を拾ったようだった。

『……元気ないな。仲直りでもしようと思ったか?』
「……分かんな……、けど、仲直り……、できんの……?」

 問いかけに、電話の向こうが無言になった。相手が口を開くまで、じっと布団の中で待つ。

 布団の中は蒸し暑いほどなのに、何かに包まれていないと不安が襲ってくる。手に入らない、誰かの体温を代用しているかのようだった。

『俺は、ずっと葵の傍にいたかったから、そうしてきた。葵が俺と番になるつもりがないことには驚いたけど、……まあ、お前ってそういう奴だったな、って思い出したわ。急に言って悪かったな』

 普段より少し優しい声は、仲直りするときの、少しだけ喧嘩相手を甘やかすための声だった。

 賢吾がこうやって切っ掛けをくれて、こちらも謝って、いつもなら、それで終わりだ。

 きっと賢吾以外と、こんなに長い付き合いは出来なかっただろう。今だって、自分から謝ろうと電話を掛けたわけではない。
 
「……親父とかが、なんか言ったりしたからそう言うのか? 俺が番を見つけられそうにないとか……」
『優征さんなら、お前が誰も選びたくないんなら、それでいいって言うだろ。まあ、アルファとオメガが並んでたら、番になるつもりなんだろ、とは言われるかもな。俺の方は事実だし』
「それで、その所為で、俺と番になるなんて……」
『そういう事を言われるようになる前に、俺はもうお前を選んでた』

 吹っ切ったような声は、何も変わったところのない、いつもの幼馴染みの声だった。

『俺の番は、お前なんだよ。葵』

 気恥ずかしくなったのか、何かあったら連絡しろよ、と言って通話は切れてしまった。電話を握り締めたままずっと、切れた画面を見つめ続けた。

 やがて、賢吾と番になることが、急に現実味を帯びて襲ってきた。布団に丸まって、あちこちに思考を飛ばす。

 発情期を一緒に過ごして、番になって、婚約して、それから先も、ずっと一緒にいる。発情期から先を、思い描いてはいなかった。先にあったのは、いずれゆるやかに起こる別れだけだった。

 別れの言葉が、離れる未来が、急に遠のいていく。

 口を開けて、閉じる。やがて暗くなった画面の先で、真っ赤になり、狼狽える顔の自分を見つめ続けた。

 

 

 

 ずっと、その日が来るのを待っていた。

 視線は俺の背を追い続け、逃すつもりはないようだった。俺は、何度も決めた事を反芻しては、日々荒れていく体調の中、抑制剤を握り締めて過ごした。

 蹲ったのは、丁度昼休憩の頃だった。ぞわぞわと背筋が震え、異様に嗅覚が鋭くなった。様々なにおいが混じり、それらは不快に内臓を掻き回す。

 俺の不調に、真っ先に駆け寄ったのは、やはり彼だった。

「葵! 気分でも……」

 はは、とその腕の中で俺は笑った。やっぱり、こうなっても賢吾は俺を見放したりしなかった。

 頬が上気しているのが分かった。

 周囲に満ちた嗅ぎ慣れた匂いは、普段感じているものとは少し違ったが、それが賢吾のものであることは、すぐに分かった。

 耳元に唇を寄せ、一言だけを告げる。

「……番にしてよ」

 耳元で熱い息を吐いた俺の体調は、瞬時に悟られたようだった。賢吾は友人の七緒に自身の携帯電話を放り投げると、ついて来てくれ、と指示を出す。

 彼自身は、手早く俺を抱え上げる。ぐるりと視界が回転した。

 揺らさないように気遣いながら、足早に何処かへと向かっていく。

「明月。これ何処に掛ける?」
「履歴から明月志陽、って……うちの父親に。葵が発情期みたいだから、車を学校まで回してくれるよう頼んで貰えるか?」

 電話はすぐに繋がったようで、七緒は顔見知りである賢吾の父に、車の手配を頼んだ。俺は一旦、保健室に連れて行かれ、手持ちの抑制剤を服用させられた。

 貰ったペットボトルの水を、薬を飲む以上に喉に流し込んでいる姿を見た保健医は、迎えが来ること、賢吾の姿があることに安堵の表情を見せていた。

 少し離れた場所でされている会話は、この後は全面的に賢吾が面倒を見る、という内容のものだった。
 
「……それで、葵とは、昔から婚約者みたいなもので。……はい。俺の父もオメガなので、ある程度、対応もできると思います。葵の家とも、連絡が取れました」

 ベッドに腰掛け、少し落ち着いた俺に、こちらに歩いてきた賢吾の携帯電話が渡される。電話の先の声は父さんだった。

『……しばらく休ませた方が良かったな。賢吾くんから、葵をしばらく明月の家で預かろうか、って話があった。葵が安心して過ごせるならどちらの家でも構わないけど、希望は?』
「どっちでも。明月の車が来てるんなら、明月の家にお世話になるよ」

 運転手さんが俺を送った後で明月の家に戻るのも面倒だろう、と言うと、まあ、その程度の差しかないか、と父さんも納得する。

『身体が疲れたときは、相手にそう言うんだぞ。止めてくれるかは分かんないけど』

 返事をすると電話は切れ、俺は賢吾の家に向かうことが決まった。

 昔から入り浸りの相手の家には、俺の物はある程度置いてある。

 特に滞在するから、と気を遣うこともない。発情期で多少面倒かもしれないが、子どもの頃から既に、面倒は掛けっぱなしだった。

 その後、思ったよりも早く車は到着した。そして車には、やっほう、と手を挙げる男性が同乗していた。

「何で来たんだ……?」
「迎えは親の仕事だからね」
「いいえ。運転手である私のお仕事ですよ」

 横でにこにこと笑っている運転手だけではなく、父親までがいることに、賢吾は軽く頭を抱えていた。

 オフだから父なら捕まる、車も手配してくれるだろうと電話したら、本人までもが一緒に来たらしい。わいわいと言い合いをしている姿を、離れて見守る。

 賢吾が話を終えて戻ってくると、とん、と七緒から背を押された。

 七緒は保健室ではずっと一緒にいて、この場に見送りにも来てくれていた。支えられて車に向かう俺の手を一度だけ握ると、名残惜しそうに離して、そして手を振る。
 
「少しの間、さびしくなるな」
「……嘘つけ。静かになったって喜ぶくせに」

 いや本当に、と七緒は顔を顰めて笑い、踵を返した。小さな肩は少し丸かった。

 

 

 

 連れ込まれたのは、よく見知った賢吾の部屋だ。俺は寝台に座り込み、賢吾と向かい合っていた。

 隣は大丈夫か、と尋ねると、別の部屋で過ごすだろ、と言われた。

 壁は厚く、防音を気にする必要は無いのだろうが、万が一聞かれでもしたら、顔馴染みなだけにきまりが悪い。

「……悪いことしたな」
「でも、知ってる匂いがある部屋の方が、安心してられるだろ」

 すん、と鼻先から空気を吸う。普段は意識しない、賢吾の匂いで満ちた部屋だった。先程までいた保健室より、随分心が落ち着いている。

 賢吾は俺の制服の襟を掴み、ごつり、と額をぶつけた。

「ほら、フェロモン寄越せ」
「どうやったら出んの……?」
「そう言われると、言葉で説明するのは難しいな」

 突き出される唇を、おずおずと受け入れる。ぺろり、と唇を舐められ、ひ、と背を引いても、すぐに距離を詰められた。

 じりじりと逃げる俺と、追い詰める賢吾。猫に追われる鼠にでもなったような気分だった。

「逃げるんじゃなくって、口開けろって。舌入んねえぞ」

 ぶわ、と一瞬で賢吾の匂いが強くなった。狼狽えて口を開けると、それをいいことに舌先を突っ込んでくる。

「ん、う……っあ、ふ……」

 口を閉じることは許されず、ぴちゃり、ぴちゃりと唾液を垂らす。唾液の匂いが染みついていくことを、理由は分からないが好ましく思った。

 あの匂いが、落ちないほど染みこんでくれることに歓喜していた。

「抑制剤、効いてるか?」
「わ、かんな……」
「合う薬かも分からないし、やることはやっとこうな。その方が楽らしいし」

 にま、と俺に向けて笑った賢吾に、好きにしろ、と肩にもたれ掛かる。服に手が掛かり、制服のボタンが外されていく。
 
 脱がせたり、着せたりも慣れたもので、促されるままに腕を上げて補助する。

 そうしている間にも、酩酊に似た感覚は強くなるばかりで、その中で、賢吾の匂いだけが標のように揺らがなかった。

 賢吾が近くにいるのなら、きっと他のアルファの匂いは届かなかっただろう。

「……賢吾とこういうことするの、想像できない……。勃つ?」

 肌着すらもひっぺがされた上半身は裸で、薄っぺらい筋肉が賢吾の前に晒されている。

 何度も見せた身体だ。恥ずかしい、と隠す羞恥心は薄いはずなのに、じろじろと見られていると流石にいたたまれない。脇を締め、ぎゅっと手を握り締めた。

「悪いけど。葵と違って俺はやらしい目で見てたからな」
「最近でも、一緒に風呂入ったりしてたのに?」
「俺はお前をそういう目で見てるって、匂わせてはいたぞ。全くこれっぽっちも、お前は警戒しなかったけどな」
 
 ベッドに身体を倒され、伸し掛かるように唇を塞がれる。指先が胸の尖りに触れ、捏ね回された。

 舌の隙間から、相手の唾液が流れ込んでくる。

 強い味がある訳ではないそれを、喉を鳴らして飲んだ。身体の奥からじわりと熱が湧き、それに比例するように相手の匂いが強くなる。

「……ちゃんと誘えてる。匂いが分かりやすくなった」
「賢吾、もっと、キス……」

 腕を伸ばして、ぐいぐいと賢吾の首を引く。

 閉じていた口を開くと、望んでいた舌がねじ込まれる。喉の奥まで味わうように、口内が拓かれていった。

 胸から下りた指が腹を擽り、ベルトを外す。その間も、キスに拘りを見せる様子に賢吾が僅かに首を傾げた。

「美味いの?」
「………賢吾の匂いがするもの、が、沢山ほしい」
「匂いがするもの、か」

 こくりと頷き、賢吾の制服の裾を引いた。察したように、ばさりと脱ぎ捨てられたジャケットを引き寄せ、鼻を当てる。

 匂いを吸い込むと、安堵で満ちた。ジャケットに執心している姿を、賢吾は珍しそうに見ている。

「俺が番なんだって、分かった?」
「……何となく。でも、賢吾がいないと寂しいのは分かった」

 パンツごと服を引き抜かれ、太股が空気に触れる。股を閉じようとすると、大きい手が膝を掴み、開いた。

 にやにやとした笑みを浮かべている賢吾を、つま先で軽く蹴る。逆の立場なら嬉しいのは分かるが、それにしても、下心丸出しの視線だった。

「いい眺めだな」

 骨張った指が、俺の中心を捉えた。緩く刺激され、声が零れる。

「……ん、んあ、……っあ」

 脚を閉じようとするが、引き寄せられ、間に身体が入ったために叶わない。乱れる姿を捉える視線は、愉しげだった。

 やがて、扱かれる度に水音が伴い始める。

「……、俺ばっか、ずるい……ッふ、うあ。あ……んあ……」
「ん。大丈夫、俺は後でじっくり気持ちよくして貰うから」

 指先が尻の間に潜り込んだ。窪みに引っ掛け、軽く押し込まれる。

「……ふ、うぁ。……そこ、したら…………」

 かあ、と頬に血が集まった。

 流石に、発情期を収める方法は知っている。けれど、その場所で繋がったら、もう、賢吾と離れる選択は無くなるのだろう。

「も……、賢吾、と、離れられなくなっちゃうな………」
「望むところ」
 
 引き抜かれた指が、内壁を擦りながら滑り込む。無意識に賢吾の匂いがするジャケットを握り締めていた。

 こんな不安な気持ちになる時に、隣にいてくれるのも、隣にいてほしいのも彼だけだった。

「子どもの頃から、ぼやっとしてるからずっと葵から目が離せなくてさ。巻き込まれるように一緒にいて」
「んぅ、……うん」
「でも、番って関係を知った時から、俺に運命があるならこれだと思ってた。俺が最初に、葵の手を取ったんだから」

 随分前から、俺は番として選ばれていたらしい。

「だから、葵。番になろうな」

 こくん、と素直に頷く。
 
「ん。……賢吾、好きだよ」
「はは。そうだ……俺もずっと好きだった。葵」

 ぎゅう、と背を力一杯抱き締め、熱い息を吐き出す。

 フェロモンのことは分からないが、賢吾の匂いはじっとりと深く、濃密なものとなっている。

 アルファのそれは、オメガに誘発されるものらしい。それならきっと、自分が欲しがっているから、こうなったのだ。

 太股のあたりに、固く持ち上がったものが当たった。
 
「……賢吾も、気持ちよく、なれるか……? 俺で」
 
 自ら脚を開き、濡れているであろう孔を晒す。覗き込んだ目の奥で、炎が揺らめいた気がした。

 太股が鷲掴まれ、腰が浮いた。

「……、っあー。たぶん、まだ慣らした方がいいんだけどな……」

 視線が、謝罪を伝えていた。困ったように笑い、どうぞ、と言葉に出す。

「……子どもができたら、俺もいるし、大変だな。賢吾は」
「確かに。でも、今よりもっと楽しくなるんだろうな」

 前を寛げると、勃ち上がったモノが勢いよく飛び出る。
 
 そして、亀頭がちゅう、と後孔に吸い付いた。く、と体重を掛けられると、そこは少しずつ剛直を飲み込んでいく。

「……、ん、うあ。賢吾のばか。さっきより……、絶対膨らんで、硬くなって、あ」
「締めるな、よ。俺だって、まだ……」

 少し腰を引き、再度また突き入れる。ず、ず、とほんの少しずつ、身体は彼自身を受け入れていく。

 浮いた爪先が、藻掻くように空中を掻いた。

「……あ、ぁあ、ンう、あ。すご、おなか、が」

 指先で探られた場所を、ごりごりと抉るように中に潜っていく。指では届かない場所を、その塊で押し上げられる。

 シーツに爪を立て、呼吸を乱した。

「……ま、まだある? ……いま、すご……とこ当たっ…………ンぁ………」
「もう少し、……だ、から……」

 苦しげにしている賢吾を見て、持ち上がった腰の支えを相手に任せ、力を抜く。息を吐き出すと、一層強く押し込まれると共に、尻たぶに触れる感覚があった。

 ふふふ、と声に出すと、くしゃりと笑い返された。

「これ、で賢吾も、気持ちよくなれるな」
「ああ。……動くな」

 ずり、と軽く引き抜き、ぱつんと打ち付けられる。内壁ごと引っ張っていく感覚に背筋がぞわぞわして、思わず反射的に咥えているものを引き絞る。

「……あ、うあ。も、はいって、のに……」
「うわ、ちょ……待て。締め付けて……」

 賢吾はその波を、顔を顰めてやり過ごす。体勢を整え、突き入れたまま身体ごと揺らし、奥を細かく叩く。身体が揺れる度に、深い刺激が脳ごと揺らした。

 くう、と噛み締めても声が漏れる。

「……ここ、か」

 ぐりぐりと集中的に苛められる場所は、他の何処よりも、身体の奥から快楽が湧いてくる。

 指では届かずに、ぴたりと身体が触れるほど突き入れられて、やっと届く場所だった。

「……そこ、ぞくぞくする。だめ、……なとこ……ンう、あ」
 
 目の前にある半身は、すっかり勃ち上がり、涙を零している。不安定な爪先はゆらゆらと宙に揺れた。

「葵がぐずぐずになってるの、可愛いな。……もっと保たせたかったけど、次もできるし、一回達かせて」

 勢いよく引き抜いたものが、抽送に慣れ始めた道を戻っていく。往復の度に濡れた音が響き、お互いの息づかいと混ざった。

 がつがつと攻められ、必死に腰を揺らす。喉から漏らす声は泣き声に近くなっているのに、今回だけは、譲ってはくれないようだった。
 
 腕を伸ばして、賢吾の背に爪を引っ掛ける。身体が揺れている間も、ずっと、彼の匂いは強くなるばかりだった。

「……っあ、ん。ふ、くあ、ああ、ぁあああぁああ―――――!」
「うあ、あ。っく、う……」
 
 びくびくと身体が震え、先に絶頂を迎える。それから数度、腰を打ち付けられた後、ぴたりと付いた身体から熱いものが流れ込んできた。

 初めての刺激に身体が震え、内部が痙攣する。

「あ、……な、なに」

 問うても捉えられた脚は離れることなく、緩くピストンが続く。

 接合は解かれることはなく、戯れるように唇が近付いてくるのを受け入れた。少し、キスには慣れてきた気がする。

「……葵が、いつもよりずっと可愛く感じる。絶対誰にもやらない」

 初めて聞く言葉に、思わず軽く笑ってしまう。そして、そう宣言した賢吾によって、抑制剤を使う必要は無くなった。

 発情期に引き摺られた賢吾は存分に俺を抱き潰し、ふらふらになった俺に、いつも通り世話を焼くのだった。

 

 

 

 俺が発情期を抜け、体調が戻ると、賢吾は俺を朝食に誘ってきた。他人のフェロモンが効かない賢吾の両親だけしか同席できないが、是非、とのことだった。

 賢吾に支えられながら食堂に入ると、勢い良く俺の懐に飛び込んでくる人がいた。

「葵くん、体調どう? 痛いところない?」

 俺が不調になった時に迎えに来てくれたその人……志陽さんは、賢吾の父で、オメガでもある人だ。

 しんどくない? とぎゅうぎゅう抱き締めながら案じられるが、賢吾の面倒見の良さは発情期も変わりなく、体調はほぼ普段通りだった。

「平気です。長いことお世話になりました」
「いえいえ。長いこと、になったのは賢吾の所為だろうし、椅子にどうぞ」

 勧められた椅子は、賢吾の両親の片割れ……克己さんの向かいの席だった。克己さんが軽く視線を投げると、俺の前に食事が並べられていく。

 胃に優しそうで、俺の好物ばかり、気を遣われていることが分かるメニューだった。給仕をしてくれるお手伝いさんに笑顔を向ける。

「俺、これ全部好きです!」
「全品、細かくぼっちゃまが選んでおりましたよ。朝食なのにあまり大量に出そうとするので、シェフが止めましたが」
「言うなよ。残したら俺が食えばいいかなと思ったんだ」

 ありがとうございます、と礼を言うと、デザートをお楽しみに、と一礼を返して去って行く。そわそわと椅子から腰を浮かさんばかりにしていると、克己さんがいただきます、と口に出した。

 素早く復唱して、炊きたてで、少し柔らかい白米を口に含む。鮭は大振りのものが二切れ、具材がたっぷり入った味噌汁は湯気を立てていた。

 美味しい、と何度も口に出すと、志陽さんが機嫌良く俺を見つめていた。

「ちょっと前に、賢吾が『葵に番にならないって言われた』って言い出したときはどうしようかと思ったけど、上手くいったみたいで良かったよ」
「言うなってば」
「生まれたときから『葵、葵』と追いかけ回していたし、流石にしつこくて嫌になったんだろう、とこっそり笑ったな。あれは」
「親父もな!」
 
 空腹だったらしく、勢いよく食事を掻き込む賢吾は、ちらりと俺の方を窺い見る。俺が距離を取ろうとした時と、似たような表情だった。

「……発情期が終わったら、嫌いになったりとかしないよな?」

 その様子を可笑しく思い、首を振りながら笑っている俺を見て、賢吾は食事に向き直った。嫌われてないことは悟ったようだった。

 ことりとお椀を置いて、俺達を見守っている二人に向き直る。

「賢吾の番になりました。生まれた時からお世話になっていて今更ですが、これからもよろしくお願いします」
「「こちらこそ」」

 発情期の間、俺はこの二人以外とは、ほとんど接触がなかった。随分色々と手を回してくれている筈なのに、それをおくびにも出さない。

 これから恩は返していくつもりだが、いつになることやら、だ。

「ていうか、どう考えても俺が葵に興味が湧くのも、しつこい性格も遺伝だろ。父さんほら、暮見暮見ー、って圭次さん大好きだし」
「そうかもね。暮見は学生の時から存在自体が面白くてさ。須賀もね、賢吾が葵くんを見るみたいに、ずっと暮見を見てたよ」

 今より落ち着きのない父さんの学生時代なんて想像したくもないが、その間、ずっと付き添っていた親父は本当に大変だったんだろう。

 もう番なのだし、俺は賢吾に迷惑を掛けないようにしよう、とひとり反省する。

「……俺も、もうちょっと手が掛からないようになるからな」
「別にいいよ。優征さんも、ずっと好きでやってるんだろ? 俺もそうだし」

 な、と声を掛けられ、うん、と跳ねた返事をする。機嫌が良くなった俺に、賢吾は恥ずかしいことを言った、とばかりに頬を掻いた。

 俺はその横で、にこにこと表情を崩す。

「俺も賢吾が好きだから、一緒にいる」

 珍しく、あまりにも照れて黙り込むので、俺はその言葉を食事中、何度も繰り返した。部屋に連れ戻された後で、啼かされたのは言うまでもない。

 

 

きみつが
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坂みち // さか【傘路さか】
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