料理長のイワは気づけばいて、気づけば料理を残して去っていく。主な肩書きとしてはガウナーの家の料理長なのだが、有名な料理店の指導役としてもあちこち駆け回っているらしい。
逆に料理長のほうが兼業なのでは、と思ったのだが、『宰相閣下のお抱えの料理人』であることは非常に名誉なことなのだそうだ。
俺は料理を褒めるのは得意ではないのだが、拙い褒め言葉を聞いても、表情で分かりますんで、と満足してくれるような人だった。
「────………」
俺とガウナーはソファに並んで本を捲っており、退屈になったらしいニコは料理長のイワの足元に構ってもらいに行ってしまった。
カシカシと卵を混ぜる音が耳に届き、その合間にニコがイワに話しかけているらしい鳴き声が遠くで混ざる。
「ニコの分?」
俺が本から顔を上げて問いかけると、イワはこちらへ向けて混ぜていた器を持ち上げる。犬には多いように思えるが、ニコはぺろりと食べてしまう。
「ええ。どうやらこの坊ちゃんは、泡立てすぎるくらい泡立てた卵を焼くと満足されるようでねえ。まあ、子ども舌ってやつなんでしょうな」
「ああ、お菓子って感じの食感になるのか」
足元でうろうろしているニコは邪魔ではないだろうか、と見守っていたが、イワは器用に足でニコを捌きながら卵を焼いていく。彼の手の内で、片手鍋が道化師のナイフのように動いていた。
ニコも見ているのが面白いのだろう。追いやられたり、近付くのを許されたりしつつも、視線はイワの手の中から離れない。
鍋の底から飛び上がるように、黄色のそれが綺麗に輪を描く。キャン、と一層高い声が上がった。
「お見事ー」
「光栄ですなあ。観客がいると気分が上がるってもんでさ」
「それはこれまで済まなかったな。静かな観客で」
横からガウナーが茶々を入れる。
「静かな観客は、その分よく見てくださる」
イワの口から豪快な笑い声が続いた。怒っていた訳でもないガウナーは、その言葉に肩を竦める。
「でも、たまの褒め言葉は、ガウナー様の方がお上手ですな」
「……俺は?」
「ロア様はもう少し人を見ることからでしょうなあ」
ほい、と皿の上に盛られた黄色の小山が、ニコの前に差し出される。
俺たちよりも先に食事にありついたニコは、少し冷ます間は持ちつつも、はふはふと息を漏らしながらがっついていた。
「この間、アカシャから盗み食いしたんだよニコ」
「はは、聞いております。あの怖い執事から盗み食いたあ、肝が据わってる」
イワは両手を頭の左右に並べ、指を一本ずつ立てた。ガウナーは意味が分かっているようで口元を緩める。俺には分からず、今度機会があればアカシャに聞いてみようと心に留めた。
続いて俺達の料理の支度に取りかかったイワは、夢中で食べているニコに視線を向ける。
「全てが自分のためにあると信じている。愛されていることを一欠片も疑わない。……とは、ロア様とは真反対のお方ですなあ」
一瞬、言葉の意味を捉えかねて視線を泳がせると、横から腕が伸び、ガウナーに肩を引き寄せられる。
わはは、とイワの笑い声が響く。隣のガウナーは何故か苦い顔をして、しばらく俺の肩を抱いていた。