寒さも深くなり、そろそろ誠さんのスーツにもコートが足される季節だ。鵜来さんに相談し、昨年も使っていたコートをクリーニングへ出してもらうことになった。
どうやら誠さんが働き出した年に優征さんが仕立てることを勧めた品のようで、上質な生地はまだ何年も仕立て直して使えそうだ。
誠さんは去年から身体のサイズに変化がなく、須賀家でたらふくご馳走をいただいてふくふくしはじめた私には羨ましい話である。
衣装室で鵜来さんと二人、他のコートもクリーニングに出そうか相談していると、途中で優征さんが入ってくる。
「鵜来。……と、深代くんも。冬服の相談かな?」
「はい。コート以外にどれをクリーニングに頼もうか相談をしていました。優征さんはどうしてここに?」
「年末に謝恩会があって、着る服を見に来たんだ」
普段の服選びは鵜来さんに任せることも多いが、パーティーなどの服は本人が衣装室に入って相談しながら選ぶようだ。
ついでに私も一緒に、普段の仕立てよりも洒落た服を見せてもらう。布も仕立ても一級品と呼べる服を緊張しながら持ち上げ、優征さんが着た際の印象や感想を言い合った。
「────では、これにしよう。ありがとう、助かった。深代くんは服は足りているだろうか? 新しい服を仕立てないか」
「えぇ……と、誠さんにも結構たくさん服を頂いているので……」
「少し変わった色のコートはどうだ?」
「素敵ですね。……けど、普段着るのはこの制服がいちばん多いですし」
そう言って、服を摘まんだ。須賀家の使用人の制服は、白と黒を基調とした昔のデザインを引き継いでおり、今となってはクラシカルともいえる造りになっている。
昔はパンツスタイルと長い丈のスカートの二種類だけだったそうだが、今ではワイドパンツなどの形状も増え、選択の幅も広がっている。
三嶌さんは長い丈のスカートに憧れがあって選んだそうで、器用に裾を捌く。ああいった服を着る機会のなかった私は、その動きにある種の技量を感じてしまうものだった。
「制服はいくらでもあるからな。そういえば、デザインはそのままでいいのか?」
「そのまま、というと?」
「他の制服に変えても構わないが」
「いえ。ワイドパンツもスカートも、形状が綺麗でいいなあ、とは思うんですが、慣れていなくて裾を引っかけちゃう気がします」
今着ている、特に裾が広がっていない形状のパンツスタイルが一番事故が起きにくい気がしていた。だが、私がそう答えると、途端に優征さんは残念そうな顔をする。
「着たことは?」
「ない、ですが……」
答えた途端、冷静に指示を飛ばす屋敷の旦那様の瞳が、悪戯するときの少年少女のように煌めいたのが見えた。
ひえ、と心中で呟きながら、相手の次の発言を待つ。
「着てみたらどうだろう?」
「は……、ぁ。構わない、ですけど」
「もう少ししたら誠も帰ってくるな。予備の制服に着替えて出迎えてやってくれ」
優征さんの頭に角が見える気がするのは、気の所為なんだろうか。
わざわざ予備の制服を出してくれるらしい鵜来さんの背を追って、首を傾げながら衣装室を出た。
結論から言えば、型違いの制服を着た私の出迎えを受けた番は、綺麗に固まった。
背後から登場した優征さんは、息子の様子を見てけたけたと笑っている。私が着替えた後で居間に来た圭次さんは、葵にも送ろ、と私の姿を写真に収めていた。
イベントごとだと思われたのか、見慣れた使用人の皆さんも仕事にかこつけて居間に近づいては、私を見て、珍しい、だとか、やだ綺麗、だとか感想を述べたり、髪型を整えて去って行った。
あまりにも動かない番を見上げ、両手で軽く裾を持ち上げる。
「あの。私がロングスカートの制服を着たことがないので、予備の服を着せてもらったんです。……誠さん的には、ナシ、でしたか?」
似合う、と絶賛されるとは思っていなかったが、ここまで極端な反応をされると不安にもなる。
見上げると、一瞬で誠さんの目元が染まった。
「いや。アリもアリ。だけど……可愛いし綺麗だし、丈の長さから来る気品もある」
「ありがとう、ございます。あの、これ……冗談も込みなので。ちょっとだけ、付き合ってくださいね」
これ言ってやって、と優征さんから吹き込まれた言葉は恥ずかしい代物だったが、なんとなく今の非日常感なら言える気がした。
とん、と相手の腕に飛び込んで、唇を笑みに形取る。
「『お帰りなさい、旦那様』」
私なりに、とびっきり愛嬌を込めたつもりだが、普段から慣れていない態度を取るのは気恥ずかしい。
照れ笑いを浮かべながら相手の様子を窺うと、耳まで真っ赤になっていた。
「────え?」
「いや、無理だって。な、なんッ…………、親父だろ!? 唆したの!」
優征さんは背後でぐっと親指を持ち上げている。普段ならもっと怒って文句を言うところだが、なぜか誠さんはそれ以上、追求をしなかった。
諦めたように私を抱き寄せると、堪能するようにしばらくそうしていた。
「深代。写真、撮っていいか?」
「一緒に、ですか」
「一緒のも。深代単体のも」
「いいですけど。じゃあ、誠さんも使用人の制服着ませんか?」
「いいけど。予備あるんだっけ?」
視線を向けた先で、鵜来さんが両手でおおきく丸を作った。あるようだ。
誠さんはふっと笑いを零すと、首元のネクタイを緩める。
「似合うか分からないが。いいよ着るよ。お揃いな」
「やった。私も写真撮らせてください……!」
サイズの合うワイドパンツスタイルの制服に予備があったようで、二人で珍しく制服を着て、並んで写真を撮ってもらった。
しばらくの間、須賀家のみなさんの間に制服を着てみる、というブームが起きたのはまた別の話。
後に、誠さんの携帯電話のお気に入り画像フォルダに、その時の私の写真が大切に保管されている事実を知ることになったのだが、それもまた、別の話だ。