番を持ちたがらないはずのアルファは、何故かいつも距離が近い

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この作品にはオメガバース要素が含まれます。

 

 

▽1

 時間の調整を頼まれた時計は、高い天井付近にあった。

 屋敷の一階にあり、客が扉を開けて最初に見る空間。この空間から二階への階段や、一階の各部屋へ向かう廊下へ向かうことができる場所だ。大きめの調度品が揃えられ、どれもが優雅な色味と、磨き上げられた光沢を放っている。

 強化魔術を詠唱し、重厚な色の床から跳ね上がる。時計に手を掛けると素早く外し、胸元に抱え込んだ。

 すとん、と床に着地すると、ふわりと柔らかい赤毛が浮かび上がる。時計の文字盤を覗き込むと、硝子に僕の顔が映った。

 苦労人、と言われがちな、いつも必死そうな表情を浮かべている顔。硝子の奥から、沈む夕陽の色をした瞳が見返してきた。

 時計を抱え直し、視線を感じて背後を振り返る。

「────リカルド様」

 階段の手摺りに腕を掛け、にまにまとこちらを見つめていたのは、勤め先の屋敷を所有する当主の次男……リカルドだった。

 とん、とん、と階段を降りても、僕を見下ろす顔はまだ高い位置にある。高価な服を適当に纏うため気づきづらいが、体格もアルファらしく優れた男だ。灰色の髪を背後で一つ結びにし、顎にはたまに無精髭が浮いていることもあった。

 取っ付きづらさがないことは美点なのだが、美形な顔立ちなのに、妙に三枚目風な所作の所為で気付かれにくくもある。

 綺麗な琥珀色の瞳と、まっすぐに視線が合った。

「働き者でえらいなー」

 肩を抱かれ、頬を擦り付けられる。

 今日は剃りが甘かったらしい、柔らかい髭が頬の先を擦った。魔力相性は悪くないらしい相手から、ゆったりとした魔力が流れ込んでくる。

 誰にでもそうするであろう男の身体から、はいはい、と言いながら逃れた。

「リカルド様は遊んでるんですか?」

「遊んでる。今日は、『────』地方をぶらぶらしようと思ってさ」

「なるほど。所有している山の視察ですか」

 僕の言葉に、リカルドは視線を泳がせた。頭を掻く指は動きが鈍い。予想が当たっていたことはすぐに察した。

 この人は、働いている癖にそれを隠したがる。

「────すこし前に、雷が大量に落ちた。たぶん、雷管石が見つかるだろうから、人手を連れてくことになってな」

 面倒そうにしていても、楽しみにしていることが魔力の波から漏れていた。働き者で優秀な長兄のことが話題に上がりがちだが、この次男もたいがい仕事好きだ。

 優秀なアルファ。誰からも引く手あまたであろうこの男は、まだ番を得てはいない。神殿に番の仲介を頼まず、当主から見合いを打診されても断り続けている。

 いい加減でちゃらんぽらんに見えて、真面目で有能な部分が滲み出る。それを察する度、もうすこし素直になればいいのに、そう思ってしまうひとだ。

「沢山集まったら、……ロシュは雷管石、欲しいか?」

「貰えるものなら、貰いますが」

 ジール家は特定の山で、雷管石を収集できる権利を有している。その都合から、使用人に対しても、時おり雷管石が給与と共に渡されることがある。僕がこの屋敷に勤めることにしたのも、この特殊な報酬ゆえだった。

 雷管石は、神が落とした雷によって生じる石だ。そして、雷管石は魔力を長期的に内部に保持する特性がある。その特性故、魔力を込めて神殿に預ける用途で使われる。

 アルファ、そしてオメガ。この二つの特殊な性は、人の身体の造りに影響を及ぼす。

 オメガは魔力を多く有し、アルファは体格に優れる傾向にある。この二つの性を持つ者の間では番と呼ばれる関係性が築かれる。

 番が成立すれば発情期に関わる体質が安定することから、この国ではアルファとオメガを積極的に取り持つ傾向にあった。

 特に神殿は、大きな役目を果たしている。雷管石に魔力を込め、神殿に預ける。そうすると所属している鑑定士が、番として相性のよい人を石に込められた魔力から読み取り、紹介をしてくれるのだ。

 遊びの関係を持ちづらいオメガからも、神殿からの紹介相手は好まれている。僕もまた雷管石を手に入れて、神殿へ預けたいと願ううちの一人だった。

「……そっか。俺から渡すには手持ちがなくて悪いが、いずれ手に入るといいな」

 頭をぽんと撫で、リカルドは歩み去っていった。

 僕のように魔術師として仕事のあるオメガなら、基本的には金を貯めて雷管石を手に入れることも容易い。けれど、僕の家は父が闘病の末に亡くなったばかり。母もまた、父を看取った疲労から体調を崩し、入院中だ。

 人のいなくなった家を貸しに出し、僕はこちらの屋敷に住み込みで働かせてもらっている。入院費用は賄えているが、金が貯まったからといって雷管石を買おうという気にはなれなかった。

 僕はオメガだ。身体は強くないし、いつ体調を崩すかも分からない。何時になるか分からない母が退院するまでの入院費を、稼いでおく必要があった。

「だから、僕はここを選んだんだけどね」

 ぽつりと呟き、時計を抱えて長い廊下を歩き出した。靴底で踏みつける赤色の絨毯は、僕の家では買えやしない代物だ。

『気まぐれに給与の他に雷管石をくれる』

 母を案じながらも、自身も番を探したいという希望を持っている僕にとって、この職場は理想的だった。

 雷管石を求めてか、オメガの使用人も多くいる。発情期の対応も手慣れていて、もし番を得たとしても働き続けたい職場だった。

 目当てにしていた狭い作業室へと、身体を滑り込ませる。

 作業室は狭く、中央の大きな机の周りは人ひとりが歩けるくらいの幅しかない。ぐるりと室内を囲むように木製の棚が配置され、代々受け継がれていた工具が置かれている。

 棚から工具箱を持ち上げ、机に載せた。工具箱から目当ての工具を取り出し、螺子を外す。内部から補充してあった魔力を抜き、本格的な分解を始めた。

 この屋敷には魔術師として雇われているが、手先が壊滅的に不器用でないからか、魔装技師を兼ねるような仕事をしてしまっている。内部の魔術式を読み、掠れた箇所を見つけた。

 症状は、頻繁に時計が遅れる、だ。魔力が上手く流れないのは、この掠れの所為だろう。念のため最後まで魔術式を読み、魔力を込めて術式をなぞる。掠れた文字は綺麗に焼き付き、魔力を補充すると長針はまた動き出した。

 正しい時間に設定した後、掃除をしつつ待機し、手元の時計と見比べる。最も長い針は、正しく、そして盛んに円を描き続けていた。

 裏蓋を閉じ、螺子を締める。正しく動き出し始めた時計を抱え、僕は作業室を出た。

 

 

 

 リカルドから相談を持ちかけられたのは、季節の変わり目のことだった。

 暑かった気温も鳴りを潜め、ひたひたと寒さが躙り寄るような日。僕が長袖の制服を身に纏い、広い廊下を歩いていると、探していた、というように呼び止められる。

「ロシュくん。君の助けが必要なんだ!」

 普段はくん付けなどしない癖に、わざとらしく丁寧に僕を呼ぶ。口調もあからさまに変だ。

「今度はなんですか……」

 腕の中に閉じ込められ、いつものように頬を擦り付けられる。

 人懐っこいにしても限度がある。雇い主にしては雑に引き剥がし、距離を取る。質の良い魔力が流れ込んでくる所為か、なんだかそわそわしてしまうのだ。

 ぱあっと晴天のような笑みを浮かべ、リカルドは、こっち、と手招きする。誘われたのは最上階にある彼の自室だった。

 貴族の一員だけあって広く、大きな窓から庭がよく見える部屋が割り当てられている。部屋の中は暖かい色味で揃えられてはいるが、ごちゃごちゃしたところや派手さはない。普段の彼の態度からすると、意外な室内を眺める。

 華美すぎない寝台に棚。部屋の中も整えられており、唯一、机の上だけが本と紙で溢れていた。

「ロシュ、おいでおいで」

 僕を中央にあるソファに招くと、座るよう促される。

 僕がおずおずと腰掛けると、隣に、とすん、と彼が座った。距離の近さはいつも通りで、この態度に勘違いする人もいるのでは、と心配になる。

「あ、これお土産」

「え。またですか……、ありがとうございます」

 小さな菓子らしき包みを差し出され、おずおずと受け取った。遠方に行くたび、几帳面にこうやって土産を使用人にまで渡してくれるのだ。

 机の上には、宝石を仕舞うための箱が置かれていた。リカルドは繊細な装飾がされた箱を引き寄せると、一番上の蓋を開ける。

 中には、橙色の宝石が入っている。彼は手袋を填めると、宝石を持ち上げた。

「こっちが本題。この間、収集したばかりの雷管石なんだけどさ」

「え? 雷管石なんですか?」

「珍しいだろ。綺麗に橙色に染まってて」

 神が創り賜うた大振りの雷管石。そして希少な色味。この一つだけで立派な家が建ってしまうかもしれない。

 リカルドは僕にも手袋を与える。指先が余る大きさのそれを填め、彼から手渡された宝石を手のひらに載せた。

 窓から漏れる光を受け、表面はぴかぴかと輝いている。手のひらの上で転がすと、星の瞬きのような鋭い煌めきが目の前で次々に色を変えた。

「これ。一度、売ったものなんだよ」

「え? 売った物がどうして……」

 リカルドは苦笑すると、後頭部のあたりで指を組む。

「魔力が籠もらないんだ。雷管石であることは間違いないんだけどな……なんというか、魔力を受け付けてくれなかった」

「じゃあ、……こんな言い方は可笑しいと重々承知していますが。────返品、と」

「そう、返品。神殿に預ける石って、どんなものでもいい、って人もいれば、番を得た後で大事に保管したい人も、加工して身につけたいって人もいる。それ、本当に高値が付くんだ。……魔力さえ籠もれば、な」

 加工の方法を持ち主が決めることを目的として、最低限の状態……ほぼ原石のまま雷管石が流通することもある。他の石と違い、それでも値が付くのが雷管石だ。

 けれど、この雷管石には魔力が籠もらなかった。魔力を保持しなかったのだ。

 リカルドは僕の手のひらの上にある、我が儘な石を指差した。

「専門の機関に調査を依頼すべきかもしれないが、その前に調べてみてくれないか」

「調べる……と、いっても。魔力を込めずに、ですよね……。魔術師は、魔力の流れを読み解くことは得意です。ただ、例えば僕が魔力をこの石に流し込んだとしたら、保持されてしまうかもしれない。保持されてしまえば、他の人には売れません」

 商品の価値を無に帰すような真似はできない。もし原因を探るとしたら、この石自体に魔力を流し込まない方法でしか探れない。そうすると、魔術師として取れる手段が途端に少なくなる。

 釘を刺すつもりだったのだが、リカルドはそれを否定した。

「流してみても構わない。実は、複数人、流すことを試みて失敗してる」

「そんなことをしたんですか!?」

「最初に買った人の家族で、だ。ほら、上の子が駄目でも下の子なら、石はその家の物になるだろ。でも、駄目だったな」

 リカルドは顎に手を当てる。太い指先が輪郭に沿って撫でた。

「専門の機関は高い。ある程度の期間、ロシュにその石を出来る限り調べて貰う、というのならどうだ?」

「まあ、あまり急ぎではないのなら……」

「それは大丈夫だ。もう返品されたしな」

 もし魔力が込められないとしたら、この石の価値はがくんと下がる筈だ。そうなれば、家などとうてい建たない。リカルドにとっては、その差額が諦めづらいものなのだろう。

 あ、と思い出したように彼は言葉を続ける。

「それ、ロシュであっても持ち出されると困るんだ。調査作業は、この部屋でやってもらえないか?」

「…………僕。……がリカルド様の部屋に頻繁に出入りすることになりますが」

「使用人長には事情を話しておく。こんなアルファと噂になっても困るだろうからな」

 あはは、と笑って頭を撫でられる。別に、こんな、と称するような人物でもないだろうに、彼はこうやって自分の価値を落としてしまう。

 そんな癖を持つ人だから、頼られたら助けてあげたくなってしまうのだ。

「困るのはそちらでしょう。僕は、噂の相手にしては難有りだと思いますよ」

「なにが?」

 彼の口調は、予想外に固い響きだった。なにか大切なものを損なったような、僅かに咎めるような波があった。

 こくんと唾を飲み込み、口を開く。

「僕自身、あの。見目に優れたオメガという訳でもありませんし、母は病気で、番になった方に迷惑を掛けてしまうかも……」

「誰かを支えたいと思う気持ちは、褒められるべきだと俺は思う。あと、アルファは顔より匂いと魔力相性のが大事かな」

 頭を撫でる掌は、さっきの動作よりも優しかった。彼が番に対して向けるような優しさの一端を垣間見てしまった気がする。

 ざわり、と騒ぐ胸を、奇妙に思いながら押さえた。

「そういうものですか?」

「顔の良し悪しって、こう、好みの意見による多数決だろ」

「でも、大体の人は多数派に含まれます」

「まあな。でも、匂いの好みのほうは、けっこう意見が割れるんだよな。……というか、ほぼ、番にしたい相手以外はどうでも良くなる、っていうか」

 番は一対の関係だ。アルファがオメガを番候補として定めると、途端に他を見なくなる光景はよく目にする。

 むう、と言葉に押されて黙った僕に、リカルドは微笑みを贈った。

「だから。噂になりでもしたら否定しとけよ。『あのおっさんには興味ない』って」

「おっさん、と称するほど年上でもないです」

 ほんの数歳上なだけの筈だ。ほらまた、と彼の癖に栞を挟む。さり気なく自分の価値を落とそうとする。その度に、僕の腹には火が燻る。

 何でこんなに腹を立てているのか分からないが、尚更もやもやするのだ。

「でも、まぁ。否定はしておきますので」

「おう」

 表情を窺うと、彼はにかりと歯を見せた。画布に繊細な淡い色を混ぜた絵を描いて、それを濃色一色で塗りつぶしたような表情だと思った。

 彼自身がどう、とは言わないが、隠されるものがある事はさびしかった。

 

▽2

 それから、二人で集まっては石を調べ始めた。

 重さを量ってみたり、光に透かしてみたり、と一般的な宝石を観察する方法を繰り返す。数度集まって、その石が雷管石であることは間違いないようだ、と意見が固まった。

 調査時間には、リカルドがお菓子を持ち込んでくる。休憩、と称してはお菓子を食べ、お茶を飲む。遊戯盤で遊びもする。仕事、というには余りにものんびりした時間だ。

 その日も、仕事の合間にリカルドの自室へ向かっていた。今日は質の良い拡大鏡を貸してもらった。比較用に透明な雷管石も貸し与えられている。

 二つを見比べ、差を探そうと考えている。もはや魔術師である意味はない気がしたが、依頼主が諦めるまでは最善を尽くすつもりだ。

 廊下の先に人影を見て、さっと端に寄る。おはよう、と声を掛けてきたのは、リカルドの兄……ジール家当主の長男だった。

「オースティン様、おはようございます」

 僕が進路を譲ろうとすると、オースティン様はその場に立ち止まった。動く様子のない影を見て、頭を上げる。

「最近、リカルドと雷管石の調査をしてるんだって?」

「はい。魔力が籠もらないそうで」

「聞いた聞いた。返金と埋め合わせをしなくちゃいけなくなって、父もリカルドもがっかりしてた」

 彼は口元に指を当て、くすくすと朗らかに笑った。リカルドよりも上品で、貴族に抱く印象の典型のような人だ。

 弟と同じ灰色の髪を縛る必要のない長さに整え、瞳の色は、弟の琥珀とは全く違った青色だ。彼の生みの親は、リカルドの母とは違う。

 聞いた限りでは、見合い結婚をした後で、当主が今の番と出会ってしまったらしい。先妻との関係は、結果的に言えば『番になりきれていなかった』そうだ。当主と先妻は離婚。赤子だったオースティン様は、当主の番……リカルドの母の手元で育てられることになった、と聞いている。

 両親との仲が悪い、という話は聞いたことがない。オースティン自身も、別れたとき幼すぎて当主の先妻のことはよく覚えていないそうだ。

 リカルドの話をするオースティン様は本当に嬉しそうで、その感情には染みひとつも見えなかった。

「ねえ。リカルドの自室で作業してるんだって? ロシュはリカルドと二人きりになって、どきどきしたりしないの?」

 オースティン様はこういう、色恋沙汰が好きだ。というより、誰かとお喋りする時間が好きみたいだ。気がつくとオメガの間に入って、きゃっきゃと恋愛談義をしていたりする。

 周囲にリカルドがいないことを確認し、目の前の人に向き直った。

「しません……! そもそも、僕じゃリカルド様とは不釣り合いです!」

「そうかなぁ。とっても仲良さそうなのに」

 残念そうな表情は、僕がリカルドと番になってもいい、とでも言いたげだ。

 長い睫毛はゆっくりと瞬きをし、弟とは違って丁寧に手入れされた髪は、つややかな光を放っている。

 物語の中の王子様を想像する時、皆この人のような人物を想うんじゃないだろうか。

「リカルド様は、誰に対してもあんな感じですよ」

「そうなんだ? いっつもロシュを見つけるのが上手いから、特別なんだって思ってた」

 慌てて否定する。いくら誤解だといっても、兄から弟に伝わってしまえば気まずいことに変わりは無かった。

 僕が必死に否定の言葉を紡いでいるのを、目の前のひとは微笑ましそうに眺めている。

「それに……! まだリカルド様は神殿に石を預けていないんですから、預けたらすぐ相手が見つかりますよ」

 その言葉を放った途端、オースティン様の表情がしゅんとしたものになる。眉は下がり、持ち上がっていた唇は下がってしまった。

 何が悪かったのかは分からないが、不味いことを言った、と別の意味で慌てる。

「────リカルド。神殿に石を預ける気はなさそう?」

「そういった話はしませんが、……なにか、あるんですか?」

 うぅん、とオースティン様は悩んで、近くをちらちらと見回した。手招きをして付いていった先は、リカルドの自室とも近い、彼の自室だった。

 弟は人懐っこいからいいが、この兄は滅多なことで自室に人を招いたりはしない印象だ。動揺が顔に出る僕に、彼は安心させるように微笑みかけた。

「何もしないけれど。信用を得るのは難しいよね……そうだ。結界を君の周りに展開したら?」

「いいんですか?」

「いいよ。君が安心してお話しできるのがいちばん善い」

 言われた通りに自分の周囲に結界を展開し、彼に続いて自室に招かれた。ソファを勧められて腰掛ける流れに、既視感を覚える。

 兄の部屋は弟の部屋よりも、淡い色合いでまとめられていた。色味が少なく、塵一つ無いほど片付いた室内は、本棚に並んだ恋愛小説の背表紙が鮮やかに浮かび上がって見える。そして、弟と同じく、机の上は書類で溢れていた。

 前回と違ったのは、オースティン様が向かいの椅子に腰掛けたことだ。あえて距離を取ってくれようとしているらしい。

 本当にオメガの中にいても、オメガが接していても、怖くない人だ。

「この部屋の外に、会話が聞こえないようにできる?」

「できます」

 外との間に遮音結界を張る。目の前でオースティン様は手を叩いた。

「凄いなぁ。じゃあ、話すけど。……リカルドに神殿に石を預けるよう、それとなく促してくれないかな?」

「それは構いませんけど。自室に招いてまで頼もうとする理由をお伺いしても?」

 構わないよ、と彼は頷いた。白い指は膝の上で組まれ、睫毛は憂うように伏せられている。整った唇から、吐息が漏れた。

「ロシュは、私とリカルドが異母兄弟だということは知っているよね」

「はい。当主様が、番を得る前に結婚されたのがオースティン様のお母上、ですよね」

「そうだね。けれど、私は生みの母だけを『母』と思うには幼すぎた。今は母が二人いる。そう思っているよ」

 寛容で、そして善良。見目に相応しい内面を持った彼は、きっと葛藤もあっただろうに、それをおくびにも出さない。次期当主として、理想的な人物だと誰もが言う。

 けれど、彼を見て察するものもあった。光が大きいほど、闇は濃くなる。この兄を見続けて育った弟は、兄の姿を見るたび何を考えたのだろう。

「でも、リカルドは私に対して、生みの母を奪った、という負い目があるみたいなんだ。神殿に雷管石を預けようとしないのも、私が番を見つけるまで待つつもりなんじゃないか、と心配になってね」

「え……?」

「杞憂、だったらいいんだけれど」

 表面上は、彼らは問題なく兄弟をやっている。だが、リカルドが頑なに神殿に雷管石を預けようとしないことは、僕も、僕以外も不思議に思っていた。見合いは断っているようで、だからといって遊びの恋愛をしている暇も彼にはない。

 兄から実の母を奪った、とリカルドが思っているのなら。だから、神殿に雷管石を預けないのだとしたら。

「真実を確かめるためにも私の番が見つかれば早いんだろうけど、こればかりは縁でね。リカルドがなぜ神殿に雷管石を預けようとしないのか、探りを入れて。私のことを気にしているようなら、それとなく気にしないよう伝えてもらえないかな?」

「はぁ……。まあ、これから共に調査を進めていくことになりますし。説得はともかく、機会があれば話を聞いてみる、くらいの協力でよろしければ……」

「うん。それで構わないよ。私にも両親にも、きっと話してはくれないだろうから」

 よろしく、と手を差し伸べられ、その手を取った。

 表面は汚いことなど何も知らないように見える手だが、掌は筆記具の使いすぎで皮膚が硬くなっている。弟の手によく似ていた。

 立ち上がったオースティン様に合わせ、僕も席を立つ。手ずから扉を開けられ、廊下へと出る。続けて部屋の主が出てくると、僕の背後、廊下の端に青の目が向いた。つられて視線を向けた先には、長身の姿がある。

「あ、リカルド様…………」

 気まずいことなど何もないはずなのに、眉間に皺を寄せる表情に慌てて口を開く。

「おはよう、ございます」

「おはよ。ロシュにしては遅いなと思って見に来たんだ、なんで兄貴と?」

 眇められた瞳は細く、兄を射るような凄みがある。なぜ怒られているのか分からないまま、僕は兄弟の間に挟まれた。

 オースティン様はにこにことするばかりで、弟の圧をさらりと受け流している。

「ロシュに相談があって」

「相談?」

「うん。詳しくは言えないんだけど、少し頼みごとをしていたんだ」

 じろ、とリカルドに視線を向けられ、こくこくと頷いて兄の言葉を肯定する。機嫌の悪い弟は、このまま僕を追い詰めても益がないと悟ったのか、溜め息と共に怒気を散らした。こっそりと詰めていた息を吐き出す。

 何だったのだろう。負い目があるのでは、と言っていた事に関わるのだろうか。

「……もう、話はいいのか」

「大丈夫。ゆっくりお話はできたから」

 チッ、と音がした。舌打ちの音に似ていたが、兄相手にそうする理由が分からず困惑する。

 リカルドは僕の手を取った。触れた所から、乱れた魔力の波が流れ込んでくる。

「行くぞ。調査するんだろ」

「は、はい……!」

 大股で歩き出す彼に合わせて、僕も駆けるように歩き出した。ちら、と振り返ると、オースティン様はひらひらと手を振っている。

 僕が手を振り返すと、それを見ていたリカルドはまた瞳の奥をぎらつかせた。歩み去る兄の背を見送り、姿が消えた途端、僕に視線を向ける。

「……兄貴と仲よかったか?」

「特別、仲が良い訳じゃないですけど」

「じゃあ、なんでお前に頼み事なんだ?」

「………………。僕にも、よく分かりません」

 じり、とリカルドが歩みを進める。長身で肩幅のある身体に、壁まで追いやられる。

 先程までの怒気はないが、面白がるように僕を追い詰めた。とん、と顔の両側、背後にある壁に腕が押し付けられる。顔が近い。

「頼み事って?」

「…………言えません」

「お兄さん相手でもー?」

「…………冗談も大概にしてください。リカルド様は兄ではないですし、内緒の相談事を口外するような使用人は解雇されるべきです。だから、言いません」

 目の前で息が吐かれた。僕に対する空気はほぼいつも通りだ。ならば、あの怒気は兄であるオースティン様に向けられたものなのだ。

 鼻先が触れるか触れないかという所まで近づいた。体温を感じる。

「俺とお前の仲じゃないか」

「別にそこまでの仲じゃないです」

 きっぱりと言い切ると、思い当たる節があるようにリカルドは視線を逸らした。あ、と声を漏らすと、何事かを思いついたように視線を戻してくる。

「そこまでの仲じゃないから、話してくれないんなら。そこまでの仲になればいいのか」

「その理屈がおかしいの、分かってますよね」

「いや。元々さ、ロシュに几帳面に敬語を使われるの、寂しいなと思ってたんだよなぁ。歳もすごく離れてる訳じゃないだろ」

 いい機会だ、とでも言いたげな表情に、嫌な予感がする。僕を困らせて楽しもうとする時の、あの光だった。

 僕はべったりと壁に背を押し付ける。両側は腕に塞がれ、逃げようがなかった。頭の後ろがひやりと冷える。

「────雷管石の調査の間。敬語。やめよっか」

「うわぁ…………」

 漏れた言葉は、げんなりした僕の感情を真っ直ぐに現していた。むっとした顔のリカルドに、引く様子はない。

 指先が頬を撫で、僕の髪を払った。

「じゃあ、もっと急いで仲良くなるか?」

「敬語をやめればいいんですね」

「ほら敬語」

「敬語……を、やめればいいんだよね」

 リカルドは目を見開くと、自身の胸に手を当てた。ふむ、と視線を逸らし、何故かふんふんと満足そうに頷いている。

 周囲に人がいないからいいものの、使用人長にでも見つかれば注意されるのは間違いない。

「……敬語を外してほしいんなら、部屋、行こうよ。石の調査をするんでしょ」

 大きな掌が、彼自身の胸元の服に食い込んだ。骨張った指先が服を握りしめ、無言で視線が下がっていった。

 拘束から逃れられたのをいいことに、僕は追い詰められた場所から抜け出る。彼の部屋の扉に近づくと、背後から僕の歩幅より広い間隔で付いてくる足音がある。

「ロシュ」

「なに?」

「リカルド、って呼んで」

 はぁ!? と言いながら振り返るのだが、彼は切なげな、何かを求めるような表情をしていた。複数の感情が綯い交ぜになった顔は、普段のリカルドとは違って見えた。

 茶化しているのではない。希望を伝えられただけの言葉は、足蹴にするには華奢すぎる。

「────リカルド」

 ぱあ、と咲き誇るような表情を飾るように、揺れたカーテンの先から光が降り注ぐ。兄弟はよく似ている。オースティン様を王子様に相応しい顔立ち、というのなら、普段のへらへらとした表情をしていないリカルドも、またそうだ。

 分かっていたはずなのに、珍しい表情から目が離せない。

 とくん、跳ねた鼓動がやかましい。腕が伸びてくる。髪を掻き回してくる掌を払いのけようと、腕を振り回している間、どくんどくんと胸が鳴り続けていた。

 

▽3

 雷管石に対し、表面の罅や中にある気泡など、既存の雷管石との違いを確かめていく。ただ、そもそも専門家が『雷管石である』と断定した物に対して、素人が見比べても分かることはなかった。

 拡大鏡を置き、首を傾げる。

「リカルド。見た目はやっぱり変わ……らないよ」

「貸して」

 伸ばされた掌に拡大鏡を載せると、手袋をした指で雷管石を傾ける。全体を一周して、そして例の魔力が籠もらない方の雷管石を手に取った。

 うーん、と漏れる声からは、違いを発見できていないようだと分かる。

「……やっぱ、魔力を込めようとしてみて、実際の魔力の動きを見てもらった方がいいかな」

「やってもいいけど、怖いなぁ。本当に魔力が籠もっちゃったら、これ、僕の雷管石になっちゃうよ?」

 はは、と楽しそうな笑い声が響く。そして、笑い声が収まると、静かに低い声が空気を伝った。

「そうなったら、やるよ」

「はぁ!?」

 冗談だって、とリカルドは言うが、冗談の声ではなかった。困惑しながら、手袋を外した。魔力を流し込むのなら、直接触れる必要がある。

 素手になった僕の手のひらの上に、色の特殊な雷管石が置かれた。魔術式を綴る時と同じように、指先に魔力を灯す。石に魔力を込めるように力を流すと、おそらくは石の表面で、魔力が弾かれたような気がした。

 雷管石を持ち直してみるのだが、魔力が含まれた様子はない。僕は摘まみ上げた石の表面を、しげしげと眺める。

「どうだった?」

「表面あたりで弾かれた感じがする」

 魔力を纏わせて探ってみると、魔術とは違った力の流れが見える。意図を持って組み上げられたような、何らかの術式の存在が感じられた。

 石が本来持っているとは思えない、人が紡いだような整い方をしている。

「この石を収集した時、近くに誰かいた?」

「石を集めるための人手だけだ」

「その中で、この石に直接触れた人は?」

「いや。皆、手袋をしていた筈だけどな。……採集した時は、付着していた石を割った人間と、俺だけが手袋越しに触れた筈だ」

 僕は首を傾げる。

 おそらく、この纏わり付いている術は神術だ。魔術とは異なる、神の力を根源にした術式。神が力を与えることによって発生するそれは、神官が使う術のはずだった。

「石の周り。神術による、極狭い範囲に対しての結界が張られてる。……ような気がするんだけど」

「はぁ? けど、神官には触らせてないぞ」

「じゃあ、これ。誰が……」

 うぅん、と唸って、持ち上げていた石を布の上に戻す。神術ならば、魔力を弾くことも十分考えられる。

 疑問なのは、何故そんなことが発生したかだ。僕が腕組みしたまま天井を見ていると、リカルドが隣から声を掛けた。

「原因はともかく、解いてもらえばいいんなら、神殿に行くべきだろうな」

「あ、そっか」

 原因を探らなければいけない、と思い込んでいたが、神官に頼んで結界を解いてもらえば目的は達成できる。

 ぱちぱち、と僕が手を叩くと、リカルドは手を振った。

「やめろって。原因を突き止めたのはロシュだ。……じゃあ、神殿に事情を話して訪問予定を立てておくから、その日、付いてきてくれるか」

「僕も?」

「念のためな。なぜ神殿が関係すると思ったのか、って根拠を話してほしい」

「まあ……そういうことなら」

 その場はお開きとなり、数日後に訪問の予定を告げられた。仕事の時間のはずだったが、リカルドが、これも仕事、と僕の予定を空けてくれる。

 当日まではお互いに廊下で会うたびに仮説の交換をしていたのだが、それを見かけたオースティン様は、何故か嬉しそうに話しかけてくる。雷管石には関わりはないだろうに、話には真面目に加わっていた。

 そんな兄を見ていた弟は、苦々しげだったが。

 

 

 

「────お前、その格好で行くつもりなのか」

 神殿に向かう当日。リカルドは僕の服を見下ろして眉をひそめた。仕事なのだから、と使用人の制服姿だったが、彼の想定とは違ったらしい。

「え。だめ?」

「……二人で出かけるんだぞ?」

「二人で仕事に行くだけじゃん……」

 目の前のアルファは、拗ねるように唇を尖らせる。

「ついでにお茶でもしようと思ってたのに……」

「そんなに気を遣わなくていいよ。まっすぐ帰ろう」

 リカルドは首を横に振った。はっきりと、嫌だ、と口にする。

 駄々っ子そのままの態度に、僕も唖然としてしまう。力が抜けている間に、手首が掴まれた。連れて行かれたのは、オースティン様の部屋の前だ。

「兄貴」

 声を掛けると、しばらくして室内から返事がある。かちゃり、と扉が開き、中から見慣れた麗人の顔が覗いた。

「兄貴の衣装室に入って良いか? あと、昔着てた服貸して」

「いいよ。ロシュが着るの?」

「ああ」

「じゃあ、右手の奥の方の服がいいと思う」

 案内しようか、という提案はリカルドが断って、僕の手を引いたまま歩き出した。オースティン様はいつも通り楽しげに手を振って送り出してくれる。

 衣装室、とやらは、ずらりと服が並んでいた。勝手知ったる、というように弟は兄の服を持ち上げる。

「俺の服を貸してもいいけど、昔から横幅があったから。まだ兄貴の服の方がいいだろ」

「高価なものでしょ……これ。汚したら……」

 不安に視線を彷徨わせる僕に、目の前の男は平然と答えた。

「兄貴は服が捨てられないだけだ。大切な服は別の場所に仕舞ってあるよ」

 いくつか丈が合いそうな服を僕の胸元に当て、腕の長さを確認する。合いそうな服が見つかると、同じ場所にあった服をいくつか持ち上げては比べる。

 僕は姿見の前に立たされ、色味を確認された。

「やっぱ、俺の服より、兄貴の服の方が合うな。色味が華やかで上品だ」

「そうかなぁ……」

 自分では似合う服が分からない。

 父が病に倒れてから、家に余裕があったことはなかった。どれだけ自分の物が買えるか、という観点なら、今がいちばん余裕があるだろう。

 ただ、いつ母の容態が悪化するか、を考えれば、蓄えた金銭を服には使えなかった。

 ふと、僕の手持ちの服について尋ねられなかったことに気づく。雇い主であるジール家の方々はよく使用人の身の上を知っていてくださる。それでいて、尋ねなかったのだ。

「あの……。ありがとう」

 僕の言葉に、リカルドは眉を上げて応えた。

 身につけた服は、多少丈が余っているが許容範囲、といったところだろう。腰のあたりを絞ってもらえば、まあまあ見られる姿になった。

 淡黄色の上着、下に収まる詰め襟のシャツは手首にもフリルがあしらわれている。下の服は白で、玄関に行くと赤墨色のブーツを貸し与えられた。僕まで貴族になったみたいだ。

 貴族と使用人の関係である普段よりも、隣に並んでいて自然な姿をしている。とくり、とくりと胸が鳴って、ああ、自分は嬉しがっているのだ、と自覚した。

「────ロシュ」

「なに?」

「一緒に、出掛けてくれますか」

 身体を屈め、差し伸べられた手はすらりと伸びている。

 その時に、彼の姿がようやく目に入る。髪型をいつもより下、品良く纏め、綺麗な目の色が前髪に隠れず主張している。藍色を主体とした服は、リカルドを貴族らしい容姿に見せていた。彼もまた、王子様みたいだ。

 ふ、と自然に唇へと笑みを刷いた。伸ばした指を重ねると、彼のそれよりも頼りなく、握り込まれれば隠れてしまった。

 跳ねる彼の魔力と、跳ねる僕の魔力がぶつかりあって、皮膚をくすぐる。

「はい。美味しいお茶、楽しみにしてる」

「任せろ」

 持ち上げられた指先に、唇が落とされた。びくん、と指先を動かすと、ちらり、と見上げた視線と絡み合う。

 アルファの唇が、笑みの形に歪んだ。

「キス……!?」

「まあ、手くらいいいだろ」

「よくない!」

 やいやいと言い合っていると、僕たちを送ってくれる馬車が玄関先に到着する。馬車を停め、扉を開けるために降りてきた御者の姿を見て、僕は文句を閉じ込めた。

 御者は顔馴染みで、僕の姿を物珍しそうに見る。何事か言いたげだったが、何も言わずに扉を開け、指先で僕たちを促した。

「……どうぞ。今日は窓はどういたしましょうか?」

「少し暑いな。広めに開けておいてくれるか」

「かしこまりました」

 リカルドは僕の腰を抱くと、馬車の中へと案内した。

 この馬車はよく彼が使っているうちの一つだ。外に装飾品が少なく、外観は貴族というよりも商人の馬車に見える。だが、治安の悪い場所を走る時など、こちらのほうが面倒がなくていい、と彼は言う。体裁よりも実利を取りたがる、彼らしい馬車といえた。

 とはいえ、内装には拘られており、腰掛けた座席は適度に背を押し返した。使われている布地の端には細かな刺繍が施されているし、置かれた小机は磨き上げられ、見慣れない材質が重厚な輝きを放っている。

「なんでいっつも隣に来るの」

「触ってると心地良いから」

 横から髪を持ち上げられ、ふわりと離された。むっつりと唇を持ち上げ、いちど向けた視線を離す。

 並んだ身体は近くて、皮膚同士が擦り合わされたら魔力が混ざってしまいそうだ。感覚を誤魔化すために、周囲への結界を編んでいると、リカルドは黙って僕を見守っていた。

 詠唱が終わり、無事に結界が張り終わった途端、また腕が伸びてくる。手が重なり、掌が覆われた。

「ちょっと……!」

「嬉しいなぁ。ロシュとお出掛け」

「お出掛けはするけど、仕事! それに触っていいなんて言ってない!」

「聞いたら駄目って言うだろ」

「分かってて聞かないのは卑怯だよ……!」

 暴れようとも、動きづらい服の所為で叶わない。もぞりもぞりと逃れようとするのだが、その度に捕らえられ、近くにアルファの身体が近寄ってくる。

 何度もなんども触れられる度に、魔力の波を覚え込まされる。番でもないのに、番みたいな距離で、番がする魔力を混ぜる行為を繰り返す。

「────……」

 雷管石の調査のあいだも、こうやって黙り込むことがあった。前までは廊下で会話を交わすくらいで、長く一緒に過ごすことはなかった。

 黙ると、呼吸の相性が分かる。

 馬車が揺れる。道を引っ掻いて、時おり小さな石を踏んで浮き上がる。息を吸って、水中に潜って、また泡が揺れる。それらの調子が、隣にいて嫌ではないアルファ。

 オメガがアルファを選ぶ時に匂いと共に重要視するもの。魔力相性とは、そういうことだ。

「雷管石に掛かってるの、神術だといいね」

「ああ。その上で、解いて貰えるといいな」

 お互いの会話が噛み合うと、それからぽつぽつと近況を話し合った。リカルドの言葉の端々に、多忙さが窺える。なぜ彼が、僕と共にこんなに時間を掛けてまで雷管石に魔力を込めようとしているのか、不思議に思った。

 馬車は滑らかに神殿の敷地へと近づく。門の近くに横付けすると、僕たちは揃って馬車から降りた。

 御者に礼を言い、リカルドの斜め後ろを歩く。門は高いが、その先の建物群もまた門から突き出ている。

 建物は白を基調としているが、彫り込まれている紋様はどれも緻密だ。白の中に埋もれてしまいそうな細かいそれが、配置の妙によって浮かび上がる。名のある彫刻師の作であろうことは素人目にもわかった。

 神殿の敷地に色味を与えているのは主に植物たちだ。植えられた花は色鮮やかに咲き誇り、影を作る樹は重厚な色味を纏ってどっしりと構えていた。神殿の建物は景色上の主でありながら、臨機応変に従となる。

 こつこつと舗装された道を辿り、最も高い建物へと近づく。歩み寄ってきた職員にリカルドが名と用件を告げると、先導されて建物内へと招かれた。

 僕は黙って彼の斜め後ろを歩く。ふと、琥珀色の瞳が振り返った。わずかに歩みの速度を落とし、僕の背をぽんと叩く。

 そしてまた、大股に少し先へと戻っていった。緊張が伝わってしまったんだろうか。顔の横の髪を摘まみ、撫でて払った。

「こちらへどうぞ」

「ありがとう」

 招かれた部屋は広く、窓は中庭に面していた。贅沢なほど光が届くが、中庭が区切られている所為か、喧噪とはかけ離れている。

 一面の壁は白かったが、調度品には上品な白以外の色味が使われていた。なんだかほっとして、息を吐きながら柔らかな椅子へと腰掛けるリカルドを見守る。

 向かいの椅子を空け、僕は彼の隣にある椅子へと腰を落ち着けた。持ち込んだ雷管石の箱は、間に挟んだ机の上へと載せる。

 間を空けず、部屋の扉を叩く音がした。

「失礼します」

 部屋に入ってきた人物には見覚えがあった。時期的な節目の挨拶のために顔を見る……この国の大神官だ。

 ジール家が高位の貴族だとしても、出てくるには不釣り合いな人物だった。僕はぎょっと目を剥き、ちらりと窺ったリカルドも虚を衝かれた様子だ。

 大神官は、にっこり、と笑ってみせる。

「今日は、雷管石に掛かっている神術について、聞きたいことがあるとか」

「あ、はい。あの、大神官様が直々に……?」

「ええ。私以上に神術を扱える人間はいないでしょう?」

 互いに一頻り挨拶をするが、僕はふだん目にしない人物を前に、雲の上でも歩いているような心地だった。

 大神官は神官服の長い裾を捌くと、向かいの席に腰掛けた。ぴんと過剰なほど背筋を伸ばしてしまう僕に、先に平静を取り戻したリカルドが肩を撫でる。

 彼の手が、箱を開けた。

「これが雷管石です。ロシュ、説明をしてくれるか?」

「うん。……この雷管石の周囲に、魔力を弾く障壁のようなものを感じるんです。僕はあまり神術には詳しくはないのですが、奇妙、というか、理解できない感じの力、というか……」

 大神官は手袋を持参していた。石を持ち上げ、周囲を観察する。こくり、と目の前でその麗人は頷いた。

「魔術を得意とする人は、よくそういった事を言いますね。理解できない、と。……確かに、この石の周囲には、神術の結界に近いものが存在します」

「────近い、もの?」

 神術ではないのだろうか。僕が首を傾けると、ええ、と大神官は頷く。

「これを組み上げたのは、素質はあるけれど神官ではありません。おそらく、この石を収集した時、山に満ちた神気が、石を持った人物の願いに同調して形作ったものだと思います」

 大神官は、もう見なくていい、とでも言いたげに石を箱へと戻した。神術を解いてもらいたいが、これ以上触る気はない、というように手袋も外してしまう。

「もしよろしければ、魔力を石に含められるようにして頂きたいのですが」

 綺麗な顔立ちに笑みが浮かぶ。けれど、その笑みは造り物めいている。言葉を発する前に、反射的に拒絶されているのだと分かった。

「できません」

 口にされた言葉は予想通りだった。ぐう、と妙な経路で空気ごと唾を飲み込む。

「……何故、か、お伺いしても……?」

「神の意志に背くことは『できません』」

 僕はちらりとリカルドを見る。彼は眉を寄せ、躊躇いがちに唇を動かした。

「その、障壁みたいなものを張ったのは、俺ですか?」

 黙り込んでいた人物の発した言葉に、え、と言葉が漏れた。石を持った人物の願いに同調して、と大神官は言った。ならば、この石の周囲に張られたものを望んだのは。

「そう。貴方です」

「俺が望めば、取り除かれる?」

「はい。でも、貴方はそれを望んでいない。神は、貴方の意志を尊重しています」

 リカルドは、椅子の背に背筋を押し付けた。ぎい、と音が鳴りそうなほど撓らせると、はあ、と息を吐く。

「じゃあ、……俺の問題ですね」

「分かっていただけたようで、良かった」

 にこにこと微笑んでいる大神官と対照的に、リカルドは口を引き結んでいる。僕は二人の間に視線を行き来させ、様子を見守った。

 ありがとうございました、と普段はもっといい加減な男が、きっちり頭を下げる。

「自分の問題と、向き合ってみます」

「ええ。たまには、そういうのも悪くありませんよ」

 二人は示し合わせたかのように同時に立ち上がり、リカルドは帰り支度を始める。

 魔力を通さない障壁は、作った本人が望めば解消する。作ったのはリカルドで間違いなく、いまの彼はそれを望んでいない。だから魔力を弾く障壁は消えない。

 部屋を出ながら、僕は交わされた会話を噛み砕いていた。

 大神官は建物内を誘導し、出入り口まで僕たちを送る。彼はただ笑みだけを残し、優雅に引き返していった。

 僕は歩き出そうとせず、ぽつんと立ち尽くしているリカルドの服の裾を引く。

「リカルド、が、魔力を通さないことを望んだの?」

「…………ああ」

「なんで?」

 動揺が治まっていない様子だ。黙り込み、丸まった肩はあまりにも小さい。手を伸ばして、彼からそうされたように背を撫でる。

 リカルドは腕を伸ばし、僕の肩を抱き込んだ。僕の頭の上に顎を乗せる。そうしないと、倒れ込んでしまう、とでも言いたげだった。

 僕は黙って、しばらくそのままにしていた。

 

▽4

 朝から廊下を歩いていたところ、経過報告、とオースティン様の部屋に捕まった。

 彼からの依頼に関しては全く進展がないのだが、雷管石に関しての経緯を話して聞かせる。

「────ということで、雷管石に魔力を込められない原因は分かったんですが、リカルドがその理由を教えてくれなくて」

「『リカルド』?」

 相手が聞き上手な所為か、普段の呼び方に戻ってしまった。はっと口元を押さえる。オースティン様は、そんな僕の様子に何かを察したのか、目を見開く。

「リカルド様に、……二人の時だけ、呼び捨てで呼ぶように、って」

 ちら、と表情を見ると、目の前の人はなんだか嬉しげだ。見守られるような優しげな眼差しは、弟が時おり浮かべるそれに似ている。

「へえ。じゃあ私も……」

「オースティン様は駄目です」

「リカルドはいいのに?」

「…………まあ、……はい」

 すんなり呼び捨てを受け入れてしまった事実を指摘され、しゅんと肩を落とす。リカルドはあっさりと懐に入ってきてしまうから、流されてしまいがちだ。

 オースティン様は断られたにも関わらず、正答を選んだかのように機嫌が良い。

「でも、そうかぁ……。リカルドが、雷管石に魔力を込めたくない理由、ねえ」

「オースティン様に、心当たりはありますか?」

 目の前の机には、遠方に行ったときのお土産が置かれている。どうぞ、と薦める掌に、つい釣られて手を伸ばした。持ち上げた焼き菓子は小ぶりで、齧ると溶ける。

 甘い味から始まるのに、最後に残るのはほろ苦さだ。

「最初に思った事は、リカルドは雷管石を売りたくなかったんだろう、ってことかな」

「え? でも、リカルドって儲けるの好きですよね」

「好きだけれどね。でもほら、うちの弟は採掘関係の仕事場にはよく行くでしょう」

 そういえば、と廊下で絡まれて、予定を話していた時のことを思い出す。鉱石を掘りに行く、と、雷管石を集めに行く、は彼が語る予定の中でも数が多かった。

 僕がついお菓子に手を伸ばしていると、綺麗な指先が同じ金属の箱から菓子を持ち上げる。

「石、というものが好きだと思うんだよね。今回の雷管石に対しても本人はすごく興奮してて、ああ、じゃあ売らないのかなぁ、って思ってたんだけど」

「でも、売りましたよね?」

 返品があったとはいえ、と続けると、オースティン様も首肯した。

「家に価値ある人間でなくてはならない、って思い込んでいるのかな。高額の報酬なんて、その最たるものでしょう」

「……その、リカルドがオースティン様に負い目がある、って話。と、繋がってます?」

「繋がってるよ。あの子はね、私に対して与えられる物をぜんぶ与えようとして。それでいて家には捨てられたくないんだよね。なんで、そこまで卑屈になったのか、はよく分からないけれど」

 浮かべられた笑みは苦々しげで、僕は気まずくなって菓子を口に運んだ。さく、さく、と咀嚼音が静かな部屋に満ちる。

 こちらが喋るつもりがない事を察したのか、オースティン様は言葉を続けた。

「本当は気に入っていて雷管石が欲しかったけれど、家の為と思って売りに出すことにした。その気持ちが……神術、みたいな形になって場の力も相俟って発揮されてしまった、というのはどうかな? 仮説として」

 ごくん、と細かく噛み砕けていない欠片をむりやり呑み込む。ざらざらとした表面が喉を掻いて過ぎていった。

「じゃあ、どうしたらその術は解けるんでしょう」

「うーん。リカルドが石を本心から諦めるか、……でも、私は、解けなくてもいい気がするけどね。解けない間は、弟が好んだ石はずっと彼の物のままだ」

「………………」

 あっさりと高価な石を諦めてしまう案に、僕はじとりと彼を見つめる。ごめん、というようにオースティン様は軽く手を振った。

「弟が沢山のものを諦めている姿は、兄としても嬉しいものじゃないよ。今回、彼が石を手元に置く我が儘を望んで、神がそれを叶えたというのなら。────なんか、ほら。背中を押されてる気がしない?」

 窓辺から風が吹き込み、カーテンを揺らす。漏れた一条の光が、目の前の人を伝い差した。

 光環を纏った人を、神の使いのようだ、とぼうっと眺める。

「…………僕は、どうしたらいいんでしょう」

 石に掛かった術を解きたいと望むリカルドと、相反するオースティン様と。双方の言葉と、表情を知っているからこそ、選択肢を選べない。神殿を出て、思い悩んでいた様を見ているのだって、僕にとっては辛かったのだ。

「話をするといいよ。会話はね、良くも悪くも変化を齎すから。悪い結果だって、進まないよりはましだ」

 缶に残ったお菓子を薦められるが、僕はもういい、と首を振った。

 ならば、とオースティン様は脇に置いてあった蓋を閉める。蓋には小さな鳥が止まり木で羽を休めている様が模られていた。色味も可愛らしく、自分なら高価すぎて買い求めないような土産の品だ。

「あげるから、持って帰って食べて。念のため言うけど、箱は返さなくていいからね」

「え……? あの、でも…………」

「美味しくなかった?」

「美味しかったです! さくさくで甘くて、牛酪の味がたっぷりで」

 つい菓子を褒めてしまうと、オースティン様はにっこりと笑って箱を差し出してきた。あわあわと手を振るのだが、有り難く押し付けられてしまう。

 僕は箱を抱えると、きゅっと握りしめた。食べた後は何を仕舞おう。

「お菓子、よく食べる?」

「以前から、リカルドがお土産に、ってお菓子をくれていたんですけど。最近は石の調査で会うことが多いから、更に食べるようになりました」

「それはいいね。ロシュはもっと食べたほうが風邪を引かないと思うよ」

「僕も、もうちょっと頑丈な身体が欲しいです」

 オメガの体質の所為か肉付きの悪い身体は、体調を崩しやすいのが難だった。いい機会だから、栄養価の高い食事を与えられる今のうちに身体を大きくしておきたい。

 ありがとうございます、と礼を言い、立ち上がった。

 揃って廊下へと出て、あ、と声を上げる。

「…………またか?」

 地を這うような声は、リカルドの口から放たれていた。じとりと睨め付けるような視線が兄へと向けられ、受けた側は慣れているかのように、あはは、と笑っている。

 僕は咄嗟にオースティン様の前に進み出る。

「あの……! 僕が相談に乗ってもらって、いて……」

 きつい視線は僕に対して向けられた事のないもので、段々と声が萎んでいく。丸まった肩を見かねてか、彼は息を吐いて、眼差しの緊張を解いた。

「今度は、ロシュの方が相談か。……仲が良いんだな」

 視線が、僕の抱いている菓子缶へと落ちた。

 ふい、と視線を逸らしてしまう姿に、ぐう、と鎖骨の下が締まる。振り返り様に浮かべた表情、彼の下がってしまった眉は、突き放された者の無力感を突きつけてくる。

 何か言いたくて、口を開いても、言葉にはならない。会話が変化を齎すと言われて、無言で見送るしかない自分が歯痒かった。

 

▽5

 いつもなら廊下を歩いているところを捕まって、雷管石の相談を始めるのに、数日間、僕は放っておかれた。オースティン様からの頂き物だったお菓子は既に食べ尽くし、中を洗って調味料を仕舞うことにした。

 変わらない日々。雷管石の相談を受ける前、いや、もっと前。屋敷に来た直後のような距離感に、胸がしくしくと痛む。

 彼の魔力の波を味わってしまったからだろうか。家の中の立場を知ってしまったからだろうか。それとも、あの時、抱き寄せられるのを拒めなかったからだろうか。

 ずっと両親のことばかりで、屋敷で働くようになって久しぶりに安穏が訪れた。家族以外のことを考える余裕ができたと思ったらこれだ。僕は、そうとう人間関係が不器用らしい。

 黙って仕事をしていると、二人でやいやいと言っていた時間を思い出す。また、あの時間を過ごしたくなった。

 その日は作業室で、頼まれた調理器具の修理を行っていた。器具自体の故障ではなく、水蒸気が染みこんだことで錆ができ、魔術式の掠れに繋がったようだ。水を弾く材質を書き直した術式の上に貼り付け、蓋を閉じる。

 修理をした魔術装置は大型で、両腕で抱えてもふらつく。重い物を厨房まで運ぶことを憂いながら、装置の下部に手を掛けた。

「おっも……!」

 左右に揺れた身体を立て直し、作業室から出る。

 よたよたと歩いていると、廊下の先の方に見慣れた姿があった。視線を上げて目を瞠り、ぐっと眉を寄せて地面を見る。

 せいいっぱい端に寄り、重い装置を抱え上げて背を丸める。目の前で、リカルドの身体が立ち止まった。

 無言の間にそろりと視線を上げると、装置の下を別の掌が支えた。

「重……! なんでこんなの一人で運んでるんだ」

 装置が両手で抱え上げられると、ふっと重さが楽になった。重心がずれ、その場でたたらを踏む。

 眉を顰めたリカルドは、僕の手を心配そうに見る。

「腕、平気か。どこに運べばいいんだ?」

「厨房へ。あの、服が汚れるから僕が……」

「午後は家で仕事するから平気だよ」

 厨房に向けてつかつかと歩いていく背を、慌てて追う。重い物を持っていて尚、脚の長さの所為で向こうの方が速い。

 僕が必死で追っているのが分かると、速度が緩んだ。

「こういうのは台車を使うか誰かを呼べ。腕を痛める」

 言い分は尤もで、背を丸めながら彼の踵まで視線を落とす。軽く拭ったとはいえ、油汚れの多い厨房で使われていた品だ。多少は裾を汚してしまったのではないだろうか。

 自分が浅慮だった所為で、他の使用人の仕事を増やしてしまった。しゅんとして、謝罪の言葉も浮かばなくなっている姿を、ちらりとリカルドが振り返る。

「あと。反省しすぎるんじゃない。重い物を容易く持てる方が俺なら、俺は荷物を持つよ。それだけ」

「…………うん」

 きっと僕だけでなくそうするだろう彼の背は大きい。明るい厨房に向けて進んでいく身体を、少し広い歩幅で追いかけた。

「なぁ、今日。時間はあるか?」

「うん。その装置の修理、思ったよりも早く終わったから」

「この装置を届けた後でも?」

「……いいよ」

 二人で厨房へと行き、修理済みの装置を届けて報告する。正常に動作していることを確認してもらうと、厨房の前で待っていたリカルドと合流した。

 部屋へ、と促され、連れ立って歩き出す。

 午後の日差しは明るく、窓辺から差し込む光で溢れていた。綺麗に拭き上げられた廊下は飴色に輝き、その上を背筋を伸ばして歩いていくアルファは、誰が見ても貴族の一員に見える。

 彼の自室の扉を開き、中へと入った。後に入ったはずのリカルドは僕を追い越し、机の上から箱を持ち上げた。

「はい」

「はい……?」

 両手で受け取ったものの、なぜ渡されたのかは分からない。箱は薄い金属で作られており、蓋には結婚式で使われる花が浮き彫りにされていた。

 なぜ箱を、と目を瞬かせると、手渡してきた方は気恥ずかしそうに後頭部に手を当てる。

「お土産」

「なんで、お土産?」

「兄貴の土産を嬉しそうにしてたから」

 ソファに腰掛けて蓋を開けると、中には袋に包まれた菓子が何種類も入っていた。色の付いた包み紙にも細工が施され、宝石箱のような配置に見える。

 歓声を上げると、隣に座ったアルファは満足げに微笑む。

「箱を大事そうにしてたから、箱があるほうがいいんだろ?」

「うん! オースティン様から頂いた箱も大事に使ってるよ」

 とはいえ、中身は調味料なのだが。

 僕が夢中になって箱を眺めている間、リカルドは奇妙なほど静かだった。

 包みのうち一つを開けると、中身は果物を模った飴が入っている。ちらりと視線を上げると、こくんと頷かれた。許しを得て、ぱくんと口に運ぶ。甘い味がくちいっぱいに広がった。

「リカルドも食べる?」

「ああ」

 隣でぱかり、と口を開ける。

 飴を見下ろし、開いた口を眺め、僕は求められていることを察した。悪戯っぽく細められた目を見るに、からかわれている事くらい分かる。

 自分には優しくしない、とでも思われているんだろうか。何となく腹立たしくて、飴を摘まみ上げた。

 伸ばした手で彼の口に運び、飴を唇の上に載せると、彼は器用に口に収める。指先が唇を掠めた部分がじわりと痺れる。指を擦り合わせ、もう片方の手の下に隠した。

「────美味い」

 くしゃりと崩れ、取り繕った所のない表情だった。もごもごと口を動かし、頬を膨らませてみたりもする。

 しばらく飴を舐め、口の中で溶かしきった。

「そういえば、雷管石の件。進展しそう?」

 さりげなさを装って尋ねる。あぁ……、と声を漏らしたリカルドは、縛っていた後頭部の結い紐を雑に解いた。

 両手で紐を掴み、くるくると指を回して捩る。

「あんまり……、考えが纏まらなくてな」

「あの。気を悪くしないで欲しいんだけど……。オースティン様は、雷管石に魔力が込められるようになるの、急がなくてもいいんじゃない、って言ってたよ」

 目の前の唇に皺ができる。

「兄貴は俺ほど金に頓着しないからな……。でも、こんなに高価な石。このままにしておいたら勿体ないだろ」

 声の響きには、何かを振り切ろうとするような、がむしゃらな勢いがあった。波の振れが痛々しくも思えてしまう。

 僕は、隣にいるひとの腕に手を添える。びくん、と下になった指がいちど跳ねて、落ち着く。

「リカルドは、あの雷管石。好き?」

「…………え。……ああ、良い石だと思う。綺麗で……」

 続くと思っていた言葉は、喉の奥に呑み込まれた。

 彼は、発した言葉以上の価値を感じている。静寂に蓋をされた感情たちは、オースティン様の仮説を裏付けるものにも思えた。

「うん。夕陽みたいな色……いい色だよね。好きな色だった?」

「…………あぁ。いい色で、好きな色だよ」

 切れた言葉に顔を上げると、大きな掌が頬に触れた。

 親指が僕の目の下を辿り、くい、と軽く引く。開くことになった目の表面が、すこし乾いた。指が力を失い、逃れた皮膚で瞬きをする。

「じゃあ、ジール家のものにしちゃうのもいいんじゃない? ……このお屋敷。大きすぎて、その石いっこ売れなかったくらいで傾きそうにないし。リカルドがこれから、そのぶんくらいすぐ稼いじゃうでしょ」

 あれだけ各所の鉱山を回っているのだから、彼が生み出す金銭は僕が想像もつかないほど莫大なのだろう。大きな家が建つくらいの石だ。けれど、彼がこれから領地に齎すであろう利益と比べれば、これは只の石ころだ。

 呆然としたように、リカルドは僕を見つめていた。

「リカルド、神殿に行ったとき、すごく苦しそうだった。悩むくらいなら、もう、切り替えちゃったら? その分、他の石を掘って稼ごうよ」

 頬に当たった手に、自分の頼りない手のひらを添える。体温と魔力が伝うと、ふわ、と鼻先に知らない匂いが届いた。

「それは…………」

 すんなりと頷いてはくれないようだ。僕は自分の無力さに肩を落とした。添えていた手からは力が抜け、ソファの布地の上に落ちる。

 掌は僕の頬をひと撫でし、彼の太腿の上に戻った。

「悪い。しばらく、考えさせてくれないか?」

 瞳には光が戻らない。表情に不安は残るが、僕が口を挟むのも違うような気がした。

「分かった。僕はね、…………リカルドが、望むようにしてほしい。それだけだよ」

 彼は顔を上げ、こくん、と頷いた。頼りない身体は、十数年前の彼を見ているようだった。

 腕が伸びてくる。避けもせず、抱き寄せてくる腕を受け止めた。

 

▽6

 数日間、僕はリカルドを見つける度に目で追っていた。

 彼の眼の下には隈が刻まれ、あまりいい休息は取れていないようだ。こっそりと窓枠に近づき、ぎゅっと熱くなる目頭を揉んだ。

 家族以外で、唯一、近しく接した人だからだろう。自身に言い聞かせては、疼く胸を押さえつける。

 彼から貰った菓子の箱は、寝台の横の小机に置きっぱなしだ。まだ、何を入れようか決めきれずにいる。

「ロシュ、昼から少し時間をくれるか?」

「…………いいよ。でも、どうしたの」

 朝方、出会い頭に声を掛けられ、そう問い返した。リカルドは答えを濁らせ、表情を曇らせる。

 僕は安心させるように、柔らかく言葉を続けた。

「答えにくいなら大丈夫。どこで待ち合わせする?」

「ああ、俺の部屋で。ロシュの、いつもの昼食時間の後くらいでどうだ?」

「分かった。それまでに仕事を片付けるね」

 大げさなほど笑って、胸の前で両の拳を握りしめる。リカルドはふっと唇を緩めると、小さく手を振って歩いていった。

 触られなかった、と気づいて、その事にがっかりしている自分に驚く。

「僕、魔力を混ぜて欲しかったのかな……」

 抱き寄せられた時の匂いと、魔力の感覚を思い出す。引っ掛ければ容易く絡み付くような相性の魔力。あの魔力が、いずれ他の誰かのものになるのか。

 リカルドが雷管石を神殿に預けようとしないことに安堵して、いずれその日が来ることを憂う。初めて得た感情は、掬い上げたくない程どろどろとしていた。

 昼まで速度を上げて仕事を片付け、ちょうど昼前に魔術式の補修を終える。急いで食堂へ行って食事を終え、時間に余裕を持たせておいた。

 予定していた時間ちょうどに、彼の部屋の扉を叩く。

「どうぞ」

 部屋の中から聞こえた声は、予想していた声ではなかった。中から扉が開き、見慣れた琥珀色の瞳が出迎える。

「リカルド……?」

 彼の背後には、ひらひらと手を振る青い目の人がいる。あれ、と隣に視線を向けた。

「呼んでおいたんだ。三人で話をしたくて」

「そうなんだ」

 いつも二人で並ぶはずのソファは空けられており、オースティン様はひとつだけ離れた席のほうに座っていた。中央の机には湯気を立てたポットとお茶菓子が届けられている。

 果たして、あの菓子の味を楽しむ余裕はあるのだろうか。二人にそれぞれ依頼を受けていた立場であり、それでいてリカルドが苛ついていた様子を見ていた限り、あまりいい話の気がしない。

 そろそろとソファに腰掛けると、間を空けてリカルドが隣に座った。オースティン様が僕のカップにお茶を注いでくれる。雷管石と同じような色味の液体が、精緻な細工が施されたカップを染めた。

 続いて、にこにことリカルドのカップを満たしはじめた兄を、弟は釈然としない表情で見つめていた。

「それで、ロシュと私をどうして此処に?」

 自分のカップにゆっくりと口を付けた後で、オースティン様は問いかけた。リカルドの背が伸びる。

 ぴりぴりとした空気を感じ、僕はカップを一口以上くちに含めなかった。

「例の、雷管石に魔力が込められない件だが」

「ああ、リカルドが原因だ、っていう話?」

「把握してるなら話が早い。おそらく、俺が神術に似たものを作り出してしまったんだろう。それで、……俺は、術に似たもの……この魔力を弾く障壁を解きたいと思っている」

「どうして? ロシュには伝えたけど、私は別にその雷管石が売れなくてもいいと思っているよ」

 リカルドは向かいの兄を見つめ、ゆっくりと首を横に振る。

 誰も手を付けないカップの中の水面は、一筋の波紋すら立たなかった。

「この雷管石は、障壁が解けたとしても手元に置く。そう決めた」

「そう……それは良かった」

「本当にいいの? リカルド」

 そう言ってはっと口を押さえるが、目の前のオースティン様は、にや、と笑うだけで、敬語を無くした僕を咎めはしなかった。

「……あぁ、売り上げに拘りすぎていたのかもしれない。と思い直してな。それに。……大神官に言われた通り、この雷管石は、俺が望んで手放したくない、と思ったものなんだ」

 はあ、と観念したようにリカルドは指を伸ばし、カップを持ち上げた。まだ冷えきっていないだろうそれを、ぐっと喉に流し込む。

「俺は、この雷管石を渡したい人がいる」

 え、と口を衝いて出ようとした言葉を必死で飲み込む。

「だから、売りたくなかった。……最初から、売ろうとしなきゃ良かったよ。埋め合わせに他の石を安く売ることになっちまったし」

「それくらい心が決まっているのなら、障壁、とやらが解けてもいいと思うけどね」

 オースティン様は、リカルドが握った石を覗き込む。石からは魔力の気配を感じなかった。

「ああ。でも、まだ俺がぐちゃぐちゃしてるから、変な力が変に発動したままなんだろう。その解決の為に兄貴に来てもらったんだ」

「なに?」

 兄は、ふわり、と柔らかい笑みを口元に刷いて、艶然と脚を組み替える。弟はそれを受けても、態度を崩さなかった。

 解決を、とリカルドが望んでいることがよく分かった。

「俺は、あんたより前に番を持ちたくない。……いや、持ちたくなかった」

 はっきりと、オースティン様が疑念を抱いていた事柄を弟は肯定する。

「うん。何となく、分かっていたよ」

 受け止める兄も、当然のように受け入れた。もう何年も、独りで、肯定された仮説を立て続けてきたような態度だった。

「昔、あんたの生みの親……母親に会ったことがある」

「え…………?」

 オースティン様の唇から声が漏れ、驚きに目が丸くなった。

「裏門の外にいた時、偶然はち合わせた。あちらは、長いこと復縁を望んでいたらしい。俺のことを見て『貴方がいなければ』と言われたよ。もう少し長く罵られたはずだけど、詳しくは覚えてない。その人と、二度会うこともなかった」

 ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐ様子は頼りなくて、手を伸ばして重ねたくなった。なのに、他に雷管石を渡したい、と思う人がいる事実が僕を押し留める。

 もう、崩れる肩を支えるのは自分の役目ではないのだ。

「それから、何となく後ろめたくて。兄貴が屋敷を継ぐことになって、正直ほっとした。出来が悪い弟になりたくなくて努力はしたけど、それでも、兄の次でいたかった。番ができるのも、あんたの次がよかった」

 どれだけの時間だったか、無音が過ぎた。しばらくして、静かな音が聞こえてくる。

 目の前で、オースティン様は静かに涙を伝わせていた。しゃくり上げもせず、ただ涙の川を落としていく。

 呆然とした顔には、驚きと後悔の色がある。

「────リカルド。私は、君より上に立ったことなんてないよ」

「は…………?」

「番の間の子じゃない。ただ、一番目に生まれただけだ。一番を譲ってもらって、お飾りの当主になる。父には散々言ったんだ。能力のあるリカルドを上に立たせた方が良いって」

 美しい人は懐から四つ折りにした白い布を取り出すと、目の下を拭った。くしゃりと握り込んだ布には皺ができている。

「でも、聞き入れて貰えなかった。リカルドには行動力がある、飛び回るのだって苦にしない。それなら役割分担として、弟の方に立場として自由を持たせた方がいいと考えている、と父は言った。私はね。領主としての能力がなくてもいいんだよ。……リカルドがいるなら」

 ぽたり、ぽたり、と拭ったはずの涙が湧く。布で拭いきれなくて、綺麗な服にも染みができていった。

 リカルドもまた、目元に涙を溜めている。あと僅かで、堰を切りそうだ。

「でも。私はやっぱり君が好きで、弟がいて良かったと思ってる。私の能力が足らないのは私の責任で、これから積み上げればいいことだ。だから、もう、私に遠慮するのはやめてほしい。────私は、君以外に弟を持たないんだよ」

 はは、と照れ笑いを浮かべて、残った涙を布地に押しつける。

 兄が弟の事を心配していたのは、自分もまた、後ろめたい所があったからかもしれない。疎外感を弟と同じように感じているからこそ、彼を救いたくて僕にまで頼んだのかもしれない。

 僕の肩にリカルドの顔が押し付けられる。ぽたぽたと落ちる水滴がなんであるかは、問わずとも分かった。そろりと手を伸ばし、頭を撫でる。

 彼の番はここにはいない、それまでの代役だ。

「……俺、は…………。あんたの次期当主としての能力を、疑った事なんてない……。俺の兄貴だって、あんただけだろ」

「────うん」

 頷いた兄は嬉しそうで、膨らんだつぼみが花開く様を思わせた。リカルドはそれからしばらく肩を震わせ、落ち着いたときには目が真っ赤になっていた。

 取り出した四角布で目元を拭うと、照れたように顔を逸らす。くすくすと笑うと、頬まで真っ赤になった。

「ほんと、うちの弟はかわいいよね。リカルドは小さい頃、川の近くに行くのが好きで、綺麗な石を拾っては私にくれたんだよ」

「へぇ……。かわいいね、リカルド」

「兄貴……!」

 立ち上がって掴みかかろうとする弟を、兄は、あはは、と笑いながらいなす。アルファ同士である兄弟の力関係にそこまで差はないようで、オースティン様はなかなか捕まらなかった。

 諦めた弟は僕の隣に戻ってくる。どっかりと座り込んで、思い出したように顔を上げた。

「────そういえば、兄貴はロシュが好みだったりするか?」

「それは、番として?」

「ああ」

「……考えたこともなかったなあ。匂いは親しみやすいものだけど、番とは違うかな」

 あっさりとオースティン様はそう言った。

 彼は僕と二人きりで話す時も、ずっとリカルドの話ばかりだった。几帳面なほど僕に触ろうとはしないし、それは、番としての好意を示さないことで、僕を安心させるためだったように思う。

 つい、横から口を出してしまった。

「オースティン様は親切にしてくださっただけだよ」

「……土産を渡したりしただろ」

「ああ、そういうことか」

 合点がいったように、オースティン様は両の掌を合わせる。

「私が、ロシュに頼み事をしていたんだよ。リカルドがなぜ番を作ろうとしないのか、調べてほしい。……って、お土産はそのお礼」

「相談、って。そういうことかよ……ロシュも土産の缶を大事そうにしてるし」

「だって、綺麗な缶だったから。……あ、調味料入れに使わせていただいてます」

「食べた後も使ってくれて嬉しいよ」

「………………調味料入れ?」

 リカルドは何となく思っていたのと違ったようで、溜めていた息を吐き出した。ソファに背を預け、無言で天井を見る。

 僕はきょとんとリカルドに視線をやった。

「僕がオースティン様に釣り合ってないのは分かるけど、そこまであからさまに安心しなくても……。僕とオースティン様じゃ、どうもなりっこないよ」

「……いや、そういうことじゃ…………」

 オースティン様は、向こう側でけらけらと腹を抱えて笑っている。身を起こしたリカルドがじとりと兄を睨め付けると、ごめんごめん、と笑いを落ち着ける。

 目元に浮いた涙を掬い取って、青い目を弟に向けた。

「雷管石。うまく渡せることを祈っているよ」

「口元がまだ笑ってんだよ……!」

 立ち上がった弟はまた兄に掴みかかると、ぐいぐいと肩をソファに押し付ける。遊びにしては本気になって掴み合いはじめた二人に、僕が制止の言葉を掛けるのも遠いことではなかった。

 

▽7

 体調が悪い、と実感したのは翌日のことだ。

 原因はよく分かっている。リカルドに雷管石を渡したいほどの相手がいる。そればかりが頭を巡る。長く勤めたかったはずの屋敷が、どんよりと曇って見えた。

 あの体温が、あの匂いが、あの魔力が別の人のものになる。腹の底が燃えるようで、煤の詰まった胸が苦しい。好き、と呼ぶには黒ずんでしまった感情だった。

 僕が気落ちしているのが分かるのだろう。リカルドもオースティン様も、廊下で見る度に声を掛け、時には食べ物を渡してくる。美味しいはずの菓子を口いっぱいに詰め込むのだが、やがて飲み込んでも吐いてしまうようになった。

 魔術師は大量の魔力を持つ。魔力は波である。感情もまた、波である。溢れんばかりの感情に満たされた僕たちのからだは、気持ちの波にしばし呑み込まれては調子を崩す。

 薄くなったように思える腹を押さえながら、限界を感じて休みを取ることにした。ちょうど発情期が近いこともあり、繋げて長期休暇にしては、と提案される。

 僕は素直に頷いた。発情期前に更に体重を減らすようなら、発情期には病院送りになりかねない。

「…………はぁ」

 住み込みの使用人に与えられる部屋は、屋敷の敷地内にそれぞれが個別の棟として建っていた。それぞれの部屋自体は広くないが、水場など生活が完全に独立して、生活を営める設計になっている。オメガが多く勤める屋敷で、発情期の事故を防ぐためのものだ。

 ここに勤める前に私物の多くを売り払ってしまった部屋は、狭いはずなのにがらんとしている。リカルドから土産に貰った小さな置物や、筆記具などが室内で唯一の色味だ。

 倉庫から持ってきてもらった、なんの飾り気もない簡素な木造りの寝台に寝転がって、薄っぺらくなって色褪せた毛布を巻き付ける。厚着をしているはずなのに、途中で暑いのか寒いのか分からなくなる。

 早々に病院へ行くべきなのだろうが、貧乏性が邪魔をする。明らかに病が気から来ている。通院して金を払って、治るものとは思えなかった。

 とはいえ、体調を戻さないまま発情期に入るのは怖い。ただでさえ魔力の波があるというのに、波が荒れ狂って正気を保てなくなるのが怖い。

 例えば与えられた自室の部屋を蹴破って、リカルドの所に向かってしまったら。狂ったフェロモンで彼を巻き込んでしまったら。

「そうしたら……番になるのかな」

 はは、と乾いた笑いを上げる。

 オースティン様とリカルド、二人のすれ違いを見ていて良かった。番でもないのに、僅かな賭けをしようとは思えない。

 見たこともないオースティン様の母親が夢に出るのだ。僕が、彼女なのだと。

『貴方がいなければ』

 オースティン様の生みの母のように、僕もリカルドの番に嫉妬している。

 横になっていると眠たくなって、寝台の上で窓辺を見ながら微睡む。ふ、と視線を上げると、時計の針は見知らぬ時間を指していた。

 なぜ目が覚めたのか。疑問に思って身を起こすと、玄関から呼び鈴が鳴った。おそらく、この音は二度目だ。

 とん、と床に降り、短い廊下を歩く。玄関横の窓から見ると、そこには荷物を持ったリカルドが立っていた。慌てて寝間着姿の服装を整える。

 扉に駆け寄り、鍵を開けた。

「ごめんね。こんな格好で……」

「いや。俺の方こそ急に悪かったな。ロシュが体調が悪くて休んだ、って聞いたから、差し入れを、と思って……」

 彼が提げた籠には、瑞々しい果物が詰まっている。菓子を吐くような体調でも、水分の詰まった果実は食べられるような気がした。

 ありがとう、と受け取ろうとすると、首を横に振られる。

「俺が運ぶよ。入っても大丈夫か?」

「あ……、ありがとう」

 どうぞ、と一歩引くと、リカルドは扉を引いて入ってきた。室内履きは客人用のものがなく、困っていると、彼は察したかのように靴下のまま上がり込む。

 狭い家の構造はすぐに把握したようで、僕が案内する間もなく厨房へ向けて歩いていった。広い背を追って廊下を抜ける。

 厨房は広くなく、調理器具も最低限だ。調理台の上に籠を置くと、中の果物を持ち上げた。果皮が赤く、切り分けるのに労力のかからないものだった。

「腹に物は入りそうか?」

「……はいりそう。さっきまで、うとうとしてたから」

 リカルドはナイフを借りると、皮を剥きはじめた。

 淀みのない所作から、彼は料理ができることが分かる。多少は、と思っていたが、すいすいと最低限の果皮を削いでいく姿は手慣れていた。

 僕がぼうっと見つめていることに気づいたのか、リカルドがいちど視線を寄越した。

「や。あの。貴族のご子息にしては手慣れてるなぁって」

「ああ。遠出することがあるだろ。山の中じゃ飲食店なんてないからな。現地で材料を買って、剥いて食べたりする」

 そう言っている間にも、綺麗に果肉はその姿を見せていった。種を取り、食べやすい大きさに切り分ける。皿を借りて盛り付けると、くう、と中身の無くなった腹が声を上げた。

 普段、人を招かない家は、食事用の机に椅子ひとつだ。寛ぐための椅子は他にない。僕がこの果実を食べようとすれば、リカルドは立たせたままになる。

 まだ居座る気のようで、帰ろうとする気配はなかった。困って室内を歩き回り、小さめの机を寝台の近くに寄せた。預かった皿を机の上に置く。

「ごめん、リカルド。座るところがないから……」

 布団を脇に寄せ、寝台にできた空間へ座るよう提案すると、彼は何も言わずに腰掛けた。ふと、寝台脇の小机に視線を向ける。僕が先行した視線を追うと、机の上には土産として貰った菓子の空き缶が置きっぱなしになっていた。

 手を伸ばしたリカルドが、脇に避けてあった蓋を持ち上げる。箱の中身は、細々とリカルドから貰った物で、飾ると無くしそうなものを入れてあった。ぼうっと中を見つめる様子に、僕は片付けておくんだった、と身を竦ませる。

「あ、あの。別にリカルドから貰った物を特別に、って訳じゃなくて。……僕、ここに来るときに私物をけっこう処分しちゃったから、そもそも持ち物が少ないんだ」

「…………あぁ。物が少ない部屋だと思ってた。それでも、大事にしてくれて嬉しいよ」

 伸びてきた腕が僕の頭を撫でる。伝わってくる魔力は優しくて、涙がこみ上げそうになった。匂いも分かる。以前より、もっと好みの匂いになってしまった。

 誤魔化すように、切り分けられた果物を持ち上げる。カシ、と歯を立てると、じゅわりと果汁が口を満たした。さっぱりとした味わいには嘔吐くことなく、少しずつ食べ進める。

「リカルドも食べる?」

 あ、と当然のように口を開けるアルファに、苦笑しながら果実を運ぶ。器用に口で齧り付き、あっさりと口内に収めてしまった。シャクシャクと軽快な音が響く。

 美味しくて、次に、次に、と食べ進めていくと、皿はすぐ空になる。

「まだ食べられそうなら、もう一個剥くけど」

「最近、食が細くなってたから、お腹いっぱいかも」

 腹を撫でると、リカルドは空の皿を厨房まで運んでいった。戻ってくると、また同じ場所に腰掛ける。

 お茶くらい出してあげたかったが、病人であることを理由に制されそうだ、と諦める。

「病院には行ったか?」

「いや。…………でも、原因は分かってるから」

 治りようがないことも、また理解している。僕は話を切り上げたかったが、眉を顰めたリカルドが食い下がった。

「他の原因かもしれないし、できれば医者にかかってほしい。金銭的に困っているのなら、屋敷から援助するよ」

 声は柔らかく、咎めるような響きはなかった。ただ、心配だけが滲み出る声音に、心が悲鳴を上げる。

「病院に行くくらいのお金はあるよ。そうじゃなくて……」

 言葉を迷っていると、隣にいるそのひとは、あからさまに肩を落とした。一度口を開けて、閉じて。明らかに躊躇いながら、それでも言葉を紡ぐ。

「────失恋でもしたか?」

 図星過ぎて、びく、と身体を震わせてしまう。誤魔化す言葉を浮かべては沈めた。僕が黙りこくっていることに察したのか、リカルドは苦笑する。

「ごめんな。俺のせいで」

「え…………」

 気持ちが感づかれてしまったのか。僕が呆然としていると、リカルドは僕の両肩を包み込む。

「兄貴の気持ちをはっきりさせておきたかったのは、俺の都合だった。もし、ロシュが兄貴を好きだったとしても、傷が浅く済むかと……」

「なんの話……?」

 心の底から疑問に思ったのが、声にもはっきりと表れた。あれ、と顔を上げた先にいるリカルドも驚いている。

 無言が場を満たした。

「…………ロシュの片思いの相手、兄貴なんじゃないかって」

「ちがう。……けど」

 肩に掛かった彼の指から、急に力が抜けた。目の前のアルファはがっくりと頭を落とし、あぁ……、と力ない声を漏らす。

 よろよろと傾く身体を受け止める。僕の肩に額を当て、リカルドは考え込むように目を閉じた。

「……他の相手、思いつかないんだけど」

 ぽそぽそと発せられる声は、普段の彼からは想像できないほど掠れて消えそうだ。抱き返してしまいそうになって、指に変に力が入る。

「そりゃ、隠してるもん」

 わざとらしい笑い声を上げて、肩をぽんと叩く。またリカルドは黙り込んだ。

「…………雷管石、欲しいか?」

 唐突で、聞き覚えのある問いだった。

 以前にもこうやって尋ねられたな、と変わってしまった関係を懐かしむ。声を跳ねさせて、震えを隠した。

「貰えるものなら、貰うよ」

 確か、こう答えたんだったか。ふふ、と作り物の笑い声を付け足すと、リカルドは神妙な顔をしたまま頭を起こした。

 懐へと手を突っ込み、中から箱を取り出す。小箱の側面には天鵞絨のような布が張られ、彼が蓋を取ると、中には見慣れた色の雷管石が入っていた。

「やるよ。見た瞬間ロシュの瞳の色だ、って思っちまって……だから他の奴に、これはやれないから」

 力を失った僕の手のひらを持ち上げて、小箱を握らせた。ずっしりと重たいはずの箱なのに、指先には感覚がない。

 声はただひたすらに優しいのに、指先から伝わる彼の魔力は、偶に大振りに揺れては、感情の乱れを伝えてくる。

「魔力を込めて、神殿に預けてもいい。売り払って、片思いの相手と添い遂げるための資金にしてもいい。……ただ、受け取ってくれるか?」

 目の前が真っ暗になった。また、まただ。オースティン様に僕を好きかと尋ねた時と同じだ。

 引こうとした指先を捕まえる。はっとしたように見上げてくる瞳に、半泣きになりながら縋り付いた。

「……欲しくない」

「はぁ……!?」

「だって、魔力を込めたとして、別の人と相性が良かったら、僕はどうしたらいいの……!? 僕、リカルド以外と番うのはいやだよ……!」

 渡さないで、ぽつりと呟いて、振り払うように箱を押し返す。箱は重心を崩し、ぽすんと寝台の上に転がった。

 ぼたぼたと涙をこぼし、何度もしゃくり上げる。目の前の人以外の運命なんていらない。番が別の人かもしれない可能性なんて欲しくない。

 この可哀想な感情は、どこにも捨てようがないのに。

「ロシュ……」

「なんで、ずっと、僕と別の人を番わせようとするの……!? 自分を選ぶって思ってくれないの……! リカルドは、素敵なひとだよ……? なんで、僕の匂いも、魔力も。……届かないの…………」

 うわぁん、と声を上げ、彼の胸元に縋り付く。強張っていた掌から力が抜け、僕の背をゆっくりと抱き返した。

 ぽん、ぽん、と宥めるように背が叩かれる。文句を言おうと口を開くのに、嗚咽で言葉にならない。

 だが、流れ込んでくる魔力は急かすことなく、掌と同じように撫でてくる。

「なぁ」

 言葉を返そうとして、しゃくり上げることしか出来ない僕の目元を違う指先が拭う。こんなに必死になっているのに、リカルドは何故か目尻を垂らし、込み上げる喜びを噛み殺すように唇を震わせていた。

 こつん、と額が触れる。ぴん、と魔力の波が振れる。

「俺のこと好きなの?」

「……うん」

「素直」

 ふふ、と心からの笑い声が聞こえる。傾いた唇が、涙で濡れた唇にかるく触れた。目を閉じる暇もなかった。

「なんで俺が雷管石をロシュにあげたいか、分かんなかった?」

「…………目の色と同じだから……」

「違う。『好きな子の、』目の色と同じだから」

 寄りかかった顔が、とすん、と僕の肩に乗った。耳のすぐ近くで、跳ねるように喉を鳴らす。

 きゅう、と抱きつく力は柔らかく、逃れられるはずなのに僕は大人しく腕の中にいる。好きな匂いに包まれることが、見知らぬ安堵を与えてくる。

「僕のこと、……好き?」

「ずっと前から目で追ってた。好きだよ、綺麗な雷管石をあげたくなるくらい」

 顔が持ち上がり、ちゅ、とつむじに唇が落ちる。広い胸に沈み込んで、思う存分呼吸をした。

 オメガが巣、とも呼ぶ場所。絶対的に守られる腕の中。甘えても、ただ受け止められることを信じられる。そんな相手を得たのは初めてだった。

 目を閉じて、今度はゆっくりと唇を受け止める。皮膚で触れるよりも近しい感覚、粘膜の上がぴりぴりした。

「どうした?」

 指を唇に添え、黙り込んだ僕にリカルドが問いかける。

「なんか。しびれる、かんじ……」

「嫌だった?」

 首を横に振る。

「好き」

 にま、と笑った唇が近づいて、また柔らかく触れた。頬に、こめかみに、と触れさせては魔力を乱す相手を、くすぐったく思いながら受け止める。

 しばらく触れ合いを楽しんでいたが、ふと、思い出したように声が上がる。

「あ」

 リカルドは転がっていた小箱を持ち上げ、中から雷管石を取りだした。そろ、と持ち上げた手のひらの上に、石が転がされる。

 もう障壁がなくなっているであろう稀少な色の雷管石は、以前よりも透き通った輝きを放っている。

 眺めていると、魔力が持ち上がる感覚があった。

「え…………?」

 僕の魔力が舞い上がると、竜巻のように渦を巻き、ある一点を機に石に向かってまっすぐ集束した。感じ取れたのは、僕だけだったに違いない。

 一瞬のうちに、雷管石は魔力に染まってしまった。ちかちかと窓の明かりを受けて光る表面だけが、余韻を残している。

 そろそろと表面に触れると、中に魔力を感じた。どうしよう、と石とリカルドを交互に見る。

「僕、これ。魔力……込めるつもりは……!」

「ああ、そういうことか。あげたものだから、気にするな」

「でも…………」

 僕の困惑ごと包み込むように、広い腕が身体に絡み付く。耳元から愛の言葉が囁かれる。石をどうにかしなくてはいけないのに、彼は、もうどうでもいいのだ、と言う。困ってしまって、うう、と言葉を漏らした。

 手のひらの上にある石は、満足げにちかちかと瞬いていた。

 

▽8

 翌朝、リカルドが家に迎えに来た。僕用に誂えられた服を手渡し、着替えるように言われる。感情が好転したからか、朝から軽い食事を取ることが出来た。僕の体調を確認しながら、彼は僕を馬車に乗せた。

 馬車の中でもお菓子をくれる。胃は現金にも上質な菓子を欲しがり、僕はぱくぱくと貰った傍から口に入れていった。そもそも、魔術師というものは燃費が悪く、一時的に食べられなかった反動で食欲が堰を切っていた。目的地に到着する頃には、食べ過ぎを心配されるほどだった。

 到着した先は、神殿だった。

 馬車から降りた時に、ようやく彼の姿を認識する余裕ができる。髪は以前にこの場所に来た時のように上品にまとめられ、彼は嫌がるだろうが……以前よりも更に、兄と近い空気を纏っている。

 服も落ち着きのある色味、かつ、襟、袖、と皮膚を覆う部分が多い。遊び人が、一気に番持ちにでもなってしまったようだった。

 さらりと腰を抱かれ、案内に従って歩を進める。お菓子に夢中で目的を聞くのを忘れていたが、案内人の手前、何しに来たかわからない、と言うのは憚られた。

 案内されたのは、以前来た時と同じような部屋だった。椅子に腰掛け、リカルドに事情を聞こうとした途端、案内人と入れ替わりに別のひとが入ってくる。

「おはようございます、大神官様」

「はい。おはようございます」

 大神官は柔らかく挨拶をすると、僕たちの向かいに腰掛けた。何かを言う前に、リカルドは二つの小箱を取り出す。そっと両方の蓋が開かれた。

 一つの雷管石は、最近は見慣れた色だ。もう一つの雷管石は透明で、特別な色をしていない。だが、大振りで貴族が選ぶような石だ。中に込められている魔力は、と指先を伸ばすと、リカルドは僕の手に雷管石を持たせてくれた。

 触れると、見知った魔力が流れ込んでくる。込められている魔力が彼のものであることを悟り、そっと石を返した。

 二つの石は、揃って大神官へと手渡される。

「リカルドさん、ロシュさん」

「はい」

「は……、はい」

 両手に握られた石が、僅かに傾けられる。きらり、と窓辺からの光を反射した。

「私は、この二つの石に込められた魔力の相性を鑑ることができます。ひとつはリカルドさんの魔力。もうひとつはロシュさんの魔力です。────結果を、知りたいですか?」

 リカルドは、黙って僕を見た。

「俺は、……例えば数年後まで、曖昧なまま疑問を持っていたくない。だから結果は知りたい。ロシュと相性が悪いとか、ロシュよりも相性がいい相手がいるのなら、その結果は破り捨てるつもりだ」

「僕、は…………」

 相性を聞きたくない、と思った。だが、その真意は、リカルド以外に番を持ちたくない、だ。

 他に相性がいい相手がいても、僕を選んでくれるのなら。

「僕も、聞きます。……確かに、これからずっと一緒に暮らすのなら、はっきりさせておきたい、……です」

 ふわり、と目の前の人は花が咲くような笑みを浮かべ、石を戻した。心から喜ばしい、と思われているのが伝わってくるような表情だ。

 なぜ微笑むのか、と思って。ふと、今の時点で既に大神官だけは、結果を知っているのだということに思い至った。

「鑑定結果をお伝えします。私がどちらかの雷管石を受け取って、魔力相性の良い人物を探すとしたら、もう一つの石を持ってきます」

 はー、とリカルドが詰めていた息を吐き出した。僕はきょときょとと二人を見る。十分に伝わっていないことが分かったのか、大神官はふふ、と口元に手を当てた。

「時々、いるんですよ。神殿を介さず、神の手によって巡り会う番が。はっきりと神殿を仲介している訳ではありませんので、そういう時には、魔力の相性を鑑定するのが後、になってしまうのですが」

「じゃあ……。例えば、僕の雷管石が持ち込まれたとしたら」

「私なら、相性の良いアルファ、としてリカルドさんの雷管石を持ってきます」

「────よ、良かったぁ……」

 息を吐いた後で、黙っていたことを咎めるようにリカルドを小突く。だが、小突かれた当人はやに下がった顔をして、口元に拳を当てて笑っていた。

 大神官は多忙のようで、出口まで送っていけないことを詫びてから部屋を辞した。最後まで、僕たちを祝福するような態度のままだった。彼の眼には、何が鑑えていたんだろう。

 小箱を片付けている彼の隣で、強張っていた肩から力を抜く。

「リカルド。僕はね、……別に、リカルド以外と相性がいい、って言われてもリカルドを選んだけど」

「ああ。俺もだ」

「……でも、リカルドはそのことを一生思い悩むだろうから、こういう結果になって良かったと思ってるよ」

 じわ、と彼の眼の端に光るものが浮いた。途端に、気付かなかったことを悔やむ。両親を見て、想像以上に兄へ引け目を感じてきた彼こそが、いちばん不安だった筈だ。

 立ち上がり、座ったままの彼の頭を抱え込む。

「……俺は、ロシュと番になりたい」

「僕も」

 伸びてきた腕が、僕の身体を引き寄せる。互いに抱き締めて、感情を交わし合った。

「急いで鑑定して貰えて良かったな」

「え? なんで」

 問いかけると、リカルドは目を丸くする。そして、僕の胸元のあたりで深く呼吸をした。

「発情期」

「────あ」

 忘れてた、と声を上げると、彼は呆れたように息を吐いた。自分よりも、近くにいるアルファのほうが匂いが分かってしまうんだろう。

「これから屋敷に帰って、別棟に移動な」

「あの、いつもは僕、家に籠もって……」

「別々じゃ、番になれないぞ?」

 目の前のアルファの言うとおりだ。番候補がいるというのに、発情期に別々に過ごそうとするほうが変な話だった。

「でも、いま番候補だって分かったばっかりで……」

「けどロシュって、発情期での休暇日数が長くなかったか? 症状、軽いんだっけ?」

 ぐう、と反論の余地なく黙り込む。

 言われたとおり、発情期の休暇日数も長ければ、症状も重たいのが僕の発情期の常だった。アルファと番えば、身体の関係はあれど、身体的な負担は少なくなるはずだ。

「軽くはない……。かな、と」

「重いんだな?」

 言い当てられ、また黙り込む。すん、と匂いを取り込むアルファからも、別の匂いが立ち上りはじめる。

「俺と発情期を過ごすの、不安?」

「そうじゃなくて…………、恥ずかしい」

 言葉にすれば一言だ。実利をどれだけ並べられても、羞恥心が邪魔をする。うう、と顔を隠そうとするが、相手が上手で逃れられない。

「でも、項を噛まないと。俺たち番えない。……ロシュはそれでもいいか?」

「よくない……!」

 反射的に口に出してしまって、罠に掛かったことに気付く。はっと目を見開いて、ぷるぷると唇を震わせた。

 くっ、とリカルドが笑う。

「まあ。気持ちが追いついてないんなら待つよ」

 背から指が離れた。温かかった部分が、すう、と冷えていく。番えたら、あの体温は自分のもの。未だ知らない独占欲が、ふっと萌芽した。

 退室の準備が整い、鞄を持ち上げたリカルドの背を追って、服の裾を引いた。立ち止まった身体が、僅かに振り返る。

「リカルドが別の人の番になるの、いやだ」

「……恥ずかしいんじゃないのか?」

 はっきりと、首を横に振る。

「別の人のものになるほうが、……いやだ」

 力が緩んで、指は服から離れる。だらりと垂れ下がった手が、下の方から持ち上げられた。くい、と力強い腕が扉の外へと導く。

 開けた扉の先。廊下には光の海に見えるほど白い筋が何重にも重なっている。廊下の床を叩く、リカルドの靴音が響く。

 波を踏み散らかして歩いていく彼の手を離さないよう、きゅっと握り返した。

 

▽9

 別棟、と案内された場所は、屋敷よりも小さな建物だった。

 屋敷の敷地内にありながら、植物によって隔てられた区画にある建物だ。いずれ普段暮らしている屋敷はオースティン様の持ち物になる。いまはリカルドにとっての物置でしかない建物だが、番を得たら、こちらを住処にする予定だったそうだ。

 建物は屋敷よりも新しく、そもそも数年前に跡継ぎが確定したのを機に建てたものらしい。こちらの家の趣味はリカルドに沿ったもので、華美な装飾よりも、形状に品のある細工が各所に見られる造りだった。

 貴族がよく建てるような家を与えられても、壊すことが怖くなってしまう。僕にとっても、親しみが持てるような室内だ。

 案内された僕が面白がりながら家を眺めていると、発情期中の生活用品を運び込んできたリカルドが荷物を下ろす。

「気になるところがあったら改修するから言ってくれ。周囲の土地も空いているから、増築してもいいし」

「え? 十分だよ。室内の色味も落ち着きがあって、ゆっくりできそうで好きだな」

 僕のいまの家よりも物は多いが、ごちゃごちゃとはしていない。殺風景さのない、適度に空きが埋まった室内が好ましく思えた。

 僕の頭の上に掌が乗る。

「ロシュの好みで細かい物、おいおい揃えような」

「うん。楽しみだね」

 ふにゃりと表情を崩すと、手早く唇を盗まれた。むう、と唇を尖らせると、また都合がいいとばかりに触れてくる。

 既に匂いが変わっている気がするのに、こんなに触れていたらすぐ発情期に入ってしまう。

「も、あんま……。すると発情期になっちゃうって…………」

「もう荷物は運び終わったから大丈夫。物に困ったら追加で運んで貰えるしな」

 リカルドは僕から離れると、運び込んだ荷物を所定の場所に配置していく。

 周囲の家具にはリカルドが好みそうな、素材の色味を活かした物が多い。僕の趣味、というものを金銭的な困窮によって持てずにいたが、彼の趣味は、僕の趣味とも合いそうだ。

 手伝おうと手を伸ばすが、座っていろ、と肩を掴んで逆向きに戻される。仕方なくソファへ腰掛けると、果物を盛られた盆が持ってこられた。手持ち無沙汰に皮を剥く。

 魔力の調子を崩した時に減った肉は、ほぼ戻りつつある。特に、今回は負担の少ない発情期になる予定で、途中で体調を崩すこともなさそうだ。

「兄貴がさ」

「オースティン様?」

「結婚式の挨拶をしたいって。気が早いよな」

 ふ、と口元を笑ませる姿に、わだかまりの解氷を感じ取る。荷物の片付けが終わったのか、リカルドはしばらくすると近寄ってきて、僕の隣に腰掛けた。背に力が入って、ぴんと伸びる。

 剥いた果物の房を手渡すと、ぽい、と大きな口に消える。短い沈黙が流れた。

「「あの」さ」

 二人して顔を見合わせ、ふふ、と笑う。

「緊張してるの?」

「当然してるけど……。ロシュこそかちこちになってる」

 肩を抱かれ、すん、と首筋のにおいを吸われた。薄い皮膚に高い鼻先がこすれる。

「すこし、別の匂いが混ざってる」

「わかるの?」

「ロシュの匂いが強まってるから、分かりやすいのかも」

 自分のにおいを擦り付けるように身体を寄せるアルファに、どぎまぎとしてしまう。膝の上に手を乗せて、強張った身体ごと抱き込まれる。

 すっぽりと包まれると、彼の匂いに染まってしまいそうだった。

「あの、ね。発情期の時、魔術をね、使っておこう、と思ってるんだけど……」

「魔術?」

 魔術師以外には伝わりづらい話だ。問い返されて口ごもる。猥談、という訳でもないのだが、アルファ相手にはっきりと話すことはない。

 オメガで、かつ魔術師である人たちの中で、ほぼ口伝えで教えられる魔術。アルファと繋がる時に、身体を守ったり、気持ちを盛り上げたりするための術だ。

「アルファと……繋がる時に使う魔術で、粘膜を保護したり、感度を上げたり。でね。その中に、子種がお腹の奥に届かないようにする魔術もあって」

「え…………?」

 目を見開く姿を見て、話すには早かったか、と続ける言葉を躊躇う。けれど、やっぱり話はして、ふたりで決めておきたかった。

「リカルド、……は、僕との間に子どもができること、考えられる……? 僕、は」

 そろり、と腹に手を添える。父が、母が病に倒れた時も、僕は見捨てることなんてできなかった。子どもの頃の家族の思い出はまだ温かなまま、胸のうちにある。

「僕はね。たくさん良いことも悪いことも考えてみたけど、……なんか最後、ぜんぜん、悪い感じが残らなかったんだ」

 自分のために、雷管石に影響を与える程のアルファ。何年も先のことを想像して、彼が隣にいる光景は苦なく思い浮かべることができた。

 回された腕に力が籠もる。

「ロシュが一番、……だけど。もしも、があったとしても大事にしたい。ロシュごと」

「…………うん」

 リカルドはそれから仕事に行くこともなく、尋ねると長期の休みを取ったのだと言う。代わりにオースティン様が鉱山に出入りするそうで、楽しそうにしていた、とは弟の談である。

 持ち込んだ魔術書を捲っていると、横から遊戯盤に誘われた。お菓子とお茶を並べ、与えられた駒を動かす。雷管石の調査の合間のような時間を過ごすにつれて、肩の力も抜けていく。

 夕方ごろになると食事が届けられ、普段はありつけない豪華な食事に舌鼓を打った。尋ねると、リカルドから見ても気合いが入った食事らしい。僕がたくさん食べると喜ぶ番候補の所為で、普段よりも食べ過ぎてしまった気がする。

 風呂には一緒に入るか尋ねられたが、まだちょっと照れてしまって断る。自分だけで入念に身体を洗い、身体の中に魔術を仕込んだ。身体の内側を弄る魔術は物慣れなくて、もぞりと太腿を擦り合わせる。

 身体の表面を湯で流し、広い浴室から脱衣所へと出た。魔術で身体の水を飛ばし、用意されていた室内着を身に纏う。薄く色づいた白の服は柔らかく、ゆったりとした造りで寝心地もよさそうだ。

 交代、と浴室を明け渡す。すれ違いざまに、リカルドは僕の首筋に顔を埋めた。

「いい匂い」

「そう?」

「ああ、他の匂いが混ざってないのがいい」

 放っておけばずっと埋もれていそうな顔を引き剥がすと、残念そうに風呂へと向かっていった。

 ふう、とソファに腰掛ける。風呂で温めた熱が引かない。あれ、と違和感を覚えていると、僅かに普段とは違う匂いを感じた。自分の匂いには気付きにくい筈だが、あまりにも分かりやすい。

 そわそわと膝を揃え、相手が出てくるのを居間で待った。身体を洗い終わり、髪を乾かしているリカルドを捕まえて、匂いのことを尋ねる。

「ああ。俺が番候補だからだろうけど、匂いでの誘い方がえげつないぞ」

「…………え、そう。なの?」

「そう。ほら」

 彼の脚が僕の脚に絡み付く。身体ごと寄せられ、盛り上がっているものが押し当たった。ん? と視線を落として、頬に血が上った。

 口をぱかりと開け、顔を上げると、にたにたと妙な笑みを浮かべるアルファがいる。

「な! ま……はァ……!?」

「風呂上がりってだけでも駄目なのに、他の匂いが全部落ちて、純粋なロシュのにおいがする……」

「これ。わッ……わざと当ててるよね……!?」

 にんまり、と唇を持ち上げる表情は、いたずらっこのそれだった。もう、とぽかぽか叩くのだが、大きな身体は離れる様子がない。

 そのまま抱え上げられ、ソファへと運ばれた。ぽすん、と僕を抱えたままのリカルドが腰を下ろす。

「さて。もうしばらくソファにいる? ────それとも、寝室いくか……?」

 火照った頬が冷める余地はなく、僕はきゅっと拳を握りしめた。口を開いて、一度閉じて。そうして、ようやく言葉を固める。

 熱は上がるばかりだ。もう、冷めることはないだろう。

「…………つれてって」

 

▽10(完)

 囁くような声を合図に、顔が近寄った。受け入れるように顔の位置を合わせ、瞳を閉じる。唇が触れた。なんどか繰り返すと、ぬるりとしたものが表面を舐める。

 掻き分けるような動きに、ゆるりと口を開く。歯の間から、別の舌が滑り込んできた。ぬめった生き物のようなそれが舌を絡め取る。

「…………ン、……ぁ、ふ、…………ん、ッ……」

 動けずに強張った舌が捏ね回され、悪戯を繰り返す生き物は舌裏を舐め上げた。柔らかい部分が押され、ずぐずぐとした気持ちよさの炎が灯される。

 口内を全て嘗め回すように辿り、相手の唾液を含まされる。こくん、と飲み込むと魔力の波に痺れた。ぼうっと唇を押さえていると、いちどソファに降ろされ、リカルドは床に足を着けた。

 伸びた腕が、また僕の身体を抱え上げる。傾きつつ重心を移動させて、彼の肩に掴まった。

「誘うのがうまいな」

「そう……?」

 首を傾げていると、そのまま寝室まで運ばれた。階段を上る時に体重の負荷を軽くする魔術を使うと、楽しそうに一段一段を踏みしめる。軽快な音は、彼の心音に似ていた。

 寝室は別棟の最も高い位置にある。大きな扉を開けた先は、リカルドの自室に比べて倍くらいの広さがあった。新品らしき大きな寝台がある以外は、家具も多くない。清潔感のある室内とは対照的に、窓の外には闇が忍び寄っていた。

 真っ白なシーツの掛けられた寝台に降ろされ、きょろきょろと周囲を見渡す。

「ここ来た時に案内されたけど、いま見ても広いね?」

 覆い被さってきた唇が、触れて離れる。照れから染まってしまった目元を隠すように指で撫でた。

「…………余裕だな?」

 首元に近寄った口が開き、首筋に歯の先が当たって過ぎた。ぶわ、と周囲をアルファの匂いが取り囲む。

 オメガが作る巣ではなく、首輪を掛けられた感覚だった。彼の手の内に踏み入っていく。強く当たられることがなくて気付かなかったが、相手はアルファだ。

 持ち上がった顔、琥珀色の瞳は影のうちにあって昏い。普段は隠しきっているどす黒いものが、じわりと滲み出ているようだった。

「…………あ」

 一段と体温が上がった。フェロモンを使って誘われているらしい。周囲に立ちこめる圧が、一斉に身体にのし掛かった。

 口火を切ったのは、間違いなく僕だ。互いが互いを誘って、罠を絡め合っている。リカルドが寝台に乗り上がった。沈み込んだ部分が僅かに音を立てる。

 大きな掌が胸元に指を入れ、く、と下に引いた。

「いっぺん抱いたら止まらないから。止めたきゃぶん殴って」

 僅かに指が胸のあたりに当たっている。普段は見せない場所を、他人のゆびが這っている。どくどくと鳴る場所。通気性のある薄い服の下には、何も身につけてはいなかった。

 無言で腕を伸ばし、高い場所にある首筋に縋り付く。すり、と相手の首筋に頬を寄せると、ごくん、と隣で喉が鳴った。

「いま。身体が熱いんだ。……肌が、ぞくぞくして。こんなの────よくない、って。分かってるのに……」

 他人の唇が首筋を辿る。唇が開いて舌が覗くと、ぬめるような感触が皮膚の上を滑る。くすぐったさの奥に、ちらつく炎があった。

 服越しに掌が胸に当たる。撫でさする動きはゆったりとしていて、ねちっこい。

「俺は嬉しい。発情期にかこつけて、ずっとロシュと過ごせて。こうやって、身体を任せる対象にしてくれる」

 器用な指先が釦を外す。

 自らも、と指を持ち上げるのだが、それよりも早く彼の指が服の前を開ききってしまった。日に当たらない場所の肌が、自分以外の人の視線に晒される。目の下が熱く、赤く染まってしまっているだろう事も分かってしまう。

 黙り込んでしまった番候補に、顔を上げて口を開く。

「な、なに……!? 身体、へん……?」

「いや。綺麗だ。……感動と興奮が一気に押し寄せてる」

「…………?」

 首を傾げると共に、服が落ちて腕のあたりに溜まる。導かれ、彼の脚の間に身体を入れると、ちゅ、ちゅ、と首筋にキスが落とされた。匂いを擦りつけるように強く吸われ、赤く鬱血する。

 すう、と息を吸う度に、濃い匂いにくらくらした。度数の高い酒でも煽ったみたいだ。

「かーわいい」

 彼がどこを見てそう言ったのか、視線の先を追って分かった。止める間もなく、指先が突起を捕らえる。指の腹でくるりと円を描かれると、むず痒いものが生まれる。

 ふ、と細切れの息を吐き出す。何度潰されても跳ね上がる様を楽しむように、彼は色づいたそこを指先で弄った。

「…………ゃ、わッ……!」

 おもむろに開いた唇が、先端を食む。唇に挟まれたそれをちろりと舌が舐めた。じわ、と唾液に濡れた場所に、更にぬめった感触が押し当てられる。

「……ン、っう。……ぁ、は…………あ」

 ちゅう、と吸うように力が加えられ、べろり、と分厚い舌で押し潰す。慎ましくしていたものが淫らに色を濃くし、形まで変わっていく。胸元に埋まる頭を抱き、その髪に指を埋めた。

 口が窄められ、強く吸われた。

「…………ッ!」

 引いた波が押し寄せるように、じんじんとした痺れが追ってくる。宥めるように舌の腹で転がし、また味わうように絡み付く。ちゅくちゅくと響く水音は、目を閉じても止まない。

 感覚が変わる度に指先をびくつかせ、ひくん、と喉を鳴らした。

「リカルド……。それ、もう……っ」

「…………。もう片方?」

「ちが……!」

 指で弄っていた方へ唇が移ると、空いた方は指先で捏ねられた。逃れられていた方まで唾液に塗れ、形を変えられてしまった。

 胸を弄っていた唇がそのまま、胸の中央から腹へと下りる。

 肉の溜まった柔らかい部分に舌が這った。腹から腰を撫でる手は、皮膚の下を探るように丁寧に触れられていく。そこまで丹念にしなくても、と思いながら、途切れる息をこぼし続けた。

 服の下で、持ち上がっている熱がある。寄せられている顔の近く、どうしたら避けて貰えるのかと悩んでいると、リカルドが顔を上げた。

「…………あのさ」

「……ン、うん」

「この発情期のために買ったもので、断じて、他の相手がいるわけじゃないから」

「…………?」

 首を傾げると、身を起こしたリカルドが僕の腕を放させた。

 部屋の端にある棚から、小さな瓶を持ってくる。寝台で蓋を取り、ひくつかせる僕の鼻先に瓶の口を寄せてくれる。中身から匂いはしなかった。

 瓶の縁をなぞって付着した液体に、言葉の意図をようやく悟る。

「変なものは入ってない。滑りを良くするだけ」

 キュ、と蓋が閉じられた。

「……そか。食べ物とか、日用品とか、も。色々、ありがと」

 腕のあたりに溜まった裾を摘まみながら、二人して視線がすれ違う。寝台の上にいて尚、学生時代の恋愛のようなことをやっているのが気恥ずかしかった。

 顔を上げられずにいると、前髪を持ち上げられ、額にキスが落ちる。顔を持ち上げると、唇が塞がれた。見開いた瞳をとろりと溶かす。

 流し込まれている魔力が同調して、ぞくぞくと感度を上げていく。

「下、触っていい?」

「あ……ぬ、脱ごっか……?」

 下の服に手を掛けると、リカルドは迷うように視線を巡らせる。なぜ迷うのか理由が分からず、目を白黒させた。

「リカルド……?」

「悪い。……どっちがいいか迷った。脱いでくれるんだよな?」

 念押しされてしまえば、頷く他ない。脱ぎ始めて気付いたのだが、視線がじっとりと動きを追いかけている。熱く、粘つくような眼差しにびくびくと身体を震わせながら、下の服を脱ぎ落とす。

 上の服も腕に引っかかった程度で、前は隠れていない。裾を引っ張って隠しても、前の毛は覗き見えてしまっていた。

 ぺたん、と座り込むと、リカルドは僕の脚を持ち上げた。じわじわと外に向けて広げると、股の辺りが露わになった。

 彼は瓶の中身を掌に広げ、指先を茂みへと潜らせる。指が動く度、赤毛が指の先に絡み付いた。温度を変えつつある芯を、指先が捕らえる。

「ひぁ……!? あッ……や…………!」

 つい、と挟み込んだ指が根元から先端までを辿り、大きな手で握り込まれる。ぬめりを帯びた手は、音を立てながら全体を包み込んだ。

 ずっ、ずっ、と上下に擦られる。

「……ン、く……ぅ。ぁ、あン…………ふ、くァ……」

 感触による快楽を与えられているのもそうだが、粘膜を擦る指が内部と近い。唇を重ねたときに覚えたあの快楽の兆しが、更に高まったまま刺激された。

 ぐちゅぐちゅと耳を犯され、指の丸い部分が先端を擦っては過ぎる。いつの間にか、潤滑のために足された液体以外の物が混ざり、中央から快楽を零していた。

「あ、ひぃ……。……イ、……ちゃ……ッ!」

 こぷり、こぷりと雫を垂らしては悲鳴を漏らす。さっきまで大人しくしていたものをぐちゃぐちゃにされながら、掻き乱すように唇を奪われた。引こうとした身を追い、舌が唇を舐める。

「ぁ……ふ、……く、ン…………!」

 べ、と伸びた舌が唇の膨れた部分を押した。登り詰めるはずだった熱は離れた指によって叶えられず、こぽこぽと煮立つ灼熱が岩の下に閉ざされた。

 物欲しげな表情をしていたのか、リカルドは唇で弧を描く。

「……すぐやるよ。待ってな」

「な……ッ!」

 含みを察してしまい、ぱくぱくと口を開いては閉じる。脚を引かれ、うつ伏せに寝台へと倒される。

 尻の上にはなんの遮るものもない。まだ引っかかっている上着の裾を伸ばそうとしたが、背後からぺろりと捲られてしまった。

 わああ、と声を上げるのだが、面白そうな笑い声が響くだけだ。

「ここ触らないと、怪我するからな」

 尻たぶを撫で、揉むように指を食い込ませる。他の部位に比べて肉付きのいいそこは、押されるがまま、むっちりと指全体を受け止めた。

 無言で尻を触り続ける指を、羞恥心に塗れ、声を漏らしながら耐える。

「…………しつこ、い……! ぁ……やだ……ッ!」

 ずり、と前へ移動するが、距離を詰められた。

 シーツの上に放り出されていた小瓶が持ち上げられ、尻の谷間の上で傾けられる。とろりとした液体が皮膚の上を滑っていった。液体は綺麗に滑り落ち、下の毛まで絡み付く。

 指先が狭間へと宛がわれた。つ、と滑って、窪みを探り当てる。

「ヒ…………ッ、ぁ!」

 ぬめりを帯びた指は容易く奥へと潜り込んでしまう。きゅう、と締め付けた動きにたたらを踏むが、拘束が解けるとまた内壁を探り始めた。

 ひたひたと内側を探るように触れていく。表面を触られていた時と違ったぞわぞわが背筋を伝った。シーツを握りしめ、さりさりと膝で布を掻く。

 身体の内側を明け渡す怖さと共に、未知の悦さへの期待がある。

「…………ン。……ふ……っく」

 ぐぷぷ、と勝手を掴んだ指が侵入りこみ、圧迫感が増す。ふ、と熱くなった息を漏らし、指先が奥を探ることを許した。

 背後で、リカルドの声が漏れる。指が曲がり、彼の指の丸いところが、捕らえた部分を押し込んだ。

「────ッ、ぁ!」

 知らずに蓋をしていた快楽が、腹の奥からぞくぞくと鎌首をもたげる。ずぐん、ずぐん、と響くような刺激にしびれて、反響が続いた。喉を絞って呼吸を繰り返していると、場所を覚えた指はまた同じところを擦った。

「……ぁ、ひ……ン! ……ぁあ、あ……っ、ん…………うぅ……」

 白い波の中で藻掻き、身体を串刺しにする指から逃れようと動く。空いていたはずの腕が、足首を掴んだ。引き抜かれかけていたはずの指がずぶずぶと潜り込み、窘めるように同じ場所を抉る。

「ぁあ、ああ……ッ! ……くう、……ん……ぁあ、あっ、ひ!」

 脚を持ち上げられ、身体が傾ぐ。

 潜り込んだ指先は更に滅茶苦茶に押し込み、足掻くほどに刺激は強くなる。ひくん、と喉が短く痙攣した。指がぱかりと開き、肉輪がぽっかりと開く。すう、と空気が通った。

 具合を確かめられている。高まった羞恥に涙が浮き、崩れ落ちた布の上に擦りつけると染みができた。

「…………ひ、っく。……ぁ、……うあ……」

 液体が足され、こぷ、と粟立つまで指が抉る。奥に突き入って、肉縁が捲れ上がって泡立つほど掻きだして、そしてまた潜り込む。

 水音が響き、掻き消すように嬌声が鳴る。制止の声は届かず、宥められながらも指は抜かれない。やがて、指の節くれ立ったところが内側を押し上げることすら、刺激に捉えられるようになる。

「気持ちいい……? よなぁ……、どろっどろだもんな……」

 持ち上がった前を撫でられ、それでも、絶頂までには届かない。解放させてくれるつもりはないようだ。もし、解放があるとするなら。

 腹の奥にこのアルファの雄を迎え入れて、滾るような子種を吐き出された、その時だ。

「……ぁ、は……。あぁ……ッ!」

 きゅう、と奥を引き絞る。この男の股間で膨れているものを想像して、腹に突き込まれることを妄想して、この身体はただ歓喜した。布地に涎を垂らし、頭をいっぱいにしていた恥ずかしささえも忘れた。

 指が後腔から引き抜かれる。空虚になったそこが、ぽっかりと空いてひくついた。

 布地が擦れる音がする。背後にいる雄を、露わにしている音だ。

 身体を丸めて、後ろを見た。下の服を引き下ろすと、そこから猛りきった男根がまろび出る。受け止められるのかと思えるほど長大で、湯気が立つほど熱い子種を溜めているもの。

 リカルドが、はあ、と息を吐いた。

 僕の視線に気付くと、見せつけるように雄を持ち上げる。先端を尻の間に擦り付けた。膨れた縁へと擦りつけると、ちゅぷちゅぷと濡れたもの同士が音を立てる。

 お預けを食らわせるように、何度も押し付けては引く。すん、と啜り泣いた。

「……リカルド」

「うん?」

「…………いれて、くれないの……?」

 掠れるほどの声は、彼にも届いたらしい。にい、と唇を持ち上げると、ぐぶ、と亀頭が輪を潜った。

「待たせてごめんな。やる、よッ……!」

「────!」

 びくん、と背を撓らせる。きゅう、と後ろを引き絞った所為か、挿入はいちど止まる。ふ、と息が抜けた瞬間、ずぼ、と押し込まれた。

 性急な動きに、内壁もみちみちと熱棒へと絡み付く。

「……ぁ、あッ……あ────! や、おもた……!」

「──っても、ロシュが絞って、ッ……から……!」

 腰が掴まれ、逃げを打つ動作は押さえつけられる。上から体重を使って突き入られると、アルファの質量を知らない躰にも、肉杭は次第に埋まっていく。

 そろそろ指先で探り当てられた場所に届く。その時、腰に強く指が食い込んだ。

「ここか」

「────ぁ、え?」

 丸くぼっこりと膨らんだ場所が、ぐぷん、と狙った膨らみを押し上げる。目を見開いて、肩から寝台に崩れ落ちた。

「…………あ──ァ、ぁあああッ!」

「────は、ぁ」

 獲物の動きが止まったのを良いことに、二度、三度と突き入る。がくがくと脚を震わせ、揺らされるがまま、過度な快楽を享受させられた。前はだらだらと涎を垂らしたまま、絶頂できずに悲鳴を零し続ける。

 ふ──ッ、と獣の息づかいが聞こえる。牙を突き立てたまま、咀嚼はされない。

「リカルド……、も……う……?」

「……、ん。まだ」

 身体の中の雄がまた内側を探り始める。指で辿り着いた場所よりも更に奥。ずりずりと太いものを滑り込ませ、内側の感触を探っている。腹の質量は増している。繋がった場所から重たい物が打ち込まれ、腹を押し上げている。

 生ぬるい温度が腹の中にある。尻に当たる袋には子種が蓄えられ、放出を待ちわびていた。

「……ふ、く……。ぁ、あ…………」

 長いこと、息と嬌声を漏らしながら身体を拓いていた気がする。先端が、こつん、と何かを探り当てた。軽く潜ろうと力が掛けられた瞬間、駄目なものだと理解する。

 腹の奥の快楽は重くて長い。その場所を抉られる快楽を知りたくない。本能が警鐘を鳴らした。

「や……! やだ、そこ、は────! …………ァ」

 ぼこり、と腹が膨らんでしまうかと思った。入らない筈の場所まで、届いてしまった。ぎちぎちと剛直を喰い締める。粘膜越しの接触は近すぎた。感触だけでなく、繋がった場所から魔力が雪崩れ込む。

 体重が掛かって、尻の肉が潰れた。

「ちから、抜け、って……!」

「……ぁああッ、うあ、あ……。ぁあ、っく……」

 小刻みに揺らされる度に、ずくんずくんと物慣れない快楽が襲ってくる。声を上げても、のし掛かられている身体は動けない。体重を掛けて奥の奥まで押し付けられ、膨らんだ半身から、だらだらと体液が零れる。

 いやだ、そう言っても声は媚びるような響きを纏っている。薄い子種を胎ではしたなく啜って、質量のあるものを暴力的に押し付けられることに悦ぶ。

 悲鳴と嬌声が混ざったような濁った声。僕もまた獣でしかなかった。

「あ、ひァ、あン……! ぁ、ふ、っく、うあぁ、あ、あ、あ」

「……っく、う……、ふ。は、ぁ……」

 ずっ、ずっ、と引き抜いてはまた突き上げる。皮膚がぶつかる音が繰り返し聞こえる度、波のように悦びを引き出されては飲み込まれた。

 抽送の度に奥をぐりり、と抉られ、その度に悶える。腰から下の感覚が薄くなり始めた頃、身体が倒れ込み、首筋に歯が当たった。

 刃物でも押し当てられている心地だった。他人に弱点を委ねる恐怖と、造りかえられる期待に戦慄く。

「俺、は……間違いでも、お前以外を、……ッ、選びたくない……」

「ん。……うん……ッ! も、はなれる、の、やだ……!」

 綺麗なままの首筋に、彼は最期にキスをした。

 柔らかい部分を確認すると、ぐぐ、と皮膚に牙の先が食い込む。大量の魔力が流し込まれて、同調しているような心地だった。その場に固定されたまま、大振りに引かれた腰が叩きつけられる。

「ぁ────! ぁああッ、……ぁああああああぁぁぁン!」

 奥へと固定して、鈴口から白濁が雪崩れ込む。魔力を含んだそれは、身体の中を塗り変えんと奥へこびり付く。腹の奥は燃えるようで、この一瞬で、番としての身体へ造りかわった事が分かってしまった。

 圧迫する雄はじわじわと快楽を呼び起こし、絶頂の余韻を長引かせる。奥を押された刺激のままに、僕は前からぼたぼたと液体を垂らしていた。啜り泣くように悦さに震えながら、上からも下からも液体を撒き散らす。

 首から牙が離れたのは、どれくらい経ってからだろう。まだ波が引かない躰から、ずる、と雄が抜け出る。

「ロシュ…………?」

 心配そうな声に、寝台に倒れ込んだまま顔を向ける。掌が伸ばされ、頬へと添えられた。

「……たぶん。へいき」

 へへ、と笑ってみせるが、声はがらがらだった。身体に触れられる度に、びくん、と跳ねる。繋がっていた後ろも、熱を吐き出した前も、他人が触れていた感覚がまだ残っている。

 ぱく、と閉じない後腔がひくついていた。

 休憩、と思いたかったのに、周囲にはアルファの匂いが満ちている。始めよりもずっと濃いにおいは、彼の気分が盛り上がったまま、という事を示していた。ちら、と視線を向けた彼の中心は、また形を変え始めている。

 ぬるり、と濡れたままの肉棒が尻の間に挟み込まれた。背に掛かる息は熱い。なのに、まだ発情期は始まり、だ。

「手加減、してね……?」

「…………努力、は、する」

 本当に努力をしたのか疑問に思いたくなるような所業を繰り返したリカルドだったが、発情期の後は落ち着きを取り戻し、僕の面倒を見てくれた。

 結局、発情期前よりもふっくらとして仕事に戻った僕に、番は嬉しそうに引き続き世話を焼くのだった。

 

 

 僕の引っ越しと同時期。母はジール家に関わりのある病院へと転院することになり、新しい治癒魔術を使った治療が受けられることになった。

 二人で挨拶に行った時には、いつも以上にきちんとした身なりの母が、広くなった病室で出迎えてくれた。服装をきちんとしたリカルドは本当にどこぞの王子のようで、母の方が緊張しきっていた。ただ、喋り始めるといつものリカルドなので、母も会話が回り始める。

 お父さんが生きていたらどんなに、という母の言葉には、リカルドの方が先に涙ぐんでいた。

 その後の報告も受けるが、母は順調に回復しているようだ。

 貸し出していたはずの実家は、いつの間にかジール家が借主になっていた。

 物を置くところが欲しかった、と彼は言うのだが、その割には僕や母の承諾を細かく取っては、家の改修までしてくれている。

 段差を減らし、手摺りを取り付け、生活の助けになる魔術装置が増えた家。母が戻った後のことを考えられているような気がするのは、果たして気のせいなんだろうか。

 僕に関係して仕事も増えている筈なのに、リカルドは元々の仕事にも精力的に飛び回っている。ただ、綺麗な石を見つけた時には、時おり手元に残すようになった。いずれ、展示する場所を持ちたいのだそうだ。

『宝石の展示なんて、儲からないんじゃないの?』

 そう言うと、リカルドは僕の頭をくしゃくしゃにする。

『俺がやりたいことだから、いいんだよ』

 リカルドの番でありながらジール家に仕える魔術師、という微妙な立場になった僕だが、旦那様やオースティン様から頼まれる仕事が増えたものの、概ね変わりなく仕事を続けている。

 その日も結界の補修に敷地内を回り、改修した術式を埋め込んだ。玄関先での作業を終えたあたりで、見慣れた姿が駆け寄ってくる。

 以前と違って、よく皆から声を掛けられるようになった気がする。

「ロシュ」

「オースティン様、おかえりなさい。リカルドも一緒でしたよね」

「うん。リカルドもすぐ来るよ。…………まだ敬語なんだね」

 オースティン様からは弟の番なのだから、と敬語を外すよう言われるのだが、雇用主であることには変わりなく、慣れないことを理由に延期させてもらっている。

「でも、あの。リカルドと番じゃなかった時の感覚が強くて……」

 僕が少し引いた態度を取ると、このひとは決まってこう言う。

「じゃあ、もっと仲良くなろうね。ロシュも弟なんだから」

 ふふ、と笑う姿は心の底から楽しそうで、兄弟仲が良くなり、会う度に戯れている様が微笑ましい。彼も番が欲しい、とは思っているようだが、今は弟と弟の番を構うので精一杯なのだそうだ。

 背後から、兄を追うように番が駆け込んでくる。

「なーにやってんだよ兄貴。ロシュにばっか嬉々として絡みにいって……」

「…………? 私はリカルドにも嬉々として絡みにいっているよ?」

「それは知ってるから!」

 やいやい言い合っている姿も、子どもの頃を取り戻しているみたいだ。以前よりもお互いに対話を臆さなくなった。

 二人の会話が仕事の話に移行してしまい、僕は置いてけぼりになる。何だか寂しくて、リカルドの隣に寄った。こっそり手を伸ばし、腕を絡める。

 びく、と腕を跳ねさせたリカルドは、僕を見下ろして眉を下げる。

「悪い。つい仕事の話まで……」

「ふぅん。そんなにオースティン様の方がいいんだ……?」

 僕のゆるゆるになった口元を見て何かを察したらしいオースティン様は、僕と反対側の腕を抱き込んだ。

 ふふ、と艶やかな笑みをわざとらしく浮かべてみせる。

「リカルドはお兄ちゃんだって大事だもんね……?」

「えー! どっちを選ぶの? リカルド」

 明らかに態とらしさ全開なのだが、挟まれた本人は二人をうろうろと見る。恐らく、僕とオースティン様の双方を傷つけない言葉を必死で考えているらしい。

 こういうとこ真面目なんだよなあ、とこっそり腕に顔を押し付けながら笑う。目の前の兄もまた、肩を震わせている。

 二人の笑い方があまりにも分かりやす過ぎたのか、はっ、とリカルドが眉を跳ね上げた。

「…………俺、からかわれてるんだな?」

 呆然とした言葉に、二人して堰を切ったように笑い出した。リカルドはオースティン様に文句を言うと、僕の肩を抱く。

 頭をくしゃくしゃに撫でながら、お前なあ、と文句を言われた。

「番が一番大事! ……けど、兄貴だって大事に思ってるよ!」

 くく、と口元を隠して笑い続けているオースティン様は、リカルドに引っぱたかれている。手を振って仕事に戻っていく兄は、最後までご機嫌だった。

 リカルドは僕の手を引いたまま、別棟へと向かう。

 僕の趣味で物が揃えられ始めた家は、リカルドの趣味ともまた違う色味を持ち始めている。彼は二人の家、だと言う。僕の家でもあるその場所を見回す度に、眩しくて思えて仕方がない。

 玄関先で埃を落としていると、その最中にぎゅっと抱き込まれた。埋まった胸元から、番の匂いがする。いつも近くにある、安堵する匂いだ。

「ほんとに、ロシュが一番大事だから」

「うん。……ちゃんと、分かってるよ」

 腕を伸ばして、首筋へとしがみつく。口づけをねだったのが分かったのだろう、傾いだ顔が近づいてくる。

 以前よりも身体に馴染むようになった魔力を受け入れるべく、光に向かってつま先を伸ばした。

 

 

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