※サーシさん、シャクトさんメインのスピンオフ小話です。二人の恋愛未満?的な描写を含みます。
ガウナーさん、ロアさんはでません。
※「宰相閣下と結婚することになった魔術師さん6」を先にお読みください。
終業時間が近づくと、ここ数日ずっと職場を訪れる顔が視界に入る。部下たちと当然のように話をしている元相棒は、確認を終えると僕へと歩み寄ってきた。
立ち上がりもしないまま、高い場所にある顔を見上げる。
「お疲れ様、サーシ。今日、魔構の皆はやく帰るそうだ。いつも通り、彼らと方向が同じ部下を連れてきた」
彼の言葉通り、扉の付近には第二小隊の面々がおり、シャルロッテへ挨拶をしていた。馴染んできた顔触れに、部下たちも表情が緩んでいる。
彼に向け、軽く息を吐く。
「第二小隊は暇なのかな?」
「これも歴とした仕事だ。帰宅するまでは残業扱いにしてある」
「もう他の仕事は終わったのか、という意味なのだけど」
「その為に終わらせた。お前の仕事がまだ残っているなら、ここで待つ」
今度は、深く息を吐いた。
机の上の書類は片付いており、仕事は区切りがついている。
「終わっているよ。────皆。残ってる仕事がないようなら、職場は早めに閉めようか」
部下たちは各々返事をして、帰り支度の手を早めた。一人、また一人、と帰宅方向が同じ防衛課の職員と合流しては部屋を出ていく。
人がいなくなると、照明を消し、背後を付いてくる影と共に扉を出た。
「最近、視線は感じるか?」
「全く。ロアくんの結婚式前までは鬱陶しかったけど、今は探知魔術に引っかかるものもない」
庭を横切り、門番に挨拶をして王宮の敷地から出る。家の方向が同じであることを理由に、僕を送る担当はこの男に決まってしまった。
既に陽は落ち、周囲には街灯の光があるばかりだ。道を踏みしめる靴音は、彼の体格にしては静かなものだった。
「────国の調査でも、相手方の戦力は削がれ、逆恨みや報復をする余裕はないようだ。そもそも、防衛戦をした人物の情報も、向こうには渡らなかったしな」
「すべて神様の掌の上、だったからね。うちの護衛も、そろそろ打ち切りでいいんじゃないかな?」
そう言うと、彼は渋い顔をした。
歩みの速度も遅くなり、僕の歩幅もつられて狭まる。また一つ、街灯に近づいた。闇に覆われていた周囲が、途端に明るくなる。
「俺は、サーシの身の回りが心配だ」
「部下を付き合わせるのも、どうかと思うけれどね」
「それは……」
彼に自覚があることに、何処か安心した。
僕は黙って歩みを止める。悩んでいたはずのシャクトは、迷いなく脚を止めた。いくら悩みを抱いていても、僕の動きを察する癖が染み付いているらしい。
「分かった。今度の休日まで何もなければ、第二小隊として帰宅時の護衛は終了する」
「そうしようか。部下に不安を感じている者がいるかは、話をしてみよう」
彼の頭の後ろには、街灯の柱がある。僕たち二人だけが、珍しく闇の中で浮かび上がった。
「だが、サーシだけは。しばらく送らせてくれ」
「嫌だ。毎日のように送っておいて、更に泊まりに来いと煩い」
「それは、お前の身辺が心配だから……!」
以前ならもっと突き放していた筈の男に、何故か強く言えない。慣れた言葉を紡ごうとした喉に、部下の結婚式で感じた不安が纏わり付く。
自分が傍にいない間にこの男が死ぬ、という不安だ。
「────最近、言わなくなった」
「…………。何を、だ」
「『一緒に暮らそう』って」
「いや。……何度、断られたと思っているんだ」
それだけを返し、彼は思案するように黙った。色恋沙汰には鈍いったらないこの男に、この僅かな感情の変化を悟れるとは思っていない。
けれど、やっぱり口は回らない。喉にある特定の言葉に対してだけのしこりは、ずっと居座り続けている。
「お前こそ。何故、今更そんなことを問う」
「…………」
逃げようと杖を動かすと、それよりも先に両肩を掴まれる。
カツン、と杖の底が地面を叩いた。無音の周囲に、音が長く余韻を残す。
「料理も用意する。寝台も譲る。お前が生活する上で、不足するものがないよう努める。一緒に暮らしてほしい。それは、……ずっと変わらない」
「言わなきゃ分からない」
「……気が利かなくて、すまない」
緩んだ掌から抜け出て、彼の肩に額をぶつける。
そっと背に腕が回されるのが、僕が望んだからそうしたようで憎たらしかった。
「今日は、泊まる」
「助かる。夕食は、何にしようか」
「べつに何でもいい。居心地が良かったら、明日も泊まる」
「ああ。何日でもいてくれ」
果たして僕は、何日、彼の家に泊まることができるのだろうか。どうせ、仲違いして喧嘩別れになるだろうに、また、歩み寄ってしまった。
黙って腕の中にいると、彼の顔が頭に擦り寄る。
「サーシ。一緒に暮らそう、ずっと」
刹那を生きていた彼が、永遠を語るようになるなんて。時間というものは底知れない力を秘めているらしい。
互いに見知らぬ誰かの頭を踏み躙って生きてきたというのに、この男はその上で幸せになろうとする。あまりにも強欲だ。
「君がいないと生きていけなくなるのは、御免だよ」
そう小さく返事をすると、耳の横で笑い声がした。愛おしいものを見たかのような、柔らかい音だ。
「是非。そうなってくれ」
道端で大人しいのをいいことに接触を深めようとする手を叩き落とし、護衛なのだろう、と自宅までの道を急がせた。
それから数日。相手のたゆまぬ努力により、僕はまだ男の家に泊まり続けている。
服が足りなくなったと言えば取りに行ってくれるし、食事は毎食好きなものばかり出る。大食らいな魔術師は、食事を押さえられると弱い。
駆け引きを続けながら迎えた休日の昼下がり、台所からは果物を甘く煮詰める音が響いている。
本を脇に置き、裾を引き摺りながら床を歩いて長身の後ろ姿を探す。多分に裾が余り、襟ぐりの広い室内着は、着心地のいい相棒のそれを分捕った品だ。
「できた?」
ひょい、と顔を出すと、気配を察していたらしいシャクトはゆったりと鍋を掻き回した。
「まだのようだ」
「そう。家に帰ろうかな」
「味見しないか?」
まだ煮え切っていない果物を一切れ、鍋から引き上げる。薄く色づいた半月状の果物は、口に入れるとほっこりと崩れる。
黙って咀嚼していると、彼は目を細めた。
「出来上がったら、もっと美味い。少し待ってくれるか」
「ふぅん。なら、待つよ」
居間へ帰るのも面倒で、その場に留まった。
鍋の番を任され、その間に彼は別の調理を始める。ふあ、と眠気に欠伸をしながら、ゆっくりと腕を動かす。
そっ、と指先が項に押し当てられた。
「今のお前なら、縊り殺せそうだ」
言い当てられて、眉を寄せつつ振り返る。
ぱっと手を放したシャクトは、その場から数歩退く。
「元相棒にすら、用心しなきゃならないとはね」
荒く鍋の中身を掻き回す。
だが、その動作は背後から抱き込む身体に止められた。
「無防備な元相棒が、こんなに愛らしいものだとは。長く付き合っても、分からないことばかりだ」
「次からはもっと警戒することに決めたよ」
「…………謝罪したいんだが」
「もう許さない」
焦げ付かないよう中身を動かすと、甘い香りが鼻を擽る。
中身を掬い上げ、小皿に移して口に運んだ。先ほどよりも容易く、ほろりと崩れる。
「美味しい」
頬を緩めると、こちらを微笑ましげに見つめてくる視線が一層つよく、鬱陶しくなる。
鍋ごと抱えて帰ってやろうかという衝動には、甘ったるい湯気ごと蓋をした。