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※攻(有菱環)視点です。
番は『美形は全部同じ顔に見える』とのたまう。誇張だと思っていたら、本当に芸能人の顔をまるで覚えなかった。
彼の兄は俺とは違うタイプのこれまた美形で、厳しい表情で弟の番候補を値踏みしてきた。美形を見慣れて育ったから、顔に興味を示さなくなったのかもしれない。
顔に興味を示さない、ということは、顔がいいから許す、というような価値観も存在しないということだ。彼に対しては好意を言動で示すしか手がない。
そういった訳で、番が飲んでみたいと言った発泡飲料を買い求め、自宅へ届けてくれるよう頼んでいたのが数日前。
だが、俺が受け取る予定だった当日に仕事が入り、数時間だけ家を空けた。代わりに、購入した瓶を受け取ったのは番だった。
「────ありがとう。受け取り」
「いいけど。飲み物も届けてくれるんだな」
瓶と一緒に服飾品も届いており、彼の手によってクローゼットに仕舞われていた。
瓶は箱から出されていたが、瓶の外観が物珍しかったのか、箱から出したままリビングのテーブルの上に置かれている。
番はソファに腰掛け、瓶を眺めながらホットミルクを飲んでいる。普段と変わらず表情筋の動きはにぶいが、目が好奇心をもって盛んに動いていた。
「今日の夜、開けようか」
背後から近づいて抱きつくと、瓶に向いていた視線がようやく俺を見る。ほんの少しの煌めきの後、こくんと顔が上下した。
背丈がちいさい方ではないし、たまに能面のように見える顔なのに、仕草は小動物のそれである。
「食べ物の買い出し、一緒に行く?」
「うん。行く」
俺はスーツを脱いで服を着替え、衣装室に付いてきた番にも服をあてがう。
本人は服選びを面倒がる質だが、たまに気に入らない服を差し出しても絶対に着てくれない。今日も、完璧に整えたと思った色味に、真反対の色をした時計を填めていた。
それも、らしさ、なのかなあと思いつつ、笑みを零しながらその背を追って廊下を歩く。靴に足を通し、へらで踵を整える。
「輸入食品店とか……、デパ地下?」
「デパ地下」
語感を面白がったのか、番はもういちど幼げに『でぱちか』と呟いて玄関扉を開けた。
今日はデパ地下がお気に召したらしい。表情は動かないものの、言動は素直なほうだ。
彼の家族も、機嫌を窺うのは容易い、と言うが、慣れてくると確かにそうだと頷いてしまう。
駅まで移動し、電車に乗ると、彼の視線は窓の外の建物を向いている。夢中になる姿を話しかけず眺めていると、ふと視線が合った。
指先が、周辺のランドマークになっているタワーを差す。
「あのタワーの下あたり、美味い店あるんだ」
「へえ。今度いこうか」
「うん。環を連れていきたい」
隣から寄りかかってくる体温が、こうやって触れてくれるようになったのは何時からだったか。じんと幸せを噛み締め、彼の肩を抱く。
残念ながら目的の駅までは直ぐで、抱いた肩は早速離れることになってしまった。
駅を出て向かったデパートは、休日らしく人で溢れている。当然だという態度で手を繋いで、無表情な顔が動かず、振りほどかれない事に安堵する。
「折角だから、コート売り場を見に行っていい?」
「もうコートの製造は終わってるだろ」
「来年のためにね」
「あぁ。ならいいよ」
遊は本屋に寄りたいのだと言った。
デパート内の書店の区画は広くないが、番は気にする様子もなく、店ののんびり具合を好んで立ち寄っている。
二人でコート売り場を回り、いくらかのショップを巡ってから、彼の希望した本屋に入った。
書店で彼は、ファッションのノウハウ本を手に取っている。
隣から本を覗き込み、一緒に目を通す。複数めくっていた内の一冊を手に取ると、彼は会計に向かっていった。
「俺も読むから出すよ」
「人に買われると雑に扱えない」
何でも買って渡して、彼の周囲を自分がプレゼントした物で埋め尽くしたいのだが、番に対してはまったく上手くいかない。
さっさと立ち去ってしまった遊は、手早く支払いを済ませた。戻ってきた彼を出迎え、ぎゅ、とハグをする。
「夕食は俺に買わせてね」
「高いやつ買ってやろ」
意地悪のつもりだったのだろうが、俺が顔を輝かせたのを見ると、遊は、失敗した、と眉を寄せていた。
地下に降りると、上階よりも更に賑やかさが増した。繋いだ手を握り締め、惣菜コーナーを眺める。
あれこれと買い求めていると、直ぐに両手は埋まってしまう。
「────このくらいにしておくか」
遊にとっては贅沢だったようだが、量は可愛いものだった。持ち物を分担し、駅に戻っていく。
両手が塞がると、途端に手が繋げなくなる。
ほんの少し開く距離を必死に詰めて、相手と視線が合うとほっとする。いずれ俺たちが離れるとしたら、置いていかれるのは俺な気がしている。
夕食を終えると、番は忘れることなく届いた瓶をリビングに抱えてきた。さっそく開けている様子に、自分たちが番って一ヶ月記念、という名目を言い出せず黙る。
良質な林檎を使った炭酸飲料は、酒かと間違えそうになるほど高価な一品だ。発情期から先は酒を飲まなくなり、代わりにノンアルコール飲料を飲むことが増えた。
グラスを持ってくると、ソファに腰掛けて中身をそっと注ぐ。繊細な泡が弾けた。
「最近、こういうの好きだね?」
「味覚が変わってから、色々試すのが楽しみになってさ。酒が入ると舌が鈍るし────」
続こうとした言葉は、彼の喉に呑み込まれた。
「ま、いいや。乾杯」
「乾杯」
グラスを打ち鳴らし、各々の口に運ぶ。ちまちまと炭酸飲料を飲み干す姿は、やっぱり小動物を思わせた。
「味どう?」
「凄く美味い」
もっと下さい、とグラスを差し出され、瓶の中身を注ぐ。酔いそうな味なのに頭が痺れてこない。
おかげで、じっくりと番を眺める余裕もあった。瓶は少しずつ中身を減らしていく。
「遊。こっちに来ない?」
足の間を叩いてみせると、慎重にグラスを保護しながら遊が移動してくる。俺はグラスをテーブルに逃がし、その身体を抱きしめた。
中身を零さないようにあたふたとしている様が愛おしい。結局、中身を飲み干すことに決めたようで、空になったグラスがテーブルに置かれた。
「今日、一緒にお風呂どうですか」
「入ってもいいけど。どうせ変なとこ触るだろ」
「触るけど」
「いけしゃあしゃあと、まあ」
頬ずりし、自分のにおいを擦りつける。もう別のにおいに靡かないと分かっていても、この人に自分のにおいが付いていないと不安になってしまう。
見た目はまったくタイプじゃないはず、と考えていたのは最初だけで、顔は顔立ちだけじゃなく、表情まで含めて顔なのだと思い知らされた。
たぶん、俺はこの人の顔も好みで仕方がないのだ。
「他のアルファのにおいは落とさなきゃ駄目なんだよ」
「もう俺の鼻じゃ分かんないんだって」
「けど、分かんなくてもくっついてるのが嫌だ」
彼を抱いたまま訴えていると、先に折れたのは番のほうだった。風呂に一緒に入ってくれると約束し、腕の中で力を抜く。
やがて、俺の肩に頭が預けられた。
「今日、するの?」
「いつでもしたいけど、気分じゃなかったら軽く断ってよ」
ちゅ、と唇を相手の額に押し当てる。わざとらしく頬を見せつけていると、柔らかいものが控えめに頬に触れて過ぎていった。
「嫌だったら聞かずに逃げてるよ」
諾、を伝えた後、彼は俺の首筋に手を回す。近づいてきた唇を重ねると、ふっと林檎の味がした。
二度、三度と重ね続けていると、何度目かで逃げられる。仕方なく柔らかい髪に顔を埋めた。
「いい匂いか?」
「すっごくいい匂い」
皮膚に鼻先を沿わせ、息を吸い込む。周囲に番の匂いを置いておきたいという特性はオメガにおいてよく語られるが、アルファもそう変わらないように思う。
俺の腕の中にいる番は、ひっそりと罪を打ち明けるような口調で言う。
「俺も。今はもう、環の匂いしか分かんないんだけどさ」
「うん」
「たまに、…………シャツとか欲しくなってる」
きゅ、と抱きしめていた腕に力がこもった。傷つけないようにと思っているのに、腕の中にいる存在を抱き潰したくなってしまう。
俺の顔を見れていない遊は、つっかえながら言葉を続ける。
「巣作りしたい、ってこういう事なのか? 近くに匂いがないと落ち着かないっていうか……初めての感覚で戸惑うな」
「靴下でもパンツでもいくらでもあげるよ?」
「それは別に要らない」
シャツくらい幾らでも持って行くといい、と言うと、彼はほっとしたように息を吐いた。
俺は、番に服を持って行かれることを許さないアルファだと思われていたんだろうか。下着でも靴下でも自由、と改めて言うと、やっぱり下着や靴下は要らないと固辞された。
「俺も持って行っていい? 遊の服」
「別に何してもいいけど。洗って返せよ」
何をしてもいい、とは寛大な言葉だった。遊が数日、家を離れることになっても安眠できそうだ。
「そういえば、遊が巣作りしてるとこ見たことないけど。次は作ってくれるかな?」
「アルファの服を集めて……なぁ。発情期にならなきゃ分かんないけど、近くににおいのする服がいっぱいあったら作るかもな……?」
数日かけて着倒した服を集めておけば、番の新たな一面が見られるんだろうか。想像するだけで胸が高鳴った。
「いいなぁ……。ベッドに俺の服がいっぱいあって、その中央で遊が眠ってるんでしょう?」
「でも、絶対に服が汚れるぞ」
「汚れてもいい服を用意するから……!」
「何でそこまでやらせたがる」
番は乗り気ではなさそうだったが、発情期になれば一転して我を忘れるのもまた彼の傾向ではある。
番が自分に対して蕩けている様は、何がなんでも見てみたかった。
「俺はずっと遊の匂いばっかり追ってるんだから、発情期くらい遊が追ってきてよ」
「主張は分かるけど……。急に発情期だからって理性を溶かされてみろ、思い出すだけで顔から火を噴きそうだ」
そう主張する番の目元は、やんわりと染まっている。
番になりたてだからか、普段の彼の押しは強くない。けれど、発情期の彼は牙を見せて、首筋に突き立てようとするような圧を感じることがあった。
「どうせ俺しか見ないよ」
相手の両頬を捕まえると、唇を重ねて体重を掛ける。相手の身体が傾ぎ、抗議をするように彼の唇から声が漏れた。
じゅる、と相手の味がする唾液を啜り、また唇を重ね直す。
「…………提案なんだけどね」
「ぁ……。な……ンだよ?」
「瓶の中身、飲んでしまおう。それで、お風呂」
股間を相手の脚に擦りつけると、番は意図を察したらしい。近くにあった瓶の首を引っつかむと、グラスに並々と注いでいく。
乾杯、と打ち付けられたグラスの動きは、最初よりも雑だった。満たされたグラスが、彼の喉に消えていく。
「朝方に仕事して帰ってきたから、今日はゆっくり休ませてやるつもりだったのに」
「じゃあ、俺は休むからさ、遊が『上』でしよう」
「それは……休みになるのか?」
番の懸念通り、盛り上がってしまった俺の所為で休みなど無に帰してしまったのだが、翌日、俺より先に起きた遊は、文句を言いながら優しく二度寝させてくれた。
表情筋はいつものように鈍かったが、口の端がひくりと動いて、何となく笑われているような気がした。
