cuckoo clock hoohoo

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 久しぶりの大きな案件に走り回っていたのは、先週までのことだ。

 事の起こりは、とある貴族が数年使われていなかった屋敷を使うことにした事に始まる。貴族の使用人が数年ぶりに屋敷を見に行ったところ、管理を手抜きされ、ところどころ雨漏りで床の腐った屋敷に成り果てていた。

 管理者の手抜きへの対処は勿論だが、屋敷を修復しなければまた使うことはできない。屋根や床は大工が直していくのだが、雨漏りや獣の侵入で被害を受けた魔術装置も数多くあった。

 大工の中の一人がベイカーの知人で、連携が取れる魔装技師、そして魔術師もまとめて雇用できることから、彼の事務所へ依頼が決まった。

 屋敷ひとつの規模、と甘く見ていたが、屋敷は思ったよりも広かった。

 基本的には屋敷内の魔術装置を確認して回り、時には大工に呼ばれて修理に向かう。短期間で工事に付き合う都合上、屋敷内を常に歩き回る僕の脚は筋肉痛で、魔力も毎日のように使い果たしていた。

 流石のベイカーも、寝るまでぐったりしている僕を抱こうとはしなかった。思い返せば、恋人になる前も、極端に疲れている時には手を出さなかったように思う。

 屋敷の修理が終わった日が最も忙しく、最後の方では段差さえあれば座っていた。大工の皆も僕の体型では無理もない、と資材を指差しながら、はい椅子、と言う始末だ。

 にやにやと笑いながら、おんぶするか、と茶化すベイカーを引っぱたく。自分だって僕を補助するために遠くから重い魔術装置を運んでいるのに、これ以上、身体に負担を掛けるなんて馬鹿だ。

 夕方に工事が終わると、当事者である貴族が屋敷を訪れた。完成した箇所を見て回り、工事の責任者に良い仕事だと褒め称える。最後に回収する不用品の確認をしていたが、その場に何故かベイカーも立ち会っていた。

 僕の元に戻ってくるとき、魔術装置をこちらに抱えてくる。

「あれ、まだ直ってなかったか?」

 彼が持っている装置は修理した覚えがなかった。ベイカーは、いや、と首を横に振る。

「元々、故障はしてた。でも、捨てるつもりだから直さなくていいって言われてたんだよ。貰ってもいいか尋ねたら、くれる、って言うから貰ってきた」

 正面がこちらに向けられる。ずいぶん古びた時計だった。

 三角屋根の下に丸い窪みがあり、中には鳥が一羽、止まり木に趾を掛けている。鳥の下には長針と短針、時間を示す線が円状に並んでいた。

 僕は三角屋根の上の埃を払う。

「新しい家に置こうぜ。あの家、時計が足りないだろ」

「ああ。でも、こんなに古い時計。直るか……?」

「構造自体は単純なんだから、直るだろ」

 ベイカーは楽観的にそう言うと、僕に時計を預けてまた工事の責任者の元に戻っていく。自分だって、さんざん歩き回っていた癖に外面上は常に元気だ。ああいう姿勢が、次の仕事を引っ張ってくるのだろう。

 僕は埃を払った大きな時計を抱え、ぼうっと恋人の広い背中を眺めていた。

 

 

 

 新しい方の家、は順調に改築が進んでいる。二人で仕上げるため、まだ移り住むのは先になるだろうが、最初に比べれば見違えるほど綺麗になった。

 ベイカーの工作室を作るために間取りを変えた場所もあったのだが、その所為で時計は足りていなかった。仕事明けの最初の休日、僕が起きると恋人は譲り受けた時計を現住居の居間に持ち込んでいた。

 裏蓋は既に取り外され、周囲には交換用の部品が並べられている。時計の中央に居座っていた鳥も、いったん外されて近くに置かれていた。

「おはよう、ベイカー。朝食は?」

「食ってない」

 平然と言いつつ部品を取り外す様子に、技術馬鹿は治らないなと息を吐く。夕陽色の瞳は、熱心に内部を見つめていた。疲れて眠りはしても、朝早くからこうやって修理をしていたのだろう。

 古い技術で作られたであろう時計が、彼の興味を引いたのも想像がつく。

 いずれ仕事に役立てるために、なんて思ってもいない筈だ。興味がある分野を突き詰めていたら、いずれ、本当に偶に役に立つことがある。彼にとって仕事は、趣味にほぼ両足を突っ込んでいる。

 工具が動く音。取り外した部品を太い指が器用に摘まみ上げ、傍らに分類する音。しばらく黙って音を聞いて、静かに台所に向かった。

 何が食べたいか尋ねもせず、買い置きしてあったパンを切り分け、野菜と焦がした肉を挟み込む。調味料を混ぜたソースと一緒に挟むと、手づかみで食べられる朝食が出来上がった。味だけが食の好みではないのだ。

 卵を茹で、潰したものに味付けして間にナイフを入れて袋状にしたパンに詰め込む。カップに昨日余ったスープを温め直して注ぐと、盆の上に載せ、作業している机の端に運んだ。

 盆を置く音でようやく僕に気づいたらしく、顔を上げて目を瞠っている。すぐ去ろうと身を引くと、腕の裾を掴まれた。

「ありがとな。一緒に食わねえの?」

「作業はいいのか」

「フィオノと一緒に食いたいなァ」

 変な駄々っ子口調に肩を竦め、台所から自分の食事を取ってくる。大きなテーブルは殆ど部品で埋まっていた。大きな手が部品を動かし、食事のための空間を作る。

 ソファの隣に腰掛け、一緒に持ってきた布巾で彼の汚れた手を拭う。茶化されるかと思ったが、目を僅かに見開き、大人しく掌を拭われる。

 珍しい態度に顔を覗き込むと、僅かに視線を逸らされた。

「こうやって世話を焼かれるのはあんまり好きじゃないか?」

「は? そんな訳ねえだろ」

「なんだか、嫌そうに見えたが……」

「べつに、……照れただけだろ。気にするなよ」

 珍しい表情が面白く感じる。汚れが落ちきっているのににぎにぎと指を揉んでいると、流石にやんわりと離された。

 昔だったら照れていることなんて教えてくれなかっただろうが、最近は素直に感情を教えてくれる。ずっと喧嘩の原因になっていたのは、おそらく昔のベイカーの隠し事にあったのだろう。

 価値観の違いで言い合うことは多いが、僕が腹を立てることはめっきり無くなった。

「────あんまやると、勃つから止めとけ。休みたいだろ」

「は!?」

「出来たての恋人が近くにいる休日なんだぞ。禁欲生活、何日目だと思ってる」

 僕が呆気に取られている内に、ベイカーは布巾を畳んで机の端に置いた。大きな手で料理を持ち上げると、がっと広い口を開ける。

 白い歯が焼き上げたパンの表面に食い込む。鬱憤を食に向けるように、がつがつと食べ進めていった。

「美味い。ありがとな」

 手の甲で僕の額に触れる。その動作でようやく我に返り、僕も食事を始めた。寝起きの腹はまだ目覚めきっておらず、ちまちまと歯を動かす。

 早々に食事を終えた恋人は、スープの入ったカップに口を付けはじめた。

「そういや。あの時計の魔術式、かなり古い物みたいだ。掠れが見えるから、書き直して貰う必要があるんだが……」

 ベイカーは一度立ち上がると、内部から取り外したらしい金属板を持ち上げた。こちらに向けられた金属板には、魔術式が埋め込まれている。ざっと目を通すのだが、普段使い慣れた魔術式ではない。

 僕はパンに齧り付いたまま、視線を彷徨わせた。

「古代魔術の範疇だな……僕は、その方面には疎い」

 ぼすん、と隣に体重が戻ってきた。ベイカーは金属板をゆらゆらと揺らし、窓から漏れる陽光を跳ね散らかして遊ぶ。壁紙に光の模様が出来ては消えた。

 彼が、自らの考えに没頭している時の仕草だった。

「お前の魔術学校時代の友人に、古代魔術が得意な奴いたっけ?」

「…………いない。そもそも、古代魔術の需要なんて、一部の好事家が骨董品の維持に魔術師を雇うくらいだ。魔術師の中でも、個人の好みで研究するような分野になる。そうなると、魔術学校の教師に話を聞きに行く、とか……。だが、転移魔術式を使わなければならないしな」

 僕はもそもそと食事を進め、腹一杯になると諦めるように息を吐いた。余ったパンを皿に置くと、ベイカーが食べていい? と尋ねてくる。

 好きにしろ、と言い置き、自室へと向かった。自室の本棚から古代魔術に関する記述がある本を抜き出すが、二冊程度あるのみだった。

 雑誌の山を崩し目次を捲り続けると、一冊だけ古代魔術、という文字を見つけた。巻末付近の一頁だけの特集記事、頁数が足りないから埋めました、と言わんばかりの記事には、とある魔術師の名前がある。

「『古代魔術の研究をしている。王宮の魔術式構築課』、の……『ツクモ・フィンダート』」

 僕は指先を走らせ、連絡先を綴じた冊子を取り出す。直近で貰った名刺の中から、一人の名前を探り当てる。

『魔術式構築課 課長代理

 ロア・ハッセ』

 喜びとも混乱ともいえる声を上げながら自室を駆け出た僕を、ベイカーはぎょっとしたような顔をして見つめる。ちゃっかりと手元の皿は空になっていた。

 

 

 ロアさんに連絡を取ると、快く古代魔術の研究をしているツクモさんを紹介してくれることになった。就業時間に研究がてら読み解いても良いことになったそうで、平日の昼過ぎにベイカーと一緒に王宮へと向かった。

 王宮の入り口で門番に挨拶をする。予定として登録されていたそうで、すんなり手荷物の検査が始まった。他の荷物は問題なかったのだが、持参した魔術式が埋め込まれた金属板に対し、門番が渋い顔をする。

「少し待っていただけますか? ……いや、酔っ払いを助けようとしたベイカーさんが何をする、と思うわけでもないんですが、これ、魔術式ですよね」

「はい。そうです」

「ある程度、よくある魔術式は覚えているものもあるんですが、これは自分にとっては未知のもので。爆発物であったりすると不味いので、敷地に入る前に魔術式構築課の課員を呼んで判断してもらいます」

「ああ、確かにそうですね。よろしくお願いします」

 しばらく待ちながら用件などの聞き取りを済ませていると、顔見知りのロアさんと、背後にもう一人、長髪でフードを被った魔術師が付き従っている。夜道で出会えば、不審者、とでも思ってしまいそうな出で立ちだった。

 足元にはちょろちょろと大型犬が走り回り、ロアさんは器用に犬を避けながら歩いてくる。

 どうも、と声を掛け、早足でこちらに歩み寄ると、ロアさんは門番から金属板を受け取った。そのまま背後の魔術師に手渡す。

 魔術師は素早く術式に視線を走らせる。

「大丈夫……です。主に、定期的に細かい部品を動かすもの……の、動作のための魔術、です」

 ぼそり、ぼそりと囁く割に、耳に届く声の主は、金属板の魔術式をすんなり読み解いているらしい。門番は協力の礼を言うと、僕たちの胸元に来訪者であることが記された札を取り付けてくれる。

 ロアさんは朗らかに挨拶をして、ベイカーと近況報告を交わしている。

「ベイカーさん、フィオノさん、いらっしゃい。こっちが部下のツクモ」

 背後に付き従っていた魔術師の背を叩いて示す。長髪の魔術師……ツクモはぺこりとその場で頭を下げた。フードの影が濃く、表情は窺いづらい。

「それで、こっちがニコ」

 自分のことを言われたのが分かったのか、ニコ、と呼ばれた黒い大型犬が、がば、と前脚を上げる。僕はびっくりして一歩引いてしまったが、ベイカーは何事もなく進み出て、その体重ごとあっさりと受け止める。

 両前脚を掴み、自分の肩に乗せると、そのまま軽く抱きついていた。

「お前、世話になったなぁ!」

 わしわしと毛を撫でている様を見て、そういえば堀に落ちかけたベイカーをこの犬が引き上げ、大事には至らなかったことを思い出す。お互いがお互いのことを覚えているように、二人とも嬉しそうに再会を喜んでいた。

 二人の様子を見て何事かに思い至ったらしく、ツクモさんが進み出る。そっと白い手が僕に差し出された。

「…………よろしく、お願いします……」

「はい。お世話になります」

 差し出された手を両手で受け取り、ぎゅっと握る。ツクモさんは握る手のひらを興味深そうに眺め、視線を上げた。純粋な瞳と視線が合う。

 引っ込み思案なのかもしれないが、悪い人ではなさそうだ。

 僕とツクモさんが離れると、手が空いたことに気づいたニコが歩み寄ってくる。手を広げ、いつ来てもいいように構えると、遊んでくれると勘違いされたのか、全力で前脚を上げて乗っかられた。

 必死で地面を踏みしめ、乗っかかった身体をおずおずと撫でる。

「フィオノさん、大丈夫か?」

「だ、大丈夫です。重いけど……」

 ニコは撫でられて満足したのか、身体を浮かせて四つ脚に戻った。僕の周りをくるくると周り、頭を擦りつける。

 なんとなく、歓迎されているであろうことは伝わった。

「じゃあ、うちの課に案内するよ」

 ロアさんの先導で庭を抜け、職場にしては小さいような気がする建物に辿り着いた。扉の横には人型の魔術装置が立っており、ベイカーは目を輝かせている。一頻り眺めるのは許したが、構造を調べようとし始めたので背を押して歩くよう促す。

 ニコはそのまま庭に残り、四人で職場の中に入った。

「こんにちは」

 声を掛けると、不揃いな挨拶が返ってくる。僕は他の職場というものを知らないが、学校のみな揃った挨拶に慣れていると、自由さが物珍しい。そもそも、魔術式の相談を職場でやってもいい、と言われたことさえ驚いたのだ。

 古代魔術の文献を魔術式構築課にも置いているそうで、分からなければ調べながら読み解けるから、という理由はあったが、それが許されることが意外だった。

 広い机の近くに置かれた椅子へ腰掛けるよう勧められ、ロアさんが持っていた金属板を机の上に置く。皆が机を囲むと、ツクモさんが机の上に大判の本を数冊積み上げた。

「…………時計の内部にあった……術式でしたっけ?」

「ああ。時計自体はいま動かせなくて、図面だけ書いてきた」

 ベイカーは鞄から紙を引っ張り出すと、ツクモさんの前に広げる。時計の形状や内部の部品、魔術式がどの位置にあったのかも書き込まれている。

 古代魔術の研究家は、紙を見下ろして頷く。もうフードは取れており、視線が図面を追った。

「修理箇所、については……分かりました」

 彼は指先に魔力を灯すと、掠れていた文字を埋めていく。途中で本を捲って何事かを調べることはあったが、僕たちの元にお茶のカップが届いた頃にはもうほぼ直りきっていた。

「直りそうか?」

 同じく術式を覗き込むロアさんが問いかける。はい、と部下としての几帳面な返事をすると、言葉を続けた。

「機構としては単純、……なので、直せます」

「あのさ、興味本位で悪いんだけど、この式の解説とかできないか?」

 ロアさんが提案した言葉に、僕も前のめりになる。

「あの! 僕もこれから古代魔術式に触れるかもしれませんし、簡単にで構わないので、教えていただけませんか……?」

 きょとんと目を丸くしたツクモさんは、僕を見て、ロアさんを見て、うつむいた。顔は影になっているが、僅かに染まった頬は感情をまっすぐに伝えてくる。

 彼は、嬉しがっているだけだ。

「……まず、この式は────」

 初対面の場で不審者に見える、と一瞬でも思ってしまった事を反省するくらいには、その講義は丁寧なものだった。

 

 

 

 話を続けていると夕方近くになり、そのまま終業後に魔術式構築課の何名かと食事に行った。魔術式にも、魔術装置にも詳しい面々とは何となく話が合い、食事にしては長時間喋り倒すことになった。

 また、と約束と連絡先を交わして別れる。帰り道は暗く、ベイカーは几帳面に道路側を歩いていた。こんな気遣いも、口喧嘩の絶えなかった昔には気づかなかっただろう。

 自然と手が伸びてきて、僕の手を取る。黙って握り返し、顔を見上げると意外そうにしていた。その様子が心外だった。

 石畳を叩く靴音は静かで、外の空気は冷たい。繋いだ手ばかりが熱く、もうすこしだけ、家に辿り着かなければいいと思った。

 意図的な遠回りに付き合って、いつもより時間を掛けて家に辿り着く。

「ただいま」

 帰宅するなりベイカーは魔術式以外が直っている時計に近づくと、魔術式が埋まった金属板を填め込んだ。裏蓋を閉じ、螺子を締める。

 キュ、と僅かに音がして螺子が締まると、彼はそのまま時計を持ち上げる。時計の下に付いた振り子が左右に動き始め、カチ、カチ、と針が音を立て始めた。

 そのまま、きりのいい時間まで近くで待つ。長針が天頂を指すと、濃い青色に塗り直された鳥が飛び出てきた。

 室内に、ひょうきんな鳥の鳴き声が響く。

「よっしゃあ!」

 両手のひらを差し出す相棒と、手を打ち鳴らす。また新しい時を刻み始めた魔術装置は、僕たちが喜んでいる間も途切れなく動き続けている。

 ベイカーはついでとばかりに僕を、ぎゅう、と抱き込む。

「禁欲解禁だな!」

「はぁ!?」

 意味が分からないと背中を引っぱたく。恋人は気にもせず、僕を抱き上げた。急に変わる視界に慌てるが、美味いこと担ぎ上げられる。

「風呂の後、やろう!」

「何でそうなる!?」

 裏返った声も、満足げな勢いに押し流されそうだ。僕がやいのやいの文句を言っても、彼は聞く様子もない。

「時計が終わるまで、仕事が終わった感じがしなくてさ。なーんか、乗り切れなかったんだよな。でも、ぜんぶ直ったから、ヤる気出てきた」

「さいきん大人しいなと思ってたら……!」

 とはいえ、妙に手を出してこないベイカーを気にもしていた。単純に仕事が片付いた気がしなかった、という妙なこだわりだけが理由だったと知って、ほっとしている部分もある。

 だらりと腕を垂らし、はあ、と息を吐く。ついでのように尻を揉まれても、はたき落とす気にもならない。寝台の中の恋人はねちっこくてしつこくて、抱き潰される、という言葉を身を持って知った。

魔術師さんたちの恋模様
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坂みち // さか【傘路さか】
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