その人は『発情期にひとりで居たことが無い』と言った。
旦那様の生活は目まぐるしい。早朝に『走ってくる』と出て行ったかと思えば、気がつけば新聞を片手に話し掛けてくる。
いつもの時間になると部屋を出て行き、圭次さんを引っ張って食堂に戻ってくる。私が誠さんを呼びに行くのもこの頃だ。
私の時計よりもずっと、旦那様の体内時計は正確らしい。
「深代くん。今日はこっちだ」
余った椅子を引かれる。私が配膳のために持っていたものたちは鵜来さんに拾い上げられ、私の身体は椅子に収まった。
今日は、おそらく初めてのことだ。使用人用の朝食が用意されていなかった。
『悪いけれど、旦那様達の朝食の後ですぐ出すから』と謝られ、少しばかりビスケットを齧ってここに居る。
鵜来さんも、お手伝いさんたちも笑いを堪えるように口の端がぴくぴくとしていた。
「今日は朝食の量がいつもより多いと思いました!」
謀られた、と真っ赤になって旦那様に言うと、隣の席の誠さんが頭をくしゃくしゃと撫でた。口元は笑いを噛み殺している。
「今日は圭次の誕生日だからな。朝食から……」
「なんと朝からケーキ出してくれる! から、深代くんも一緒にどうかなって」
小躍りせんばかりの圭次さんは、瞳を輝かせて落ち着きがない。自室の机で真剣に書きものをしている時とはまた違った表情だ。
行儀良く椅子に腰掛け、膝の上に手を置いているが、突然立ち上がりでもしそうだ。
「夕食にもケーキ出るしな。たぶん」
「出るな。用意してある」
今日の夕食は、旦那様と圭次さんは外で、と聞いていた。誠さんが寂しい、と言い張るので、夕食を二人で囲もうという話にもなっている。
「プレゼントは?」
「お楽しみだ。夜まで待ってろ」
「ん」
旦那様の返答に楽しみだなあ、と笑う圭次さんから、私は居心地悪く視線を逸らした。
今年は文具にしようかと、と旦那様にこっそり連れ出されて、圭次さんへのプレゼントを選ぶことになったのは記憶に新しい。
『そういうのって、自分だけで選びたいものじゃないんですか?』
『いいや? プレゼントは相手に喜んで貰うために選ぶものだろう。圭次は深代くんにプレゼントを選んで貰ったことがないから、嬉しいんじゃないか』
今年のメッセージカードには、私も一筆添えさせて貰った。
旦那様もその場でカードに日頃の感謝を綴っていたが、普段悩む姿を見ることが無い旦那様が、筆を止めては眉を寄せている姿は微笑ましいものだった。
プレゼントを当てようと、旦那様に向かって品名を挙げている圭次さんを見ながら、言葉を漏らす。
「ずっとこうなんですか?」
「うん。ずっと前から、こうだな」
誠さんは、旦那様に似た顔立ちを、圭次さんに似た表情へ変えた。旦那様に似ていると言うと即座に否定する誠さんだが、圭次さんに似ているというと言葉に迷う。結局出てくる言葉は、そうか、くらいのものだ。
今日は、誠さんの隣の席だ。
焼きたてのパンの匂いでいっぱいの空間で、家族の席に座らされている。座り心地のいいソファでありながら、観衆の目がある場のように思えて、さり気なく背筋を伸ばした。
「圭次さん。お誕生日、おめでとうございます」
圭次さんはにかりと笑ってありがとう、と返事をする。圭次さんを見つめている旦那様の目尻は、普段とは違って優しく下がっていた。
『最初の発情期の時、から、一人で過ごさなかった、のは、……昔から旦那様とずっと一緒だったからですか?』
『内緒!』