【人物】
須賀 圭次(すが けいじ)
須賀 優征(すが ゆうせい)
須賀 誠(すが まこと)
明月 志陽(めいげつ しよう)
明月 克己(めいげつ かつみ)
明月 悟司(めいげつ さとし)
いつ、のクリスマスのことだっただろう。
子ども達は外泊の予定やら帰るやら寝るやらで部屋はしんと静まりかえり、先ほどまであった豪華な料理たちは綺麗に片付けられてしまった。大きなツリーとリースの飾りは、同居を始めてすぐの頃には物珍しいばかりだったが、数年経てば飾りにも見覚えが生まれたものである。
昔、子ども達が歌っていたクリスマスソングを口ずさむ。
何度もなんども歌って聞かせたのだから……十年、いやもっとか……経ってもまだ歌えるものだ。扉の向こうからパチパチパチ、と口で言う声が聞こえた。
何でそんなことを、と視線を向けて、その両手が塞がっていることに気づく。立ち上がって片方のマグカップを受け取った。指先がじわりと温まる。
「圭次と二人、ゆっくり飲み直そうと思って」
「あ、ワインだ。いい匂いがすると思った」
「窓際で座ってたら冷えるだろ」
厚手のカーディガンを羽織らされながら、腕を通さずふうふうと湯気を立てる。暖めてもらったらしいカップからは、ふわりとワイン以外の果物の香りもした。こくり、こくりと喉に流し込んで、ふー、と息を吐く。
隣を見るとパジャマ姿の番もホットワインを啜っている。体温に誘われるように、その間の距離を埋めた。
「もう優征とのクリスマス、何回目だっけ?」
「番になる前も含めて?」
「そう。三十超す?」
「多分。昔からうちのパーティに呼んでたし」
そんなもんか、と指を折り、クリスマスを思い返す。流石に上の子ども達も成人して、もうクリスマスの一度や二度、忘れるくらい平凡な期間が訪れるかと思いきや、番やら孫やら連れて来はじめると、やっぱり家族が増えては騒がしい。
「さっき思い出してたんだけど、誠が『サンタクロースなんていない』って言ってたクリスマス覚えてる?」
「あー……」
優征は顔をくしゃりと崩し、静かに喉で笑っていた。騒動、とも呼べるような出来事があったクリスマスは他にいくつもあったが、そのクリスマスは彼のかわいらしさが思い出深い日でもあった。
口を開き、その日の出来事を語り始める。もう、十年以上も前の話だ。
思い返せば、しばらく前から誠はたまに寂しそうな、悲しそうな表情を浮かべていた。どうした? と聞いても上手く言い訳をされてしまう。それでも、雪が降り止まないように、その表情は湧いては取り繕われた。
その理由が分かったのは、クリスマスイブの夜だった。葵がサンタさん来る前に寝る、とはしゃぎ疲れて眠ってしまった後、珍しく眠らない誠に優征が声を掛けた時だ。
「パパ。プレゼントちょうだい」
「あれ? 長靴にお菓子を詰めたのあげただろ?」
どうした、と優征が誠を抱き上げると、誠は顔をくしゃくしゃにした。なんだ? と優征がその小さい頭を胸元に押しつけると、くぐもった声がようやく届いた。
「……サンタさんのほうの……プレゼント」
「サンタさん、誠が寝ないと来ないだろ」
「ちがう……。サンタクロースはいない。その家の……パパとかが代わりにプレゼントを靴下に入れるんだって……」
ひぐ、えぐ、と嗚咽は段々と大きくなり、広い居間にはその声だけが満ちた。広い世界で、彼だけが孤独に泣き叫んでいるようですらあった。
俺が声を掛けようか、掛けまいかおろおろしていると、大丈夫、というように優征は手を軽く振る。
「おれ……おきてる。パパがプレゼントくれるまで……ほんとうのこと言うまで、ねない……」
「そっか。じゃあ起きてろ」
誠をソファに座らせると、近くにあった毛布を拾ってぐるぐる巻きにする。目を丸くしている誠の頬を両手で挟み込むと、優征はごつりと額をぶつけた。髪をぐしゃぐしゃと乱しながら立ち上がる。
「起きて、ずっと見てたらいい。そうしたら分かるから」
優征はキッチンでココアを作ると、全員分のコップをテーブルの上に置いた。消えていたテレビのスイッチを入れる。クリスマスイブ特番、と見慣れた芸能人たちが映った。誠は戸惑いながら、両手でマグカップを持ち上げる。
「ちょっとにがい……」
口を付けると、小さな舌を出した。
「パパたちが飲む奴と同じやつだから」
俺の前に置かれた分は甘かったのだが、彼にとって苦いそれを、小分けにしながら必死に飲み干そうとしている誠の様子を見ていたら、とても言い出せはしなかった。
それから、いつもは子どもが寝ている時間の見慣れないテレビ番組を見て、優征が雑誌に目を通し始めると、膝の上に乗って一緒に目を通す。よく似ている姿は、優征の小さい頃でも見ているようだ。
漢字はあまり読めないはずで、それでも写真に興味を持っては、それが何を写しているのかを頻りに問いかけた。珍しい時間だった。子ども達が寝た後の、番とだけの時間に、少し背伸びをした子どもがいる。
あと二十年後には、一緒に酒でも飲んでいるのだろうか。
「大丈夫か? 眠くなってないか?」
優征の問いにこくこくと頷くのだが、目はしぱしぱと瞬きを繰り返し、そのままくっついてしまいそうだ。高いたかいをしたり、チョコレートを出してみたりしたが、ずいぶん遅い時間だ。もう、さほど経たずに寝てしまうだろう。
ぽやぽやしている誠の歯磨きをして、俺が抱き直したときにはもう夢の中だった。そのまま子ども部屋に連れていき、ベッドに寝かせて布団を掛ける。サンタなんていない、と言っていた割には、ベッド脇には大きな靴下が吊るしてあった。
クリスマスが近づくと、クローゼットから出して欲しい、と弟と二人して言うのだ。
「生まれてから一番夜更かししたなあ、今日」
頑張れてえらいぞー、と誠の頭を撫でて部屋を出ると、優征は携帯電話を取り出して通話を始めた。しばらくして玄関が開き、いつもはもう少し賑やかな二人が優征の先導でひっそりと廊下を歩いてくる。
「メリークリスマス。二人とも」
や、と手を挙げたのは、友人の明月志陽とその番の克己さんだった。少し前から優征がこそこそと連絡を取り合っていたようだが、あまりにも誠が寝なかったために出番が遅れたのだ。
「夜分遅くにプレゼントの配達、お邪魔しまーす。早く寝てくれなかったらサンタ姿で突入してくれ、ってどんな指示!? って思いながらヒヤヒヤしたよー! もー!」
小声でひとしきり優征を罵ると、明月はプレゼントの箱を持って、足音を消しながら階段を上がっていく。克己さんは優征がワイン瓶を片手に手招きし、テーブルの上で乾杯を始めた。
「本当はうちの両親に頼もうと思ったんだが、ちょうど遠出しててさ」
克己さんのグラスがなみなみとワインで満たされていく。明日までに帰す気があるのだろうか。
「いや、まあ気持ちは分かる。うちも悟司に『サンタは親父なの?』って言われたらと思うと……」
「はは、その時は俺が行くよ」
「頼む」
ぐい、とグラスを煽る克己さんもまた、帰る気はあるのだろうか。運転手は、と聞くと明日の早朝に迎えに来るのだそうだ。
「でもなんで明月に? 別に俺が靴下に入れても……」
「お前は子どもに嘘を吐くのを良しとしないし、絶対顔に出るだろ」
「う」
痛い所を衝かれた、と唸ると、優征はグラスに口を付け、息を吐いた。
「俺もだよ。『パパがサンタでしょ』って言われたらプレゼントを届けておいて嘘は吐けない。じゃあ、パパがサンタなのはダメだ」
「置いてきたよー。今日は僕がサンタでーす! 楽しかった」
明月の再登場に、全員でぱちぱちと控えめな拍手を送る。
「ほんっとこんな夜遅くに、ありがとうなー」
「いえいえ。お礼は明日朝早く迎えに来てくれるうちの運転手にね」
明月はにこにこと笑いながら新しいグラスを持ち上げ、優征の前に口を向けた。赤い液体がとくとくと注がれていく。
「もう今から来年が怖いなー。何を言われるんだか」
「来年はまた来年、考えるよ」
俺にもグラスが渡され、こつん、とグラスを合わせる。子ども達を起こさないよう、声量を絞りながら深夜の飲み会が始まった。
翌日、二人が早朝帰宅したあとに起きてきた誠だったが、なんだか様子がおかしい。頬は上気し、瞳がきらきらと輝いていた。
「やっぱりサンタクロースはいる!」
そう叫んで、プレゼントを抱きしめたまま階段をどたどたと降りてきたのだった。腕を伸ばしながら、彼の言葉を待つ。
「おれ。パパにプレゼントにほしいもの言ってないけど、サンタは、わか、わかって……! わかって、くれて!」
よかったなあ、と抱きとめると、細かな装飾のある建物が作れるブロックの説明を一生懸命はじめた。その様子を眺めながら、もうブロックはたくさん持っているから、この細かなブロックを欲しがっているなんて知らなかった、と考えたのを思い出す。
今年は誠に欲しいものを聞けなかった。誠も言わないように、聞かれないように気を張っていたのかもしれない。もし自分が欲しいものをサンタさんが知っていてくれたら、サンタさんはいるのだと、彼はそう信じたかったのかもしれない。
通りがかった優征も、喜んでいる誠の様子を見て安心したようだ。
「パパもお菓子いっぱいの靴下あげたのになー」
「うん。おいしかった。……ありがと」
パパ、と続く言葉より前に、その身体が持ち上げられる。頬を擦り付ける優征だが、誠は父そっちのけでブロックばかりを見て、早く遊びたいとそわそわしている。
俺がその一方通行な様子に口元を緩めると、優征は照れたように笑い返した。
『誠くんが欲しいもの? 分かるよ。悟司がね、いっつも今持ってるのより細かなブロックの……あ、この商品が欲しいって誠くんが言うんだって。でも、今年はパパには内緒なんだって』
彼がパパにいくら隠しても、今年のサンタさんは、彼が欲しいものはお見通しだったようだ。