愛のあいさつ

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 友人であるフィーアの監視の下、魔術装置の修理を再開できるようになった俺は、服の外からでも分かるようになった腹に気を付けながら屋敷を歩いていた。

 心労がなくなった現状では食事も喉を滑るように通り抜け、こんなに食べているのに太らないことこそ心配される。

 修理のため回収した小型の箱は、オルキスの父……現当主の番の持ち物だ。控えめなその人は、俺が魔術装置を確認しているときも、壊してしまったと申し訳なさそうにしていた。

 だが、使い込まれたその装置はかなりの旧式だ。むしろ、よくこれだけ大切に使われているものだと思う。

「セルド」

 背後から聞き慣れた声がかかった。早足で寄ってきた番の腕が、俺の持っていた包みに視線をやる。

「また新しい依頼?」

「………………」

 周囲に人がいないことを確認し、自室へと顎をしゃくる。オルキスは不思議そうに首を傾げてついてきた。

 パタン、と扉が閉まると、俺は包みを開いて、中にある箱を出した。これらは自鳴琴と呼ばれている。自動で記録された音楽を鳴らす箱状の楽器、かつ魔術装置だ。

「それ。父様の?」

 生みの親の持ち物には、見覚えがあったらしい。

「この箱、蓋を開いて魔力を込めると音楽が自動で鳴る装置なんだけど、音が鳴らなくなっちまったんだと。金属部分に劣化は無さそうだから、魔術式が掠れてると思う。それなら、俺にも上書きできるからな」

 とはいえ、元の魔術式が読める形で残っていることを祈るばかりだ。実家から持ってきた俺の所有物を仕舞っている棚から、工具を持ってくる。

「贈った当主様には直ってから言いたいんだとよ。一度壊れた、って伝えるとがっかりさせてしまうから、直らないと分かってから。もしくは、直ってから言いたいって言ってた」

「父様らしい」

 オルキスは持ち上げた自鳴琴を机の上に置いた。俺は合致する工具を持ち出し、裏側の螺子を外す。ころん、と小さな螺子が机に転がった。

 裏蓋を外すと、作った時に書き込まれたであろう魔術式が見て取れる。ぱっと見て分かるほど術式は掠れ、解読不能なほどだった。

 手元に紙を広げ、読める術式を書き写す。おそらくこうであろう、と言葉を繋げ、線をなぞった。

 普通の術式なら、予想でほぼ埋められそうだ。だが、中央に大きく、独自の書き方をしている箇所がある。

「なんだこれ。五線譜……?」

「……僕は音楽に自信はないけれど、父様と一緒にこの箱が奏でる音楽を聴いた記憶がある。曲の拍子は一緒じゃないかな」

「じゃあ、音楽を鳴らすための楽譜をそのまま、魔術式の中に埋め込んで読み取ってるのか。魔術式は詳しいけど、楽譜は書けないぞ俺……」

 正直に当主に告げ、専門家を手配して貰うべきだろうか。顎に手を当て、考え込んでいると、あ、とオルキスが声を上げた。

「父様が好きな曲だから、曲名は分かる。書庫に楽譜を収録した本があるかも」

「さすが俺の番!」

 言っておいて妙な褒め方をしてしまった、と気づいたのだが、目の前のオルキスはにこにこと嬉しそうに眉を下げる。

 病が治ってから、彼の好意を疑う場面をさほど持たずに済んだ。あまりにも正直に顔に出してくれる所が、本当に助かっている。

「書庫に行ってみようか」

「時間あるのか?」

「うん。無くても作るよ」

 手を差し出され、自然にその手を取った。屋敷内だというのに、俺との関係を示すことを躊躇わない。使用人には微笑ましげな視線を送られながら、書庫に入った。

 書庫内に陽の光は少ないが、その代わりに照明が整備されている。その場で本を開いて読むことも容易い。

 定期的に空気の通された部屋は埃も少なく、俺が出入りするようになってから更に掃除の頻度が増した。高位貴族だけあって魔術書の数が途方もなく、普段は涎でも垂らさんばかりに読み耽っている。

 オルキスは俺を音楽関連の書棚まで案内すると、いくつかの本を取って近くの机に積み上げた。机の上に載せた本を開くと、ぱらぱらと捲っていく。

「曲名なんだっけ?」

 返事があった曲名を一緒に探す。しばらく黙って、ぱらぱらと本を開き続けた。俺は椅子に腰掛けさせられ、見つからなかった本が積み上がるとオルキスが戻しにいく。

 有名な曲、という訳ではないらしい。何冊の本を見たか分からなくなった頃、オルキスは、あ、とまたしても声を上げた。

「父様に楽譜の所在を聞いてくるよ。本人なら知ってるかもしれない」

 大股に部屋を突っ切ると、素速く扉を開けて出ていった。俺は手元の楽譜を流し見しながら待つ。

 予想よりも早く、番は帰ってきた。手には一冊の本を持っている。

「……え。まさか…………?」

「父様の本棚に持ってきてたって……。書庫にある訳ないよね」

 がっかりと肩を落としたオルキスは、栞を挟んでいた頁を開いて見せた。見覚えのある楽譜が載っている。

 急いで積み上げていた本を片付け、書庫を後にして自室に戻った。

 蓋を開けたままの箱を覗き込む。楽譜と見比べつつ、掠れてしまった細かな五線譜に音符を魔力で刻み直す。光が走り、魔力が伝う度に楽譜は元通りになっていく。

 魔力が増大している都合上、少しずつ魔力を調整しては術式を刻む。ちまちまと作業していると、途中でオルキスが飲み物を運んできた。

 硝子のカップに口を付け、喉を潤す。

「冷たくて美味い」

「よかった。かなり細かい術式だよね、疲れてない?」

 言われて気づくが、夢中になって疲れも忘れていた。手をぐっと握っては開くが、魔力の滑りがいい。魔術師がやりたいと思いながら夢中で書き綴る術式は、だいたい良い出来になるのだ。

「平気。いつもはもっと長い術式も書くけど、この装置は一曲しか奏でられない。そのぶん構成が単純なんだ」

 彼に告げる声は跳ね回っていて、この箱が正常に動いていた頃、金属片が跳ね上がる様を思った。俺はこの自鳴琴が正常になったところを聞いたことがない。

 指先を術式に当て、魔力を通し、正しいであろう術式に上書きする。ほぼ楽譜が出来上がった頃、あれ、と正しいであろう楽譜と箱の中の楽譜を見比べた。

「…………正しい楽譜と音が違う」

「どこ?」

「この、最後のとこ」

 その箇所は掠れていたが、音符のある位置は分かる程度の掠れ具合だった。だが、楽譜と音符の位置がずれている。この位置に楽譜があれば、最後の音は異様に高くなり、素っ頓狂な音で鳴るはずだ。

 ああ、とオルキスが声を漏らす。

「最後の音、その掠れてる音のほうが合ってるよ」

「え? ……貴族家に納品するにしては雑な仕事だな」

 不思議に思って尋ねると、オルキスは箱の中を覗き込み、その最後の一音を指でなぞった。

「父様がこの曲を歌ってみせるとき、最後の音を間違えて覚えていたみたいなんだ。正しい曲で作っても良かったけど、その間違った音を含めて父様にとっては懐かしい曲だった。だから、あえて間違った音のほうを残したんだって」

 俺は掠れた音符、間違っているであろう音符をそのまま魔力で上書きした。

 正しいことこそが良いことではない。愛おしげにその素っ頓狂な音を思い返す息子がいることが、その証左だ。

「父様が正しい曲を聞き慣れて、元の曲を忘れてしまっても。番が聞いた思い出の曲はこっちだから」

 最後まで術式を刻み終え、工具で裏蓋を閉じる。試し聞きのために魔力を込めると、滑らかに音楽が鳴り始めた。金属音を重ねて紡がれる音は、鳥のさえずりに似ている。

 いい曲だなあ、と思っていると、隣に腰掛けていたオルキスが寄り掛かってきた。音楽は更に進み、山を越えて締めに向かっていく。

 予想通り、素っ頓狂に聞こえる音が最後に鳴った。

 この音を当主が聞いたとき、まず間違いだと思ったはずだ。けれど、それを言えないほど聞き入ったか、嫌われないために言い出せなかったのかもしれない。

 貴族の中では人格者であろう御当主が、恋に狂った時期があったことが微笑ましい。

「……直ってよかったな」

「うん。手伝わせてくれてありがとう」

 二人の間で手を繋いで、もう一度、音楽を鳴らした。最後の一音が鳴り終えた瞬間、ついくすりと笑ってしまう。

 当時の甘酸っぱい恋を記録したであろう、この音こそ失われなくてよかった。

 

 

 二人で修理したものを届けに行くと、依頼主からはたいそう喜ばれた。

 当主にも実は壊れてしまっていたことが伝えられたが、修理された自鳴琴は昔と同じ音を奏でたそうだ。後日、礼に、と美味しそうな果物がオルキスの両親から届いた。

 たまに廊下を歩いていると、聞き慣れた音がする。

 最後の一音を聞くために立ち止まってしまうのだが、その音が鳴る度に笑って、その音を合図に止まってしまった歩を進めるのだった。

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