※「宰相閣下と結婚することになった魔術師さん6」の読了後にお読みください。
ニコがクロノ神によって過去へ送り出された直後、ルーカスは笑みを下ろし、むすりと黙り込んだ。本人の前ではあんなに綺麗に笑顔を浮かべておきながら、居なくなった途端にこれだ。
俺は、あーあ、と肩を竦め、その背を叩く。
「寂しいな、『父さま』」
「貴方に父呼ばわりされる謂われはありません」
伸ばした腕は白い手に払われ、彼は儀式場からニコが暮らしていた部屋へと戻る。玩具に毛布、床に転がるそれらは、まだ温度を残していた。
片付けを始める背中に息を吐き、手伝うべく神官服の腕のあたりを捲り上げた。
「もう少しくらい、感傷に浸ってもいいんじゃないか?」
「人の間では、時は金よりも重いんですよ」
玩具を拾い上げ、箱へと放る。これから数十年の不在ともなれば、玩具は朽ちてしまうだろうか。
それとも、神様が何とかしてくださるのだろうか。
「貴方は、これからどうしますか? ニコが過去から帰るまでの、数十年ほど」
「ああ。折角だから、俺も時渡りをしつつ放浪しようかと」
「…………貴方も、いなくなるんですね。でも、時渡りのための力は?」
「クロノ神が嬉々として貸してくれたよ」
「余計な真似を……!」
彼らしくなく、強い力で球を箱へ放った。制球は完璧で、すっと中に納まる。
「貴方がいなくなると、私は『あれ』と二人きりなんですが……?」
「………………」
クロノ神からすれば、俺など『息子が好んで連れてきただけの人間』だけあって、割とどうでもよく、寧ろ邪魔者が消えると喜んでいるだろう。
だが、俺の存在を喜んでいたルーカスからしてみれば、二人きりにしてくれるな、とでも言いたげだ。
黙って片付けのために手を動かす。
「私も、一緒に行きます」
「………………」
「────聞いてますか!?」
「ああ。……クロノ神がいいって言ったら、来ればいいんじゃないか」
いいと言うとは全く思えないが、雷を孕んだ雲の前では、撃たれる前に口を噤む他ない。ニコが好んで振り回していたぬいぐるみを拾い上げ、埃を払う。
これから数十年、あの毛並みとはお別れだ。昨日、存分に触り倒したはずだったが、もう既に指先が恋しい。
このぬいぐるみさえ、放浪の旅に同伴させようか、真剣に迷ってしまう。
「────ィア、サフィア! 聞いているんですか!?」
「…………なんだ?」
「だから、クロノを頷かせるために、作戦会議をしましょうと言っているんです!」
「作戦会議くらいで、どうにかなる相手か?」
つらつらと俺に対する不満を述べる元大神官様を横目に、俺は玩具箱を抱え上げた。
部屋の窓には、自らの姿が映る。白い髪、緑色の瞳。ずいぶん昔は暗褐色をしていたはずの髪は、もう白のほうが見慣れてしまった。
箱を部屋の隅に置き、蓋をする。
何年前だったか、数えるのも忘れてしまったほど昔。鋭い牙が、首を噛んだあの日。生来の色は失われた。
指先を喉に当てる。挟むように、ぐ、と力を込めた。
一瞬、喉を潰され、そして治された。うっすらと感じた息苦しさは、未だに鮮明に蘇ってくる。
二度も、殺されたかと思った。痛くて、苦しくて。それでいて、嬉しかった。
「…………寂しいなあ」
いつもなら直ぐにある返事は、もう時を超えた先にある。
ほんの短い旅が、過去の自分との出会いが、実りあるものとなるよう、誰ともなく願った。