※「凶星を招く星読師と監視者と黒く白い双塔」の番外編ですが、「魔法使いと養い子と暁空に咲く花」をお読みいただいていると更にちょっとだけ楽しめます。
ある日の朝、見慣れない服を着た妖精に出遭った。
妖精にも僅かに違いがあるのだが、赤い帽子に赤い服を着たその顔立ちに見覚えはない。朝からレグルスが用意する焼き菓子を待っている背中を、ちょいちょいと突く。
小さな瞳がこちらを見た。
「なあ。妖精くん、どこから来たんだ?」
『まほうつかいに、つかわされた』
魔法使い、と呼ばれる存在には心当たりがあった。
俺を養ってくれた二人のうちの片割れには魔術の素養があり、魔法使い、と呼ばれても差し支えのない存在だ。
俺と会話しながらも、焼かれていく菓子しか見ていない後ろ姿を眺め、更に問いかける。
「魔法使い、が俺のこと見てこい、って?」
『いいや。たのまれてはいない』
「じゃあ、どうして」
『ようせいは、くうきがよめる』
「嘘だろ。妖精は空気読まないよ」
ちょい、と指を伸ばすと、空中ではたき落とされた。
ようやく円らな瞳は俺を向く。覗き込めば引き摺り込まれそうな色だ。
『ひとのくうきはよまぬ。ようせいのくうきはよめる』
「あー……。魔法使い、仲間なんだっけ?」
『うむ。なかまで、なかまではない。はんりょがいるからな』
首を傾げていると、朝食を兼ねた丸い焼き菓子が俺の前に置かれる。
レグルスは俺と同じように赤帽子の妖精に気付くと、小さな皿をいつもより増やした。
「おはよう、イオ。この妖精は?」
「おはよ。俺に魔術を教えてくれた人の家の妖精なんだって。なんかその人が俺のこと気にしてたから、様子を見に来たんだそうだ」
「そうか。…………あの、甘いものはお得意でしょうか?」
妖精は目を輝かせると、小さな皿の前に用意された敷物の上にちょこんと座った。
『ようせいがすきなものは、ようせいもすきだ』
「…………。お嫌いでなければ、どうぞ」
妖精が焼き菓子に噛みつくのを見守って、俺たちも朝食を始める。
丸くて綺麗に焦げ目のついた菓子に、牛酪をたっぷりと掛ける。小瓶には蜜が入れられ、ほんの少しだけ垂らして塗り広げた。
切り分けたそれを、垂れないように口に運ぶ。焼きたての小麦の味が口いっぱいに広がった。
「う、っま……。また腕上げたな」
「ああ。妖精と話ができるようになって、口煩……いや、細かく要望を伝えられるのでな」
レグルスは蜜の入った瓶を妖精に見つかり、なぜ自分たちにはそれをくれないのかと詰め寄られている。
くすくすと笑いつつ、俺も手伝ってそれぞれの皿に蜜を垂らしてやった。味が変わった、とやいのやいの言っている。
「魔法使いの家と、どっちが美味い?」
熱心に菓子を口に運んでいる赤帽子の妖精に尋ねると、その小さな頭が傾く。んん、と困ったような声が長く漏れ、ぽそりと言葉が発せられた。
『ほのおとみずに、こうおつはつけられぬ』
「どっちも美味い、か。そうだよな……あっちの家も、飯、美味かったもんな」
赤帽子の妖精はこくんと頷き、はぐはぐと生地を口に運んでいく。
妖精の口端に付いた粒をレグルスの指が摘まみ上げるが、それさえも指を掴んで口に入れている。
『だが……』
「だが?」
『こちらのほうがあまいな』
「味が? 態度が?」
『どちらもだ』
赤帽子の妖精は食事を終えると、皿洗いの妖精集団に加わりにいった。
初対面の筈なのだが、旧知の仲とでも言うように連携して皿を磨いていく。
俺たちがゆっくり朝食を終えると、その皿も運ばれていった。
「今日、遠駆けに行く予定だったが、どうする?」
「変更なしでいいよ。折角だから、あの赤帽子の妖精も連れて行こう」
そうか、と呟くと、レグルスは用意していたらしい弁当を布に包んだ。
朝食を用意する前に作り終わり、弁当箱に詰め終えていたようだ。飲み物を用意して水筒に詰め、持ち物を鞄に詰めていく。
水場で皿洗いを終えた妖精に近づき、上から眺める。
「これから遠駆けに行くんだが、ついてきたい奴いる?」
鞄を開けると、ひょいひょいと数名が飛び込んでいった。あの赤帽子の妖精も同じだ。
彼らの間でも外出の順番があるようで、残りの者は塔の維持を担う。
妖精たちが入った鞄を肩に掛け、レグルスと合流した。
「行くか」
「おう」
今日は運動も兼ね、馬での移動だ。重力軽減の魔術を埋め込んだ鞍を置くと、鐙を履いて乗り上がる。
俺の背後にレグルスが乗り、馬に指示を出すと、鞄からひょこひょこと妖精たちが顔を出した。
「帽子、飛ばさないようにな。あと、落ちるなよ」
『ようせいを、あかごあつかいするな』
そう言った瞬間、吹いた風に帽子が揺れる。そっと指で押さえてやると、妖精は帽子を脱いで服の中に仕舞った。
最初からそうしろ、と言いたかったが口を噤み、彼らの身体を落ちないよう指で支えてやる。
馬は長い距離を平然と駆け抜けると、水辺のある草原へと辿り着いた。標高も少し高い場所で、眼下には市街地の屋根が見える。
木陰に敷布を広げ、その上で鞄の蓋を開けた。わらわらと妖精たちは外に出て、風に吹かれ始める。
レグルスが弁当を用意すると、各々の好きな場所に座った。中には小さく切ったパンにそれぞれ具材が挟まっており、細かいことだと感心する。
大きな手が、濡らした布でちいさな手を拭い、小さなパンを摘まみ上げては妖精に渡す。面倒見のいい彼の美点に、もぞり、と胸が騒いだ。おそらくこれは、愛おしさとでも言うべきものなんだろう。
普段よりも近くに寄って、手を拭ってもらい、俺の分のパンを受け取る。
「美味い。外で食べるから更に美味い」
呟いた途端、びゅお、と強い風が髪を跳ね上げていく。くしゃくしゃになった髪をまとめ、ふっと笑いを漏らした。
俺と妖精がちまちまと食べるパンは、恋人の大きな口では数口で消えていく。
「よく食うな」
「図体の大きさに比例しているだけだ」
水筒の中に入れたお茶を注いでやり、手渡した。礼と共に受け取られ、こくん、と出っ張った喉が動く。
また強く風が吹いた。妖精の赤帽子は服の中に仕舞われたままだ。
お腹いっぱいになった俺は、敷布の上に寝転んだ。木の葉に遮られたその場所は、眠ってしまいそうなほど心地よい。
食事を終えた妖精たちは、ぴょんぴょんと木を登っていった。食事を終えたレグルスは、飲み物を片手にゆったりとそれを眺める。
「俺さ。別に外に出られなくてもいいや、って思ってたんだけど」
「そうだったな」
「でも、こういう遠駆けはもっとしたい」
伸びてきた指が、頬に触れる。指先を捕まえて、唇を押し付けた。
屈み込んできた身体が視界を覆い、柔らかい感触が唇に触れる。少し間を置いて、ひゅう、と口笛が鳴った。
鳴らしたのはあの赤帽子の妖精だ。指を伸ばして妖精の目を塞ぎ、その上でレグルスの胸倉を掴んで唇に吸い付く。
「……今日は、積極的だ」
「先にしたのはそっちだろ。どうするんだよ、養い親んとこ報告されるぞ」
妖精は俺の指を外し、また、ぴゅう、と口笛を吹いた。
レグルスは気にしていない様子で、妖精の頬を撫でる。
「それは。……そのうちご挨拶に行かないとな」
「かなりの山の中だぞ」
「慣れている」
敷布の上でじゃれつく俺たちを眺める妖精は始終ご機嫌で、その唇からぴゅうぴゅうと口笛が鳴っていた。
翌日の朝、朝食を平らげた赤帽子の妖精は、俺たちに帰宅を告げる。
レグルスは作った弁当を妖精に持たせてやっていた。妖精は弁当箱を撫で、ぴょんと飛び乗った恋人の額を撫でる。
『こうふくがあるように』
そう言い残すと、開いた扉からまるで風のように消え去った。
本来なら感傷に浸るべきなのだろう。
だが、養い親に俺たちの事を報告した後、色とりどりの帽子を被った妖精たちが、かなりの頻度で塔へ再来するようになった事は言い添えておく。