宰相閣下と魔術師さんと置いてけぼりの恋愛小説

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 宰相閣下は読書家である。
 
 俺もまた人の事は言えないが、そんな読書魔の俺が読書家だと認める程だ。
 
 書類やら新聞やら、と文字に目を通している時間だけをみれば、俺よりも大量の文字を摂取していることだろう。

 その日は休日をいいことに寝過ごし、俺はゆるりと目を覚ました。ごろりと転がると、隣で半身を起こしているガウナーは読書中だ。
 
 俺がじっとその横顔を眺めていると、苦笑いと共におはよう、と声が掛けられる。
 
「起きたか?」
「たぶん」
 
「さっきはそう言ってまた寝ただろう」
 
 夢うつつだった所為か、覚えてはいなかった。
 
 まだ寝ていていいぞ、と撫でられる手に甘やかされると、俄然起きなければならないという気持ちになってくる。

 ごしごしと目を擦り、重たい身体を起こす。
 
 とはいえ、よろよろと隣で身を起こしている伴侶の肩に寄り掛かるのが精一杯だった。ごつりと頭を肩にぶつけ、体重を預ける。
 
「何でこんな眠いんだろ……」
 
 あふ、と欠伸をかみ殺す。安定感のある肩は寄り掛かってもびくともせずに、また眠りの淵に引きずり込まれそうになった。
 
 隣から響く低音もまた心地よい。
 
「私がきみを離せないからだろうな。眠ったら毛布を掛けておくから、好きなだけ休むといい」
「……そうしたら、午後に見送りができない」
 
 むっとしてみせると、ガウナーは今度は表情を緩めた。
 
 一日休みにして、と駄々を捏ねる子どもみたいなことを言えば、叶えようと努力されるのは分かっている。俺はただ黙ってしっかり見送るのみだ。
 
 ぺらり、ぺらりと規則的に捲られていく頁を同じ歩調で眺める。王子と隣国の王女の恋愛譚という王道も王道な物語は、少し前に流行したものだった。
 
 しばし一緒に眺めていると、本が僅かにこちらに傾けられていることに気付く。横にくっついている俺が読んでいることが伝わったのだろう。
 
 気遣いは有り難いが、ガウナーが読みづらくはないだろうか。
 
「ガウナー」
「何だ?」
 
「手を挙げて、こう」
 
 両手を軽く挙げてみせると、ガウナーは読んでいる頁を親指に挟み込んで持ち、両手を挙げた。
 
 よいしょ、と四つん這いで移動して相手の足の間に腰を落とす。ぽすん、とガウナーの胸元に後頭部を預けると、思ったとおり良い塩梅だった。
 
 満足そうに笑う俺に対し、ガウナーは驚いたように身体を固くしている。
 
「本はここ。手はここ」
 
 ガウナーの腕を取って自分の腹の前に本を開くようにすると、丁度良くお互い本が読める。名案だろう、と背後にいるガウナーを振り返ると、その表情は笑っていなかった。
 
 いい案だと褒められるか、子どもかと笑われるかと思っていた。戸惑いばかりが伝わる表情に、俺はなにか悪いことでもしただろうかと首を傾げる。
 
「……あー、……だめ? 重い?」
「駄目でもないし重くない」
 
 じゃあなんでそんなに不満そうなんだ、と唇を尖らせると、不満なんかあるものか、と表情とは全く食い違った言葉を吐かれる。
 
 鬱陶しかった、とかだろうか。確かに集中して本を読んでいたのに、絡まれれば腹も立つだろう。
 
「……うーん、よく分かんないけど、嫌なら出るから。ごめんな」
 
 寝台を下りようとすると、腹に両腕が巻き付いた。引き止めるように後ろから力が掛かる。
 
 がくんと体勢を崩し、後ろに倒れ込んだ。
 
「違う。違うからそのまま居てくれ。嫌じゃない」
 
 背後から聞こえる声は、感情が入り混じったような声だった。嬉しそうで、戸惑ってもいて、ただ、行かないで欲しい、というのは言葉通り受け取っても良さそうだ。
 
 切なげな声に導かれるように、ゆっくりと元いた場所に収まる。
 
「……慣れてないんだ」
 
 回された腕はそのまま、まるで、そのうち抜け出ていくとでも思われているかのようだった。
 
「君が何の理由もなく、ただ、私を好いてくれて、それを理由に隣にいてくれることに慣れてない。だから、私は毎回嬉しくて思考が止まる」
 
 回った手の甲を撫でる。
 
 周囲を気にしての甘言かと思っていた言葉は、少し前に全部本音だったらしいと知った。それ以来、戸惑っているのはこちらも同じことだ。甘言ならばとさらりと流していた言葉は、全部本心から漏れ出ている言葉らしい。
 
 そこにおだてる意図はなく、貴族育ちのこのひとはその流麗な言葉でもって、本心から俺を褒め称えているのだ。
 
 簡単に流せなくなった言葉は、時おり俺を赤面させる。
 
「ガウナー。俺は好きな人と一緒に同じ本を読みたい。ついでに、ちょっとくっつけたら嬉しい。それだけ」
 
 拙い言葉だなあ、と苦笑しながら、言葉を紡ぐ。
 
 傍目から見ていた頃よりも随分不器用らしいことと、それが愛らしく見えてきていることは黙っておいた。

「そのうち慣れてくれよなー」
 
 分かっている、と拗ねて擦り寄る体躯を、今度は俺が受け止める。

 王子と、隣国の王女の恋愛の続きが読めるようになったのは、小一時間後のことだった。

 
 

 
 
 捲る頁の途中で、思い出したように声を上げる。
 
「……くっつくの慣れた?」
「全く」
 
 どれだけ掛かってもいいけどな、と言うと、宰相閣下はいつもの『感情が混ざった顔』をしていた。

 数十年先も全く同じ表情をしているんじゃないだろうかと、容易く想像できたことは秘密にしている。

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